素直になれない
白雪花房
どこか遠くへ行ってしまいそうだから引き止めたかった
半透明の壁を組み合わせた四角い空間、水平に広がる床は砂漠のよう。空想的な雰囲気の中で、体の感覚だけがリアルだった。瞬きをすれば本当にまぶたが動き、長く伸びた髪の先が頬に当たる。
目を開けた先にはおぼろげなシルエットが立ち、くっきりとした立体に変化した。ペンキで塗ったような空色の髪に、ミニスカートとニーハイを合わせた格好。アニメキャラクターのような彼女は、私好みに作った代物である。
無機質な顔のアバターがにこりと笑い、音もなく口を開いた。
『夏も終わりに近づいて、涼しくなってきましたね』
「こっちはまだまだ暑いんだけど」
AI相手にマジレスしつつ、肩から力を抜く。
『秋に移る前に悔いを残さぬよう、やるべきことは済ませておきましょう』
少女はこちらの返答を無視して話を続ける。
『たとえば、夏祭りなど』
指を立てて提案する様を見て、眉間が曇る。
『VR世界ではお祭りが催されるそうですよ』
AIは喜々として提案してくるけれど、私は口を結んだままでいる。
平民にVR技術が行き渡る時代、世間ではもう一つの現実ともてはやされるけれど、
祭りには関心があるけど、どうしよう……。
去年、親に買ってもらった朝顔柄の浴衣はクローゼットに押し込めたままだ。
見せる相手がいるとしたら――
清潔感のある少年がぼんやりと頭に浮かぶ。首元までボタンを留めたカッターシャツ姿の、平凡な顔立ち。同じVRゲーム部に所属する、
後ろ髪が揺れる気配を感じながら、私は彼のことを思い起こす。
去年の体育祭。
炎天下の校庭を体操服に着替えた生徒が走り回ったり、熱くぶつかり合う。
赤いハチマキは同じ組だけど、応援はしない。
勝敗はどうでもよかった。関係なくは、ないのだけど。
午後の部も進み、最終プログラムである全校リレーが終わった。
テントで涼みながら、点数の合計を確かめる。
「今回も君の賭けは失敗だ。ざまぁ見ろ」
真っ白なハチマキを垂らした
同じ仕事――得点係だった。彼とセットで動くのは癪だけど、仕方がない。
私たちは賭けをしていた。予想した組が買ったら、奢る。彼が自分のところが勝つと信じたのに合わせて、こちらも白組が勝つと予想した。
結果、トロフィーは紅組に渡ったのだけど。
「自分の組を信じられない者には罰が当たるのさ!」
「あんたも負けてるでしょうが」
二重の意味で。
「そんなに自虐して、Mなの? 悲しくならない?」
目を細め、見上げる。
「元はといえば、あんたが運動音痴なのが悪いでしょ。この戦犯が」
「体育祭を個人の力で左右するとか思ったのかい? いけないなー」
薄笑いして、肩をすくめる。
「僕は一生懸命やったつもりさ。ひねくれた予想をしておきながら外したやつよりはマシだよ」
ドヤ顔で胸を張る。
私だってほどほどに頑張ったんだけど。
文句を言うようなポーズを取ってみたけれど、彼は気にしてくれない。
「まあまあ引きずるなよ。試合に勝って勝負に負けただけだから」
言葉とは裏腹に完全に勝ち誇った顔だ。
「じゃあな紅組優勝おめでとう」
捨て台詞を残し、手を振る。彼は歩き去った。かすかに残ったシーブリーズの人工的な香りが鼻につく。
家にこもってばかりの、もやしの癖に……!
