<試し読み>コロスケとスーパースター
青葉える
<試し読み>コロスケとスーパースター
一番の友だちから告白を受けたのは、もうすぐ十七歳を迎える夏だった。
「サチ。俺、田中が好きなんだ」
九月七日、太陽が真っ逆さまに落ちてくる午後十二時半。今日は始業式で、学校は午前中で終わりだった。吹奏楽部もバスケ部も休みだったから、私とコタローは久しぶりに肩を並べて帰路についている。家の最寄り駅に着き商店街を抜け、中小企業や住宅が並ぶ道の歩道に入ったところで、コタローは不意に告白したのだった。蝉時雨に掻き消されそうな、いつもと正反対の声量だったけど、人通りも車通りも少ないからなんとか聞き取れた。
私は隣を歩くコタローを見やる。勢いよく向いたので、顎下までの髪が頬を掠め、くわえていたアイスを落としそうになった。
コタローの強張った横顔には汗が伝っている。この六年間で、初めて見る顔だった。
「サチ、聞いてる?」
数秒ほども無言でいたからか、コタローはアスファルトを見つめたまま落ち着きなく言った。
「も、もちろんもちろん」
私の喉をコーヒーミルク味が通り過ぎる。二つ一組のアイスで、コタローはとっくに食べ終わっている。普段は「すぐになくなっちゃったら寂しい」というやたらとかわいらしい理由でちびちびと食べているのに、今日はすぐに食べ終わっていたから珍しいと思ったんだ……そう考えたのち、私は状況を理解した。
コタローに好きな人が出来た。
その事実が、頭から足の爪先までを貫いた。ふたりの間に恋という概念が出現するのは小学六年生以来で、高揚か戸惑いかわからない情動で私の鼓動は速まる。深呼吸の衝動に駆られるがまま息を大きく吸って吐いた。コタローは何やってんのと笑いもしない。
「田中って、うちのクラスの田中くん?」
ペンキ塗りたてのポストを通り過ぎたタイミングで訊くと、コタローは固く唇を結んだまま頷いた。念のため「サッカー部の田中征樹くん?」と重ねて確認すると「そうだよっ」と食い気味に返された。
コタローのこめかみには絶えず汗が流れている。三十四度の気温と緊張のせいだ。おそらくもう一つ質問をしたらオーバーヒートしてしまうだろう。だから質問の体にはせず、自分の驚きを収めるトーンで言う。
「二人が喋ってるのを見たの、一回だけだ。いつの間にか仲良くなってたんだね」
「古文の合同クラスが同じになってからよく話すようになって。一緒に売店行くのと、二人で週末に遊ぶ、の間くらいの仲の良さかな」
「じゃあこれからたくさん二人で過ごして、コタローが超良いやつだって知ってもらわなきゃね」
思考をそのまま口に出したあたりで、横断歩道に差し掛かった。赤信号で立ち止まると、やっとコタローがこちらを向いた。眉間に皺が寄り、唇を噛んでいる。車は通らず、ミーンミンミンという夏に馴染みのある音だけがふたりの間を漂う。言い淀んでいるのが見て取れて、私は太陽に焼かれながら待つ。信号の色が変わる気配がしてきた頃、コタローが言う。
「変じゃない? 気持ち悪くない?」
俺は男で田中も男なのに――という意味が込められているのが、か細い声色から察せた。
あらためて、じわりと驚きがこみ上げてくる。もちろん、同性を好きになる人や結ばれる人がいるのは認識しているけど、今のところ私の身近にはいない。正しくは、いたとしても私は知らない。コタローと「好きな人が出来たら一番に報告しようね」と約束したときも、異性の名前を教え合うものだと思い込んでいた。それに私自身に恋をした経験がないのもあって、「恋に性別なんて関係ない。誰が誰を好きになってもいい」と言い切れる持論もまとまっていない。だからコタローの告白は、正直なところ青天の霹靂だ。でも確かなのは、私が驚いた理由は「コタローに好きな人が出来た」という事実にだということ。男なのに男をという驚きや、ましてや嫌悪感なんていっさいなかった。
だから私は、信号が青に変わって踏み出しながら「変じゃない、気持ち悪くない。応援するに決まってる」と言い切った。しかし隣に気配がせず振り向くと、コタローはぐっと堪えるような表情のまま立ち竦んでしまっている。私は白い線を蹴り上げて戻り、彼の両腕を掴んだ。バスケで鍛えられた腕から、夏の熱を上回るような体温が立ち上っている。揺らぐ瞳を見つめた。
「私が言うんだよ。信じて」
他人には自惚れだと捉えられかねない台詞だけど、コタローと互いに信頼し合っている自負がある私には言える。日常生活では信頼を確認し合う場面はないぶん、こうして心からわかってほしい場面では言葉にして伝えたい。
コタローは眉を下げたままで、私の言葉を飲み込むように唇を結んだ。私は両手に力をこめる。
「コタローは間違ってない。気を弱くする必要はないよ。変だとか気持ち悪いだとか間違った意見は勝手に言わせておけばいい。コタローはいつもみたいに笑顔で、そんなやつらが作るレッテルやしがらみの中を走り抜けていけばいい」
