十年後、この桜の下で

南村知深

第1話

 らいしゅうに迫った新入生向けの部活紹介でのスピーチはどうするか、という話し合いが我が文芸部内で持たれ、「文芸部です。よろしく」という一言だけでいいよね、となんともやる気のない決定で終わった、ある春休みの午後。

 総勢四名だけの文芸部の副部長と部員の一人は話し合いが終わると早々に帰ってしまい、部室に残っているのは部長である私と後輩の四万しまよりだけとなった。

 私は読みかけの文庫の続きを読んでいて、依子はスマートフォンを片手にぽりぽりとお菓子をついばんではオレンジジュースでそれを流し込んでいた。まあ、いつもの光景である。


稲梓いなずさ先輩。小さい頃の約束って覚えてます?」


 そんな中、依子が急にこんなことを言い出した。


「……どうしたの、急に」


 本当に唐突だったので思わず文庫から視線を上げる。彼女は私のほうを見ることなく、机に伸びてスマートフォン目をやったまませわしなく指を動かしていた。

 明らかに地毛ではない明るい色の髪を真っ白なシュシュでまとめて背中に垂らし、前髪はうつむいた姿勢でも垂れてこないようにヘアピンで留めている。確実に教師から目をつけられているだろう派手なメイクと瞳が大きく見えるカラーコンタクトレンズのおかげで、どこから見ても流行の最先端を追い求めている女子高生ギャル以外の何でもない外見だ。地味女子の見本のような私とは正反対である。

 制服もおしゃれ優先で着崩していて、大きく胸元を開けたブラウスから覗く谷間には深淵しんえんの闇が見える。いまだスポーツブラで用が足りてしまう日当たり良好な私の丘とは育ちが違うらしい。本当にこの世はかくも不平等にできているのだと実感させられる。

 と、無意味で果て無き虚しさを感じる比較はさておき。


「小さい頃って、どのくらい? 小学校?」

「いえ、その前です」


 答えて依子はスマートフォンを机に置いて起き上がり、ふるふると首を振った。真面目な質問らしく、冗談めかしたいつもの表情は鳴りを潜めている。


しゅうがくの約束ってこと? さあ、人によるんじゃないかな」

「ミシューガクジ……? 何語ですかそれ」

「学校に通う前の子供のこと。れっきとした日本語」

「メッキした日本語?」

「……依子、あんたほんとに」


 文芸部員なの? という言葉の代わりに無意識にため息が漏れる。

 と言っても、依子にあきれたのではない。

 我が高校には面倒くさい校則があり、その一つが『当校生徒は必ず部活動に参加しなければならない』というものだ。そのため、部活に興味がない生徒はほとんど活動していない文化系の部活に籍だけを置いている。

 依子もそんな一人らしく、文芸部らしい活動は一切していない。他の籍だけユーレイ部員に比べて部室に顔を出す回数はずっと多い(というか皆勤レベル)ものの、彼女が部室内でスマートフォンと勝手に持ち込んだお菓子以外を手にしているところを私はついぞ見たことがない。

 そんな本(電子書籍を含む)をまったく読まない文芸部員に日本語を云々うんぬんしようとした自分がバカらしくなって、ため息が漏れたのである。


「……?」


 依子は私の様子を見てキョトンとしていた。

 その顔を見ているとなんとなく怒る気も失せてしまう。何だかんだで私に懐いてくれているし、私も思うところがあってこの後輩を可愛がっているからだろう。

 話を戻す。


「まあ、それはいいとして……誰かと約束したの?」

「そのはずなんですけどね……覚えてたのはあたしだけだったというか。来なかったんですよ、相手が」

「……話がよくわからないんだけど。詳しく内容を聞いても?」

「いいですよ。別に秘密にしなきゃなんないことでもないですし」


 あっけらかんと言いながら依子は飲み残していたオレンジジュースを一気に飲み干して、こほん、と咳払いを一つ。


「近所にすごく仲の良かった女の子がいたんですよ。出会ったのは三歳くらいだったと思うんですけど、おばあちゃんに連れられて近くの神社に行ったら、そこにいたんです」

「ふうん」

「神社の裏に桜の木が一本だけ植えてある広場があって、そこに小さなベンチがあるんですけど、その子はベンチに座って本を読んでて。髪が短くて、半袖のシャツにハーフパンツをはいてて……」

