第3話

 少し言いにくそうに口ごもったりうつむいたりしながら、よりはやがて意を決したように文芸部に入った理由を話した。


「新入生向けの部活紹介で先輩がスピーチしてたでしょ。あたし、その姿に一目で惹かれてしまって。めっちゃ好みの外見の先輩がいる! ってテンション上がって、気がついたら文芸部に入部届を出してました」

「そういう理由……?」

「です」

「…………」


 まあ、よりちゃん好みになろうとしてのこの姿なので、釣られてくれてありがたいと思うけれど。

 私だと気づいてやってきたわけじゃないというのはなんとなく複雑だ。


「その外見ドストライクの先輩がなんでかあたしを可愛がってくれるし、もう、稲梓いなずさ先輩のこと、一発で『しゅきぃ……』ってなりましたね。文芸とか全然わかんないですけど、間違いなくここはあたしの楽園エデンだ! 文芸部と書いてエデンと読むんだ! なんて思ったり」

「エデンのくだりは意味不明だけど、それは……うん、ありがとう。けど依子、あんまり私にそういう気配を見せてないよね?」


 『よりちゃん』は好きなものははっきり好きと言うし、嫌なら嫌と口にする。思っていることは言葉に出るし仕草でわかるような、いわゆる『考えていることがわかりやすい子』だった。

 再び会った依子は全然変わっていなくて、部室で話していると昔を思い出すことが多かった。表情豊かで、思ったことは言葉になって出てくる。あの頃のままだと嬉しく思ったものだ。

 しかし、私に対する好意だけは一線を引いたようだった。懐いてくれているのはわかるけれど、あくまで先輩と後輩という関係以上にはならない、しないようにしている――そんな感じ。

 その点がよりちゃんらしくないと常々思っていたのだが。


「そりゃそうですよ」


 その疑問を、依子は一言で解決してくれた。


「あたしはやっちゃんと十年ぶりに再会できることを、まだかなまだかなと楽しみにしてたんです。それくらいやっちゃんのことが大好きなんですよ。だから稲梓先輩に浮気するなんてとんでもないと、必死に気持ちを抑えてたんです」

「そうだったんだ」


 依子は――よりちゃんは、。この十年間、片時も忘れずに。


「でも、先輩がやっちゃんだったから、もう遠慮しなくていいんですよね?」

「そうだね。……って、なんで泣いてるの」

「そんなの……やっちゃんに会えたのが嬉しいからに決まってるじゃないですか」

「泣くほど?」

「泣くほどです」


 ぐす、とはなをすすって、指で涙を拭いて。

 しかしとても嬉しそうな笑顔を浮かべて。


「そっか。ありがと」


 思わず依子を抱き寄せ、桜の花びらが乗った頭を撫でる。

 気のせいだと思うけれど……依子からすごく懐かしい匂いがした。

 私の大好きな、よりちゃんの匂い。メイクや香水を使っていてもわかる、元気いっぱいで、ひなたのような暖かな匂い。


「…………」


 ……うむ。ぎゅっと依子を抱き締めていたら衝動を抑えられなくなってきた。

 もっと嗅ぎたい。

 桜の木に彼女を押し付け、逃げられないように膝を依子の両足の間に押し込み、肩口に顔を潜り込ませる。


「……ちょ、先輩? 首筋をくんかくんかするのやめてくれません? くすぐったいんですけど……」

「ダメ。やめない。一年もおあずけ食らわされてたんだから、思う存分依子の匂いを堪能たんのうさせてもらう」

「えぇ……? 勘違いしたことは謝りますけど……だからってこんな」

「許さないから」

「うぅ……怒ってる顔も好き……」


 そんなことを呟きつつ、依子は私の腕の中でされるがままになった。



 ひとしきり懐かしい匂いを楽しんで、立っていられなくなった依子を桜の木の下に置かれているベンチに寝かせた。上気した真っ赤な顔で息も絶え絶えな頭を私の膝枕に乗せると、満開の薄紅色を見上げる。ゆるやかに吹き抜ける風に散った花びらがはるがすみの薄青い空に流れて白い軌跡を描いていた。


「ところで、やっ……稲梓先輩」

「やっちゃんでいいよ。二人でいるときだけね。……で?」

「じゃあ、やっちゃん。どうしてあのとき、『もう会えない』なんて言ったんです?」


 膝枕から私を見上げて、依子は長らく疑問に思っていたらしいことを言った。


「会えなくなる理由がやっちゃんの引っ越しとかなら仕方ないですけど、そうじゃないんですよね? この神社が家から近いんなら、会おうと思えば会えたんじゃないですか」

「そうなんだけどね。私は四月から小学校に上がって今までとは全然違う環境になってしまうから、もうここに来るのは難しいと思っちゃったんだよ。だから、そんなことを言ったんだ」