ぬるい風が、そうだぞと後押しするようにコタローの髪を揺らした。ついでに私の制服のスカートも。
「……そうかな」
コタローはぎこちなく言った。
「そうだよ」
しばらく視線を交わし合う。信号は再び赤に変わったらしく、一台だけ車が発進する音が聞こえた。それが遠くなった頃、ようやくコタローの強張りがほどけた。
「ありがとう。サチに認めてもらえるの、心強い」
細められた目から注がれる視線に、私への尊重が見える。
「認めるなんておこがましいよ。私はコタローの『好き』を大切にしたいだけ」
「……ほんと、ありがとうね」
「んもう、いいんだって」
私たちはしばらく無言で、昔ながらの建材会社や住宅修理の会社が並ぶ通りを歩く。気まずさはないものの、空気に若干の固さが残るので、私はそういえばと思いついたことを冗談めかして言う。
「じゃあ『コロスケ』もコタローが先かもね」
ふぐっ、とコタローはボディブローをくらったような声を出した。
小学六年生の頃、ふたりの間で少女漫画を読むのが流行り、感想を言うときに「ファーストキス」と口に出すのがお互い恥ずかしかったので、某有名アニメ主題歌を元ネタにして「コロスケ」と呼んでいたのだ。懐かしいねと笑ってくれるのを想定していたらむせた上に「はっ、話が飛びすぎ」とあたふたしているので、本気で田中くんを好きなのだと認識する。悪いことをしたと思いつつ、すでにコロスケを経験したのに私に黙っていたわけではなさそうでちょっぴり安心した。
「コタロー、まなみちゃんを好きだったのって小六だったよね。それからも好きな人いたけど、男の子だったから言いづらかった?」
「懐かし。ううん、まなみちゃんにフラれてから今までは本当にいなかった」
「教え合おうねって約束、ちゃんと守ってくれてたんだ」
「当たり前じゃん。今もマジでサチにしか言ってないし」
コタローは、ぴかぴかっと効果音をつけたくなる笑顔を私に向けた。いつもの調子が戻って来て嬉しいし、真っ先に私に話してくれたのも嬉しい。だから私は前のめりに情報提供をする。
「田中くんね、恋愛は異性とするものとは思ってなさそうだったよ。倫理で同性婚についてディスカッションしたとき、『伝統とか少子化とか、国の有様に個人の生き方が制限されるのはおかしい』って言ってた。立派な言い方だなあと思ったから印象に残ってる」
「ほんとに」
「持つべきものは好きな人と同じクラスの幼なじみでしょう」
「……嬉しい。ありがとうサチ」
コタローは顔を綻ばせる。中学生の頃なら、良かったねと頬を人差し指でくりくりとつついていたけど、今は高校二年生。コタローといえどさすがに人の顔をむやみに触るのは失礼だと理解している。
そこで、コタローがもじもじと「でさ」と切り出す。
「そろそろ二人で遊びたいなって……一学期の終わりに、田中も脱出ゲームが好きだって知ったんだ。で、夏休み中、二学期になったら誘ってみようと考えてて」
「夏休み中ずっと?」
「はは、うん、ずっと考えてた。サチ、今週の土曜日は午前練だろ。そのあとどう誘うか相談に乗ってくれない?」
気恥ずかしそうな姿が新鮮で、笑いながら「そういうのは経験豊富な人に頼んだ方がいいんじゃない」と言うと、「相手が男だって前提で話を聞いてくれる人がいいし、それにやっぱり、俺の立場になって一生懸命考えてくれる一番の人ってサチだと思うから」と言ってくれた。頼ってもらえるに越したことはないので、わかったとお腹の底から返事をした。
コタローと別れ、新興住宅地に入る。それぞれ形や色の違う表札や、外壁から覗く、太陽に透ける緑を見ながら歩いていると、またじわりと実感が湧いてくる。
コタロー、恋をしているのかあ。
コタローは、小学五年生になった四月にここへ引っ越してきて、私と弟が通っていた児童館に仲間入りした。児童館には私と同学年の女子がおらず、低学年の頃は男子と遊んでいたけど、高学年になると男子は乱暴な言葉を掛けてきたり邪険に扱ってきたりするようになったので、私は一人で過ごしていた。でも、コタローは違った。児童館に来て男子とすぐに仲良くなりつつ、部屋の隅にいた私にも「サチちゃんも五年生なんだね! よろしくね」と弾けんばかりの笑顔を見せてくれたのだ。どぎまぎしていた私の手元に、弟のために描いていた戦隊ヒーローの絵があるのを見つけたコタローは、「それ俺も好き! サチちゃんも好きなの?」とごく自然に隣に座ってきた。出会ったばかりなのに、お互いの好きなものの話をたくさんした。アイス、謎解き、お絵描き、ギブアップありのかくれんぼ、バトルもののマンガ。合奏クラブでユーフォニアムを始めたと言うと、コタローは「すげえ! そんなの吹ける人、前の小学校にいなかったよ」と褒めてくれて、コタローがミニバスのクラブに入ったと聞いた私は「引っ越してきたばかりなのにすごい!」