「男の子と間違えた?」

「はい。すごく怒られたから必死で謝りましたよ。それがきっかけで話すようになって、仲良くなって、おばあちゃんがいなくても毎日のように神社に行くようになりました」


 その話しぶりと子供のように輝かせた目を見ていると、よほど楽しかったのだろうとわかる。依子は表情が豊かで、見ていて飽きない。


「やっちゃんはいっぱい本を読んでて、いつもその話をしてくれるんです。それが面白くて、一生聞いていられるかもとか思ってました」

「やっちゃん……?」

「あ、その子の名前です。つい最近気づいたんですけど、実はやっちゃんのフルネームを知らないんですよね。家がどこかも知りませんし」

「えぇ? 仲良しだった子の名前も家も知らないのはどうかと思うんだけど」

「でも神社に行けば会えましたし、『やっちゃん』って呼べばそれでよかったんで、気にしてませんでした」


 へへ、とだらしなく笑って誤魔化す。

 まあ、三歳児なら仕方ないか。それくらいの年頃としごろだと自己紹介という概念もなさそうだし。かく言う私もそれくらいのときにフルネームで自己紹介をした覚えがない。


「そんな感じでいつも遊んでいて、それが五歳になるまで続いて。やっちゃんと一緒にいられるのが嬉しくて、楽しくて、大好きでしたよ。でも……ある日、やっちゃんに元気がなくて、すごく悲しそうな顔をしていて。ちょうど今みたいに、桜が満開の季節でしたね」


 依子は部室の窓の向こうの桜並木をじっと見つめていた。釣られて私もそちらに目をやる。満開と言うには少し早いかもしれないが、現時点でも嘆息するほど美しいと思う気持ちに変わりはない。


「心配になって、どうしたの、って訊くと、『もうすぐよりちゃんと会えなくなる』って。すごく悲しそうな顔で言うんですよ。どうしてって訊いても、仕方のないことだからって。よりちゃんに言ってもどうにもならないからって。そんなことを言ったんです」

「今の依子を見ていると建設的な解決策をいだせるようには思えないし、当時もそうだったんだろうね」

「ですねぇ」

「いやそこは否定するところだよ。けなされてるんだから」

「事実なんで」


 言って、えへへ、と笑う。口に出して言ったことはないが、依子は笑うとかなり可愛い部類に入る。少なくとも私史上で無二だ。


「ともかく、そんなふうに言われちゃ、あたしは何も言えなくなって……そうしたら、やっちゃんが言ったんです」

「何を?」

「真面目な顔で『十年後、この桜の下でまた会おうよ。約束だよ、忘れちゃダメだよ』って」

「幼児の語彙ボキャブラリーでよくそんな言葉が出たもんだ」

「やっちゃんは本が大好きでしたからね。小学校で習う漢字なんかも普通に読んでましたし、難しい言葉も知ってたんじゃないですかね。ひょっとしたら今頃は先輩くらいの本好きになってるかもしれないですね」

「そうかもね」


 文芸部に校則逃れではない理由で入部し、自ら部長を買って出るのは本好きと言えるのだろうか……と疑問が湧いたが、話の腰を折るのもよくないので適当に流しておく。


「……で、そのやっちゃんの約束がなんだって?」

「ああ、そうなんですよ。忘れちゃダメだよ、ってやっちゃんが言うから、あたしは家に帰ってすぐに『じゅうねんご、じんじゃのさくらのき』ってお母さんに紙に書いてもらって、部屋の壁に貼ってたんです。だからずっと忘れずにいて……それで昨日、十年経ったから約束どおり神社の桜の木のところに行ったんです。でも……」

「会えなかった?」

「そうなんですよ。日付を間違えたりもしてないですよ。何月何日ってちゃんと覚えてますから。……酷くないです? 忘れちゃダメって言った本人が来ないなんて」


 わかりやすく頬を膨らませて、眉間にシワを寄せて、依子はぷんすかと怒りをあらわにした。

 なるほど、そういうことか。


「確かに酷い。ダメすぎる」

「ですよね、先輩もやっちゃんが悪いって思いますよね?」

「ダメなのは、依子。

「ええっ⁉ あたし⁉」


 この返答はまったく予測していなかったと見えて、想像以上に驚いて目を丸くした。

 なぜそんな風に言われるのかということに本気で気づいていないのだろう。


「なんであたしのほうが悪くなるんですか!」

「そうだなあ……このあとの予定は何もないから、その神社に行ってみるというのはどう?」

「え? どうして?」

「行って損はないと思うし。歩きながら依子の残念さの説明もしてあげよう」

「……よくわかんないですけど……先輩がそう言うなら」


 ここで何を言っても私の態度が変わらないと理解したらしく、依子はいったん怒りのほこを収めた。


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十年後、この桜の下で 南村知深 @tomo_mina

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