「家が変わらないんなら、あたしと学年が違っても学校の中で顔を合わせるくらいはできたんじゃ?」

「無理だよ。私と依子は通っていた小学校が違うんだから」

「……は?」


 何を言ってるの、とばかりに依子の目が真ん丸になった。

 本当にこの子は全然わかってないんだなぁ……。


「ど、ど、どういうこと……?」

「依子の家からこの神社に来るまでに、大きな橋を渡るでしょ」

「はい」

「そこで市が変わるんだよ。私の家はこの神社と同じ市。だから依子と同じ小学校に通うことはできない。……気づいてなかったの?」

「あたし、やっちゃんの家がどこなのか知りませんし」

「……そういえばそんなこと言ってたね」


 依子は私のフルネームすら知らないままだったんだ。

 そう考えると、名前も住んでいるところも知らずに仲良く遊んでいられる『子ども』の無邪気さってすごいのかもしれない。

 ちなみに、私は先述の通り、依子の家の場所を知っている。それも彼女と出会って半年も経たない頃から知っていた。

 それはつまり、私のほうから訪ねて行くことができるということであり、依子が言うように会おうと思えば会える環境にあったということだ。そのことに気づいたのは、小学校に入って割と早い段階だった。

 だが、私は会いに行こうとしなかった。

 だって……「もう会えない」「でも十年後に会おうよ」なんてちょっとカッコつけたことを言っておいて、すぐに会いに行くなんてそんな恥ずかしいことができますか⁉

 私にはできませんよ!

 だから約束の日を待つことにしたんですよ!

 ……と、無表情な私の心の中でいろいろなものが爆発しているのを知ってか知らずか、依子はぽつりと呟いた。


「そうですよね、小学校も中学校も違うんじゃ、会うのは難しいですよね……。あ、だから一緒の高校に通える『十年後』ってことなんですか?」

「いや、その辺は適当。物語なんかで『十年後に会おう』なんてシーンがあったからとっさに言っちゃっただけというか」

「えぇ……? ちゃんと意味があるもんだと」

「六歳児にそんな先を見通したことが言えるわけないでしょ。一緒の高校に通うのだって、依子が私の進路を知らなきゃできないことだし」

「そっか……ですよね……」


 約束の日は三月の終わりで、その頃には中学三年の依子の進路はすでに決まっていたはずだ。無事再会できていても、私が通う高校に変更することはできない。

 依子が同じ高校を選んだのはまったくの偶然。まさに――


「だとすると、すごい『奇跡』が起きたってことになりません? 一年遅れでもこうやってやっちゃんと再会できて、しかも同じ高校だったのって、とんでもない奇跡ですよね?」


 私が思い浮かべた言葉を口にして、依子は微笑んだ。それにつられて私の頬も緩む。


「だね。まず依子が約束を十年間覚えていたことが奇跡だし、依子が県内有数の進学校で知られる高校ウチに合格したことも奇跡だし、まったくそういうキャラじゃないのに文芸部に入部したのも奇跡なら、約束すっぽかした上にずっと一緒にいたのに全然気づかないあんたに私が激怒しないのも奇跡だわ」

「……やっちゃん、あたしをバカにしてます?」

「奇跡なんて一つ起こすだけでもすごいのに、これだけ重ねた依子はとんでもないって話よ」

「え、いやぁ、それほどでも」


 へへ、と嬉しそうに照れ笑いする依子。

 ちょっと心配になるほどチョロい。

 でも、これだけの奇跡を起こしてくれたことは本当に感謝したい。

 私が言い出した約束を覚えていてくれただけでも十分嬉しいのに、奇跡であれ何であれ、約束通りこの桜の下で改めて再会できたのだから。一年前に文芸部のドアを叩いた依子が私に一目で気づいていたら、私の膝枕でが笑っている今この瞬間はなかったのだから。

 そう思うと、心から――涙が出るほど嬉しい。

 愛おしい。

 心の奥底から温かな感情が溢れてくる――


「――依子」

「はい」


 答えた依子の頬に、桜の花びらがひらひらと舞い降りた。

 けれど依子はそれに気づいていないのか、じっと私を見つめている。

 その顔がなぜだかおかしくて、言おうとしていた言葉が引っ込んでしまい、違うものが出てきてしまった。


「本当によりちゃんはぼんやりさんだなぁ」

「……?」


 どうして私にそう言われたのかわからず、依子は頬に花びらをくっつけたまま、不思議そうに首を傾げた。





     完


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十年後、この桜の下で 南村知深 @tomo_mina

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