エピローグ-②
「領主さま、こちらが今回の出征にかかわる収支の結果です」
どん、と執務机に置かれた書類を見て、ディムがげんなりとした表情になる。
ちらと見れば、書類を持ってきたフレノールも苦い顔をしている。
「……わかっていると思うけど、結果は?」
「赤です」
「だよなあー……」
一緒に魂が出てしまいそうな重いため息が出た。
サビオリ男爵を追い出す際に押収し、現金化した貴金属はある。だがそれはあくまでも臨時収入であり、ここで消費するには惜しい財産だった。
急な戦争だったこともあって徴用のための移動費や食費、さらには暖を取るための資材費用などなど……。思いのほか捕虜になった
しかも国の捕虜返還に応じず残った王国兵もいて、雀の涙の貯金を崩した結果、領地の収支は大赤字に転じた。
赤字は今に始まったことではないのだが、この出費は痛い。
「幸運なのは、他の村に被害が出なかったことでしょうか」
「たしかになぁ」
領地の境界線で相手をせき止められたのは、まさに幸運だった。近隣の村を占拠されたら、被害はさらに拡大していただろう。
「ん?」
書類をぺらぺらとめくっていたディムが、ふと手を止める。
「これなんだ?」
「ああ、孤児院で最近栽培を始めたというユキネソウですね。試験品を慈善病院で取り扱い始めたそうです」
ユキネソウを使った火傷薬は貴重品だ。手間のかかる栽培方法のため、領内でもこの薬は高値で取引されてきた。しかも安価な粗悪品で重症化させてしまう場合もあり、悩みの種の一つだったのだ。
そのユキネソウを使った火傷薬で、試験的に王国兵の火傷を治したと記されていた。ウェンディの治癒魔法もあるだろうが、兵士たちは無事に完治したという。栽培が軌道に乗れば、教会や病院にとって大きな収益の一つとなるはずだ。
「……そうか」
発案者の名簿にウェンディの名前を見つけ、自然と顔がほころぶ。
表向きはオズワルドと共に死んだことにされたので、王都には戻れない。もっとも、貴重な
一方でオズワルドは正式にクィエルの私有軍の一員になり、他の兵士と共に汗を流している。大将を討ったことで十人隊隊長へ昇格したが、復興が最優先の今はもっぱら土木作業である。どうやらこの下剋上の話を捕虜や兵士たちも聞いたようで、作業の合間に徒手空拳の打ち合いをしては現場監督に怒られているらしい。
本人は不満たらたらだが、ディムの息抜きを兼ねた本気の打ち合いを週に一度おこなうことで手打ちとしてもらっている。
ちなみにこの打ち合い、回を重ねるごとにギャラリーが増えてきてしまっている。依然無敗のディムと、それと互角に打ち合うオズワルドの戦いぶりに老若男女を問わず白熱しているのだ。最近では人が増えすぎてしまっているので、練兵場ではなく街の外に会場を設置しようかとの意見が出ている。
「領主さま」
ノックの音と共にリュミスの声が転がり込む。
「近隣の村からの嘆願書をお持ちしました」
「ああ、入ってくれ。フレノール、下がっていいぞ」
「はい」
リュミスの入室を許可し、同時にフレノールに退室を促す。
入れ違いでやって来た彼女の書類に目を通しながら、彼女が入れてくれた紅茶をすする。
「……あの、領主さま」
「ん?」
書類から目を離してリュミスを見ると、彼女は申し訳なさそうな、それでいてどこか嬉しいような表情を浮かべていた。
「二度も、助けていただいて……ありがとう、ございました」
「…………」
ディムの顔から表情が抜け落ちる。
二度。そう、二度だ。ディムは二度、彼女を救っている。
二度目は先日のアントニオから。
では一度目は?
これも実はアントニオが絡んでいる。
学園の卒業パーティの最中、リュミスは卒業生たちに連れ出され暴行された。その最初の毒牙がアントニオだったのだ。
彼は自らの権力で、秘密裏に各学園の生徒に接触していた。そして報酬を餌に、手ごろな
夜風にあたっていたディムが惨状に気付いたのは、すべてが終わり、彼女が一人で路地裏に放置されていたところだった。
「俺は、君を助けられていないよ」
ティーカップをソーサーに戻してディムは言う。
「一度目も、二度目も」
学園に在籍している間、何度も
そう言い訳をして、けれど毎晩悪夢に苛まれてきた。無視してきた彼らからの怨嗟の声。生きたまま皮を剥がされ骨が砂のように砕け散っても、まだ足りないと呪う声。
だからあの日、彼女を助けたのはほんの気まぐれだったのだ。
今日をもってクィエルに戻る。ベネディクトとの約束を果たすため。その時の土産の一つとして。自分の罪悪感を少しでも軽くするための姑息な行動だった。
「それでも、です」
リュミスが断言した。
「あの日、私はたしかに救われたんです」
冷たい路地裏から誰かが抱き上げてくれた。もう大丈夫だよと微笑みかけてくれた。
その安心感は、筆舌に尽くしがたい。
「それに、皆さん照れて言わないだけですけど、裏で言ってるんですよ?」
裏で、のフレーズにディムは肩を強張らせる。
「領主さまは救世主さまだ、って」
ディムの目と口が、ぽかんと開かれる。虚を突かれたその表情に、リュミスはいたずらが成功した子どものように笑った。
「ふふっ。それにあそこまで命を張って守ってくれたら、こちらも命懸けで恩返ししなきゃと思うじゃないですか」
「……そうか」
ディムはぎこちなく笑った。
脳裏に、擦り切れるほど読んだ手紙の文字がよみがえる。
――私の命はここまでだが、お前は私の志を継いでくれると信じている。
託されたのだ。あの日、運命に抗おうと脱走した時から、多くの人を巻き込んで変わろうとしている。
「なら、俺だけ休んでいるわけにもいかないな」
「ほどほどにしてくださいね?」
「善処する」
言葉を交わしながら、ディムは書類へ目を通していく。
クィエルは変わっていく。それを国は黙って見ていないだろう。
しかしディムたちはそこに抗う。
もう二度と、土と血に塗れた場所には戻らない。
そこへ、音を立ててドアが開かれた。
「おいディム! 今日は試合のはずだろ!?」
「それは明日だ、あとノックをしろド阿呆!!」
追いかけてきた同僚にオズワルドが引きずられていくまで、あと一分。
「はい、これで大丈夫ですよ」
「おお……! すげえ! ありがとな、嬢ちゃん!」
足場から落ちて腕と足を折ってしまった作業員は、その場で飛んだり跳ねたりして礼を言う。と、振り回した腕が足場に当たっていい音を立てた。
「い……ったあ~~!?」
「何やってんだよ、馬鹿!」
「うるせえ! じゃな!」
軽口を飛ばし合いながら、作業員は持ち場に戻っていく。
「気を付けてくださいねー!」
その背中にそう呼び掛ける。いくらウェンディの魔法が強力でも、限度というものがある。
ディネージュを始め、クィエルの各地で再建の動きが活発になる。
街の外れでは温室を作って、一年中作物が育つように計画を練っていると聞いた。
寒さで吐く息を白く染めながら、道行く人々の表情は皆明るい。
そこに貴族も平民も
「ウェンディちゃん! こっちお願いできるー?」
「はーい!」
先輩看護師の声に振り返り、ウェンディは慈善病院へ向けて駆け出した。
了
領主さまは救世主 長久保いずみ @IZumi_NaGakubo
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