第2話

 部室の戸締りをして私とよりは帰路についた。学校から駅まで徒歩三分、電車で五駅、そこから徒歩で十分ほど。依子の家はそこにある。

 話にあった神社はさらに歩いて、大きめの川に架かった橋を渡って五分程度の場所だ。


稲梓いなずさ先輩、そろそろ話してくださいよ。どうしてあたしがダメなのか」


 依子の家を通り過ぎた頃、押し黙って後ろを歩いていた依子がしびれを切らしたように口を開いた。道中ずっと理由を考えていたようだが音を上げたらしい。

 本当に残念な脳ミソをしているな、この子。


「いや、なんだけど……」

「……?」


 ここまで言っても依子は首を傾げたままだった。

 本気でわからないようだ。


「さっきの話を聞いていると、依子は五歳のときにその『やっちゃん』と約束をしたことになってるね」

「そうですよ」

「で、場所も日付も間違っていないと、君は主張するわけだ」

「そうです」

「でも、会えなかった」

「はい。だからやっちゃんが約束を忘れていて、来なかったんだと……」


 依子は少し怒ったような、悲しむような、複雑な表情で呟いてうつむいた。

 私はそれを肩越しにちらりと見て、ふむ、と息をつく。

 視線を前方に戻すと、山というには小さい丘が視界いっぱいに飛び込んできた。今歩いている道がそのふもとに続いていて、そこから手入れされた針葉樹林を二つに割るように石段がまっすぐ続いている。少し視線を上げると朱色の鳥居があり、石段をのぼれば神社の本殿も見えてくるだろう。

 私と依子はその石段の前で立ち止まり、七十段余りのそれを見上げる。


「それがねぇ……来ていたんだよ。『やっちゃん』は約束どおり、神社の桜の下に」

「そんなはずないですよ。あたし、ずっと待ってたし、探しましたし。……というか、どうして先輩が知ってるんですか?」


 その質問に答えず、首を傾げる依子を置いて石段をのぼる。

 小さい頃は果てしない長さと高さに感じたものだが、高校生になった今ではむしろこんなに低かったのかと思ってしまう。それだけ体が成長したということなのだろう。

 私が最後の一段に足をかけたところで依子が私を追い越して駆け上がり、先に鳥居をくぐった。そして仕返しするように私を置いて本殿に続く石畳をどんどん進んでいく。その背を追って、私は無言で歩いた。

 やがて私たちは本殿の裏手にある広場に足を踏み入れた。よく手入れされた濃い緑色の芝が、降り注いだ桜の花びらの白とのコントラストでまばゆいほどに輝いて見える。


「これが約束の桜ですよ」


 依子は広場の真ん中に一本だけ植えられているソメイヨシノに手を添え、旧友を紹介するように言った。

 私はそれに無言でうなずいて応える。

 立派な木だ。手入れもされていて、大切にされていることがよくわかる。


「あたしはちゃんと、ここで待っていたのに……」


 今にも泣きそうな顔で依子が呟く。

 約束どおり桜の下で待っていたのに『やっちゃん』と会えなかった理由。

 それは――だ。


「……ところで依子は高校一年生だっけ?」


 そう尋ねると、依子は眉間にシワを刻みながら私を睨むように目を細めた。


「は? 何を言ってるんですか。そうですよ。数日後に二年生になりますけど」

「ということは、十六歳なんだよね?」

「そうですよ」

「約束したのは五歳のときだっけ?」

「はい。……って、何度これを言えば覚えてくれるんですか」

「なんでこれだけ言って気づかないんですか」

「気づくって何を?」


 依子の口調を真似て返すと、それに少し腹を立てたらしく、私に食ってかかろうと一歩踏み出した。

 が、すぐにを理解したようで、目を見開いて大声を上げた。


「ああ! そういうことかぁ!」


 ぽん、と手を打って、ぱっと表情を変え、依子は私を見た。


「五歳のときに十年後の約束をしたんだから、あたしが十五歳のときに来なきゃいけなかったんだ……!」

「正解。が昨日ここに来ても。だから会えなかった」

「そうかぁ……そうだったんだ……」


 謎が解けててんがいった――と同時に、依子は酷く悲しそうに顔を伏せた。

 おそらく、約束を破ったのが自分のほうだったと理解し、『やっちゃん』を落胆させたと思っているのだろう。

 派手な外見からは想像できないが、依子は他人の気持ちに寄り添える良い子なのだ。まあ、見てのとおりちょっと抜けているところもあるけれど。

 私はそれをよく知っている。


「やっちゃん、怒ってるかな……悲しんでるかな……」

「んー……依子のことだし、忘れてなくても日付を間違えるくらいはするだろうなって予感はあったと思う。あと、去年は受験で忙しくてそれどころじゃなかったかもって。約束した当時はそこまで考えてなかったし。だからまぁ……落胆したけど、会えないのは仕方ないかなと思ったよ」