むかつきながらも遠ざかる背中から目を離せず、さらにモヤモヤが加速する。
あんな貧弱な男がゲーム界隈では有名人であると、誰が思うだろうか。
VRでの対戦において、彼は負けたことがない。
特に印象に残るのは去年の夏。
ゲームも立派なスポーツと認められて、半世紀が経った。学校の部活にまで採用され、大会が開かれる。
仮想空間に形成されたバトルフィールドで、RPGの戦士のような格好をした彼らは武器を向け合い、タイマンを演じた。
試合が進むにつけれ高まった熱気は、決勝戦で最大までふくれあがる。
観客席から注がれる好奇の視線と、充満した土煙。視界がクリアになったとき、立っていたのはシンプルな装備を身に着けた
文句なしの優勝。観客は一斉に立ち上がり、割れんばかりの拍手を送る。私は同じ場所で一人座り込みながら、肌がヒリつくのを感じた。
《最強無敵のプレイヤー》《常勝無敗》
皆、彼を
少年は
いくら実績を重ねてもトロフィーに形はなく、リアルにも持ち込めない。
現実の彼を理解し気に掛ける者は、一人もいなかった。
数日後。
「俺、選抜に選ばれたんだ」
部活を終わらせ帰路につく。校門の外で彼は口を開いた。
VRゲームには公式に世界大会があり、日本も代表チームを作った。
本来なら喜ばしい。祝福したい気持ちとは裏腹に内心、複雑な感情を抱く。
「そう。じゃあ遠くへ行っちゃえば」
目をそらさず、言い捨てる。
「ああ、そうさせてもらうよ。君も
あっさりと返し、彼はなんのためらいもなく歩き出した。
秒で小さくなる白い背中を見送り、無音の中で立ち尽くす。伸ばしかけた腕を引っ込めて、だらりと手の先を地面に向けた。
なんで、突き放してしまったんだろう……。
夏が終われば部活も引退し、彼と同じ立場で会うことは、二度とない。
彼とは対等な立場でいたいし、自分の気持ちなんて、伝わってほしくない。
強がりではなく、本当の気持ちだ。
何度言い聞かせても、ほろ苦さが込み上げてきて、たまらない。
迫りくる
『本当に思い残すことはありませんか?』
AIに呼びかけられてVR空間にいたままだったと、思い出す。
前方には無表情のアバターが棒立ちになっていた。
思い残すことだなんてまるで死ぬ前みたいで、笑えてくる。
『"彼"に関して、どうなさるおつもりですか?』
「どうって」
『素直にならなければ、幸せにはなれませんよ』
素直にって言ってもね……。
背景を見るように遠い目をすると、AIの横に吹き出しが表示される。
『世界大会は今夜ですね』
確かに配信の予約は取ってある。すでに万単位の視聴者が待機しているあたり、さすがは人気コンテンツだ。
サーバーを移動すれば直で
「観る意味ある?」
意図せず声が震えて、目線を落とす。
観たくないのは、本音だ。リアルタイムで一喜一憂したくないもの。
私はまぶたを閉じ、VRの装置のスイッチを切る。冷や汗がにじんだ。
現実で朝を迎え、青空を映す窓から柔らかな日差しが差し込む。
ネットを開くとSNSのトレンドに『ハルト優勝』と
ワーワーキャーキャーと大盛り上がり。
特に女子から人気だった。ガチ恋勢というのか、お近づきになりたい子もいる。字面を見るだけでも甘ったるくて、不快だった。皆さん夢見がちなこと。
あきれながらも優勝したと察して、ほっと一息吐いた。
温かなミルクを入れながら、片手でスマホをいじる。
祝福だけSNSに送っておいた。「優勝おめでとう」と絵文字つきで。
返信はすぐにきた。「ありがとう」と。
素直な感謝を受けてなぜか胸がきしんだ。
そういえばまだ試合を見ていない。
少し迷い目線を泳がせた後、意を決してアーカイブを開く。配信画面には試合がフルで流れ、ハルトのチームが躍動していた。強い相手にも完勝し、解説もべた褒め。見ていて気持ちがよかった。
チーム戦を見事な連携で制したメンバーは、順にインタビューを受ける。
「実は僕がこのゲームに参加したのはある人の誘いがきっかけでした。その人がいなければ今の僕はいません。だからこの勝利を捧げる相手は――」
ドキリと心が波立ち、一気に目が覚めた。
確かに彼をVRに誘ったのは私だけど、まさか自分のことが引き合いに出されるなんて。
マグカップを握る指が震え、目線が揺らぐ。
勝利を捧げる相手――
なんてことのないように繰り出した言葉が、耳の奥でリフレインする。
胸が
いてもたってもいられない。ミルクの甘い味を飲み込み、自分の席へ背を向ける。
私はバンッと扉を開き、きらめく光の
午後の市街地。
鮮やかな青い空の下、こんもりと茂った街路樹のそばを通る。
確かに私は冴えない女だ。VRゲーム界隈の主人公の横に立つには、不足がある。
それでも自分だけが知っているのだ。現実の彼を、その日常を、中村
だからこそ譲れない!
力強く腕を振り、ローファーで地を蹴った。行き先は分からないはずなのになにかに引き寄せられるように、ストレートに走り抜ける。
十字路に見慣れた影。さらりとした暗髪に安っぽい私服を着ている。
急ブレーキをかけ、ハアハアと息をしながら、膝を押さえた。
呼吸を整えなんとか前を向くと、少年は何食わぬ顔でこちらを見る。
「なんだいそんなに走って? 落とし物でもしたのか?」
「その通り! 落とし物を拾いにきたのよ! 悪い!?」
勢いよく叫び、顔を上げ、表情を引き締める。
ポカンとした顔の少年はなにも分かってない風だ。
察して、なんて言わない。代わりにこちらから切り出す。
「どうせあなたは今年の夏も一人なんでしょ。ゲーム界の英雄が
「
「ええ、その
彼を見つめる。
まっすぐに、目をそらさない。
陽だまりの中が肌を温め、吹く風が花の香りを届ける。
キラキラとした光を浴びながら、口を開いた。
湧き水のようにあふれる思いを、託すように。
「私と一緒に夏祭りに行かない?」
素直になれない 白雪花房 @snowhite
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