運転の視力検査に落ちました

九月ソナタ

一話完結

DMVの視力検査に落ちた。

DMVというのは運転免許証を交付してくけるところで、日本語だと車両管理局になるのかな。


そのDMVから手紙が届いて、更新時期を知らせてきた。何もしなくても新しい免許書が届くこともあるし、筆記試験を受けなければならないこともある。今回は視力検査も試験もある。


それでDMVに予約を取ろうとしたら、いつも行っていたDMVの事務所が無くなっていて、別のところに行かねばならないことがわかった。

いつも行っていたところだと、目の検査をするところには一枚の紙が貼ってあるけど、あそこの字や記号は全部覚えている。もう何年も、変えられていないのだから。

日本なら、考えられないでしょ。

アメリカってこういう雑なところがあちこちで見られるけれど、私は嫌いではない。


数日後、ちょっと心配しながら、別のDMVに行ったら、そこの事務所の広さは今までの倍あるし、お客も多い。

視力検査の紙が、すべての窓口の後方にぶらさがっている。

ここ、暗いなぁ。

とても読みにくいと思っていたら、自分のテストになった時、案の定、全然読めなかった。係の人はなんとか受からせようと、箱みたいな検査機を使い、これなら読めるでしょうという態度だったけど、読めなかった。

自分の目がこれほど悪いとは、思っていなかった。いや、思っていたかもしれないけど、考えないようにしていた。


新しい眼鏡にするか、医者からの手紙を持ってこいと言われて、退去。アメリカでは眼鏡をつくるためには眼鏡屋にいくのではなく、まず眼医者に行って処方箋をもらわなくてはならない。


予約を取って眼医者のところに行ったら、レーシックにしたらと薦められて、DMV用に手紙を書いてくれた。手紙をDMVに持っていったら検査なしでパスした。次の更新は数年後だろうから、しばらくはレーシックはしなくてもいいかなとも思ったけど、三カ月くらいしたら、順番がやってきて、いろいろな検査をされて、手術をすることになった。


シーレックの恐ろしい失敗例などもサイトに載っていたから、失明したらどうしようかと心配したけれど、やってみたら、なんで心配したんだろうと思うくらいよく見えるようになった。

手術をした桧の夜はライトにHalo(後光)が輝いて、これからは毎日がクリスマスかい、と思ったけれど、それも翌日にはキラキラが消えた。


レーシックをしてわかったことは、私は相当近眼だったということ。それなのに、運転以外では眼鏡をかけなかったので、一年に二度くらい、歩いていて道でつまずいて転んだのもそのせいらしい。

「今まで、その目で、どうやって運転していたの?」と親友が訊いた。

「ほら、ストリートの名前なんか、知っている通りだと文字が読めるじゃない。知らないところだと読めないけれど」

「そんな人が運転していたかと思うと、おそろしい」と彼女が真顔で言った。

そんな言い方、冷たくない?

「知っている通りしか運転しないし、わたし、無事故」

とか言ってみたけど、考えてみると、このことでは彼女が正しい。運転領域のみなさま、すみませんでした。


手術をして、目とはこんなんなふうに見えるものなんだとわかった。

今まではモネが白内障になった後期の絵みたいに見えていたものが、今は葉っぱの一枚一枚がくっきり見えて、イギリスの風景画みたいだ。


新しい目になって、町を歩くと発見ばかりだ。よく見えるというだけで、美しいというわけではない。それまではぼんやりと見えていた家並みが、実に退屈な家々だったりするし、ゴミも見える。


新しい目になって、一番美しいと思ったのが、霧の日のゴールデンゲートブリッジの下を、貨物船がゆっくりと走っていった時。その四角いくっきりしたコンテーナーにオレンジ、青、黄色などの色がついていて、わっ、なんてきれいなのだろうと再生したばかりの目を見開いた。


でも、よく見えてひどくがっかりすることがある。

一番がっかりは自分の顔。

シミもないし皺も少ないと思っていたけど、人並み、いや、それ以上にあった。

もっとかわいいと思っていたけれど、かわいくなかった。

これはどうにかならないものか。日々がつまらない。


ある親戚の子がスタンフォード大学に来ているので、会いにいくことになった。彼女は才媛なだけではなく、性格もよく、若く、それにかわいい。

昔は頭がよい子は運動がだめとか、顔のいい子は頭がよくないとか、そういうふうにどこかでバランスが取れていたけれど、最近は違うようだ。

将棋の藤井名人も、ドジャースの大谷選手をはじめてとして、最近の若い人は、何拍子がそろっている人が多いように見える。なぜなのだろう。


さて、そのヤングガールに会う日が近づいて、私はコンシーラーというものを買いに出かけた。張り合うなんていう気は毛頭ないが、恥はかきたくない。

私はコロナのあたりから、化粧をほぼしなくなった。以前はメイクをしないと、他人から裸、まではいかないけど、下着姿を見られるようで、メイクなしで家を出たことがなかった。でも、メイクなしに慣れてしまったら、なぜ、今までメイクしていたのだろうと思った。それに、メイクを落としは面倒くさいから、それがないのはすぐに寝られて、楽だ。

しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。少しはよく見せたい。


それで、デパートではなく、スーパーみたいなところへ行った。そこには、化粧品も、服も電化製品も、食べ物もある。

デパートとこういう店の違いは値段もそうだが、セールスの人が寄ってこないというところだから、自由に選べてよい。

コンシーラーというものはたくさんあったが、しわを隠すのに、白色系を買えばいいのか、濃い系を買えばいいのか、わからない。安いので、何本か買った。

試してみると、白色系が皺を隠してくれる。考えてみたら、当然だ。


TikTokを見たら、やたらメイクのことが出てくる。

TikTokに何も伝えた覚えはないのに、コンシーラーを買った日から、化粧の仕方の動画が次々と現れる。私の考えていることがどうやってわかるのだろうとおそろしい気はするが、役には立つ。


皺はなんとか隠せそうだが、次は肌全体。

今度はファンデーションが必要なので、友達が「ぜったいいい」と薦めてくれたシャネルの店に行ってみた。すぐに高級そうな黒いスーツを着た○○姉妹に似たボディのセールスレディが寄ってきたから、逃げた。


帰りにドレスを少し見ようとしたけれど、鏡に映る自分にはがっかりだ。服を探す気にもならない。

前の目には戻りたくはないけど、現実がよく見えちゃうというも、つらいものがある、よね。




                了








































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

運転の視力検査に落ちました 九月ソナタ @sepstar

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画