「そう言ってもらえると助かります」


 私の言葉で安心したのか、依子は申し訳なさを残しつつ口角を上げた。

 そしてすぐにまた眉間にシワを刻む。


「……で、なんで先輩がやっちゃんの気持ちを語っちゃってるんですか」

「なんでこれだけ言って気づかないんですか」


 本日二度目のセリフ。

 それでも依子はわからないとばかりに首を傾げたままだった。

 ……さすがの私もここまで察しが悪いとは思わなかった。

 仕方がないので、ほぼ答えに近いヒントを出すことにする。


「ねえ、依子。私の名前、知ってるよね?」

「それくらい知ってますよ。いなずさ八千代やちよですよね。いくらあたしでもよくしてくれる先輩の名前は覚えてますって」

「うん、正解。私の名前は『』なの。何か気づかない?」

「…………?」


 ああ、もう、この子は……!


「本当によりちゃんはぼんやりさんだなぁ」


 声のトーンを上げて、幼い感じの口調で、


「え……そのセリフ……その言いかた……」


 ここまでやれば依子も気がついたらしい。表情が急激に変わっていく。

 そして。


「や……やっちゃんだぁぁぁぁぁぁぁッ⁉」


 周囲一キロメートルくらいの空気をすべて振動させるほどのだいおんじょうで叫び、依子はメイクで大きく見せている目をさらに見開いて、穴が開くほど私を見つめた。


「ほっ、本当に、稲梓先輩がやっちゃんなんですかッ⁉」

「そうだよ。一年も一緒にいるのに全然気づかないんだもの。だから今日、この話が出るまであの約束も完全に忘れてると思ってた」

「いやいやいやいや、気づくわけないですよ! だってやっちゃんはショートカットの髪で、男の子と間違うほどボーイッシュな感じでしたもん! というかやっちゃんって年上だったんだ⁉ ああ、だからしゃべりかたが大人っぽくて男の子みたいだったんだ⁉」


 ごめんそれは違う。当時読んでいた本の大多数が男の子を主人公にしたファンタジーものだったから、影響されてそういう話しかたになっていただけです。小学校に上がったときにクラスの子から変だと言われて矯正したけど。

 今は依子に思い出してもらうように、わざと昔の話しかた(男の子っぽい感じ)をしていた……つもりだが、全ッ然気づかれなかったようだ。私には演技の才能がないらしい。


「今のサラサラ黒髪ロングヘアでいかにもお姫様な感じの先輩を見て同一人物だってわかるわけないじゃないですか!」

「依子……じゃなくて『よりちゃん』はこういう女の子が好きって言ってたからね。次に会うとき、私が変わっていたらビックリしてくれるかなってイメチェンしたんだけど」

「月までぶっ飛ぶ衝撃ですよ……」


 驚きと、照れくささと。その両方が同居したように笑って、依子は桜に背を預けた。そのときちょうど風が吹いて、幾多の薄紅色が降り注いで依子を包む。去年見ることができなかった景色を目の当たりにして、胸の奥から小さな熱がせり上がってくるように感じた。


「それはこっちのセリフだよ。去年、ここで『よりちゃん』を待っていたのに来なくて、約束を忘れちゃったのかなって悲しくなって……でも五歳だったし、忘れても仕方ないよねと諦めて。それで未練を断ち切って普段どおりの生活に戻ろうと思ったら、その数日後に『よりちゃん』が文芸部に来ちゃったわけで。見た目が派手になってたから別人かとも思ったけど、名前を聞いたら同じだし、話してみたら当人だよ。もうね、何が起きてるのかわからなくなるくらいビックリした」

「そういえば入部して自己紹介したとき、先輩は幽霊でも見たような顔してましたね。今思い出しました」

「そりゃ、約束の日に会えなかった子がやってきたんだからそんな顔にもなるよ。……でも、なんで文芸部に来たの? そういうキャラじゃなかったでしょ?」

「ああ、いや、それは……」


 少し口ごもり、依子はチラチラと私を窺うように横目を向けてぽりぽりと頭を掻いた。


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