と拍手した。コタローは翌日から、通学路で会えばぶんぶんと手を振ってくれて、児童館では数日に一度、ふたりでお絵描きやバドミントンで、弟を交え三人で缶蹴りやボードゲームで遊ぶようになった。なかでも特別だったのは、一日に一人二十分間だけ遊んでいいルールだった古いテレビゲームだ。ソフトは某世界的配管工が走ったり跳んだりして姫を助けに行くものしかなかったけど、私たちは飽きずに遊んでいた。家には据え置きのゲーム機がなかったから、一つの画面をコタローと覗き込みながら平面の世界でキャラクターを動かしたり、動いているところを眺めたりする時間はほとんど非日常だった。
出会ってしばらく、私はコタローを「優しくて、一緒にいて楽しい男子」と認識していたけど、いつしか「性別は関係なく、一緒にいて心から楽しい友だち」に変わっており、私の胸に温かく定着していった。笑顔が眩しくて、足跡に光が落ちているような友だちだ、と。中学生になり児童館を卒業したものの、ときどき弟を交えて、三人で近所を探索したり家の前の舗道にチョークで落書きをしたりしていた。テレビゲーム機に替わって、コタローが買ってもらった携帯ゲーム機を貸してもらい公園のベンチで配管工を動かす日もあった。
そんな心地良い日々は、中一の夏休み明け、ちょうど今から四年前に一週間だけ途切れることになる。コタローと廊下で旅行のお土産を交換し、「二人とも室内部活なのにすごく日焼けしてる」と笑い合っていたのを見た男子のグループが、教室に戻った私を「虎太郎と濱中って付き合ってるんだろ」と囃し立ててきたのだ。その発想すらなかった私が絶句しているうちに「チューした?」と言われて「するわけない」と否定したけど、驚きのあまりか細い声だったのをからかわれ、翌日には付き合っているという噂が流れていた。数日後には顔なじみのない女子に「男好きの子」とささやかれ、扇風機しかない教室で、私の心臓は冬みたいに縮こまった。数日間、コタローと顔を合わせる機会がなかったのもあり、縮んだ心臓は不安と諦めを叫び始めた。「コタローがこの状況を知ったら、噂を打ち消すために私と話さなくなるんじゃないか」という不安、「これを機に名字で呼び合って最低限の会話だけの関係になるんだろうな」という諦め。結果的に奇異の目に晒されたのは短い期間だけだったにしても、当時の私は疲れ果ててしまい、いよいよ登校が苦痛になってしまった。今日嫌なことがあったら明日は来ないと決めて登校した朝、教室前方のドアからコタローが顔を出したのが見えた。血の気が引き、不安と諦めが可視化される恐怖を覚えた。でも――コタローは大声で、「サチ! 数学の教科書忘れちゃった。貸してー」と、晴天が似合う調子で言ったのだ。噂は確実に耳に入っていただろうに、コタローは向けられる目をものともせず溌剌と私の名前を呼び、半ば呆気にとられるクラスメイトの合間を縫って私の席までやってきた。私はみんな以上にぽかんとしながらも、ドアからここまでコタローが歩いて来た道に、ぴかぴかと光が零れ落ちているのを感じていた。コタローは両掌を合わせて、「今度サチが忘れたら俺が貸すからさ」と悪戯っぽく白い歯を見せた。その瞬間、コタローの輝きが流れ込んできて、心臓は潤いを取り戻し、全身に光が満ちて、不安も諦めも吹っ飛んだ。コタローが吹っ飛ばしてくれた。私は立ち上がって教科書を渡し、「うん、約束だよ」と言いながら思った。コタローはスーパースターだ。あのゲームに出てくる、無敵のアイテム。ぴかぴかしながら走り抜け、困難を吹っ飛ばせるスーパースターだ。
あっけらかんとしたやり取りが付き合っていない根拠となったのか、噂や囁きは消えた。それからもコタローは、模試でⅭ判定だった高校に合格したり、高身長でなくてもバスケ部のレギュラーを獲ったりと、ますますスーパースターの輪郭を明確にしていった。
そんなふうに私は、コタローが輝く姿を六年間、ずっと見せてもらっている。だから今回の恋も、好きになった相手が同性だったとしても、コタローならハッピーエンドに辿り着けると思う。でもさっきの固い表情からして、コタロー自身は、道を阻む茨は太く壁は高いと考えていそうだった。ハッピーエンドを想像できるのは、コタローが私にとってのスーパースターだからか、私が恋をしたことがないからか。とにかく応援したい。たとえコタローの気持ちの全てをわかってあげられなくても、ハッピーエンドまで後押ししてあげたい。コタローがハッピーであれば一緒にいる私もハッピーになれるのだ。
<試し読み>コロスケとスーパースター 青葉える @matanelemon
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