第4話 堕天使、叢雲燐

 アクアが目の当たりにしたのは、布やびょうでぐるぐる巻きの黒い影だった。バケモノ、としか言いようのない外見なのに、三対の翼はどこか神秘的で、印象と見た目がちぐはぐだ。アクアの脳裏に「堕天使」という言葉が浮かんできたのは、身をよじって布を少しずつ外していくそれが、もとは「天使」だったような気がしてきたからだ。そうだ、そんな気がしてきた。


「あの、俺、車に轢かれて死んだと思ったんだけど」

長い黒髪、前髪も長く、顔はほとんど見えない。肌も翼も全体的に薄く黒みがかっていて、所々傷がついている。なのに不思議と不潔さは感じない。

「なんで俺が生きてるか、知ってる?」

「いや知らないよ!」

 アクアは鋭いツッコミを入れた。彼が息をするたびに、背中の翼がひらひら揺れている。神経がちゃんと通っていて、作り物じゃ無いことはわかった。

「あんた、車に轢かれて死ぬなんて、よほど油断してたんだね。どこの高校行ったって簡素【治療キュア】は必修でしょ?」

「なん……キュア? 女児アニメかよ。何言ってんだ?」

「あ、え? ジョジアニメ?」

 明らかに知らない単語が出てきた。アクアは一歩、二歩と後じさり、おずおずと訊ねた。

「ていうか、あんた、どこからきやがりましたですか?」

「日本の東京だけど」

「ど、どこ? 【アースガルズ】にそんな地名はありませんでございますが!」

「なんだよアースガルズって。ファンタジーか?」

「ファンタジーって何でございますですか!」

「お前口調おかしいよ!」

「あ、あたりまえでしょうが、こんなとんでもないことがおきて、正気でいられるかっちゅーんですだ!」

 アクアは混乱していた。混乱すると出る「いつものアクア」節だ。これが視聴者に大受けするのだが、今はただコミュニケーションを阻害するばかりだった。

 顔を真っ赤にしてなんとか言葉にしようとするアクアを見かねたのか、堕天使めいた男はあらためて口を開いた。

「……ちっ、仕方ねえな」

 立ち上がる巨躯は2メートルはあろうか。翼はその倍。たたむとそれほどでも無いが、巨大なのはたしかだ。

「俺は叢雲むらくもりん。日本の東京出身。十八歳。ここはどこだ?」

「あ、【アースガルズ】、鉄特区、ラクリ地域……北部ですけど」

「……ファンタジーだな。それじゃなきゃ夢を見てるんだ」

「あの、あなたは、……どちらから? 空から?」

「だから、日本の東京からって――でも死んだよな、俺」

 彼は――叢雲燐はアクアの目の前で自分の体を眺め下ろした。そして、首をかしげた。

「噂に聞くトラ転トラック転生ってやつ?」

「よくわかんないんですけど別の世界から来たって奴ですか?」

「たぶんそれ」


 ようやく両者の間で会話がかみ合った。

「だったら、地区統括棟に行って、【異世界転移申告】を取ってこなきゃダメですよ」

「なんだそれ。めんどくさ」

「大丈夫です。自分のもといたところさえ分かれば、すぐ通る申告ですから、多分問題ないです。もし不安なら学校帰りにでも付き添ってあげます」

「お前、良い奴だな。名前は?」

「アクアです。綾波アクア。十七歳になったばかりです」

「俺の一個下か。よろしくな」


 アクアは燐と握手を交わしたが――あまりの握力に、腕が取れそうになった。

「たーーーーーっ! 加減ってもんを知らないんですか! 手が取れるところでしたよ!」

「ごめん、この体に慣れてなくて」

「あんたの体でしょうが!」

「俺のものじゃないよ、絶対」


 燐はそう言い切って、翼を動かしてみたり、長い尾を振ってみたりした。


「俺が生きてたとき、体にこんなのついてなかったし」

「間違いなく?」

「間違いなく」

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俺堕天使、現代風異世界でダンジョン攻略RTAに手を出す。 紫陽_凛 @syw_rin

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