エピローグ-①
王国軍が負けたというニュースは、意外にも人々へさほど広がらなかった。
詳細を知らされていなかったことが大きな理由だが、そもそもクィエルという縁もゆかりもない地方がどうなろうと、国民の大多数は知ったことではないのだ。
貴族にも箝口令が敷かれ、結果としてアントニオが行方不明になった事実だけが残り、それも次第に人々の記憶から薄れていった。
「――して、そちらの願いは?」
高い天井とそれを支える重厚な柱。大理石の床に敷かれた真紅のカーペットが夏の熱気を受けて燃えるように熱い。
「自分に、クィエルを運営する権利を」
汚物を見るような視線の数々を浴びながら、ディムは真っ直ぐに国王の目を見て答えた。
「痴れ者が!」
思わず口を挟んだのはそばに控えていた大臣だ。
「ぬけぬけと侵入して来たかと思えば、クィエルの自治権だと?
それを皮切りに、他の重鎮たちも同意するように罵倒を浴びせる。
だがディムは表情を一切変えず、彫像のように国王から視線を外さない。
ヒートアップする大臣たちを、国王が片手で制した。
「……本当にそれだけか?」
「信じられないようでしたら監視役をつけても構いません。ああでも、誠意ある方が望ましいですね」
暗に「またでっち上げたら容赦しないぞ」と脅してくるディムに、国王はその柳眉をひそめる。
「貴様……!」
「よい」
抜剣する勢いの武官を制し、国王は再度問うた。
「我が息子、アントニオに今会えるか?」
「ええ。……失礼」
ディムは口の中を噛み、その血を掌に吐き出す。
「
ずるり。
ディムの影が実体を持って膨らむ。ボロボロのローブを着た魔導師のような何かが現れた。
《おや、これはまた勢揃いだ》
驚き後ずさる王や大臣らを睥睨して、魔導師――
《して、我が愛し子よ。何用かな?》
「王子をここへ」
《ああ、いいだろう》
カーペットに投げ出されたのは、間違いなくアントニオ王子だった。
「で、殿下……!」
大臣の一人が思わず声を上げる。久しぶりの日光に目を細めながら顔を上げたアントニオは、その先に立つ人物を見て生気を取り戻した。
「ち、父上……!」
「父上、助けてください。あれを、あの化け物を殺してください!
懇願する息子を前にして、国王は努めて冷静な声で問う。
「アントニオ、何があった?」
「化け物が、あいつらが、ぼくのことを人殺しだと! 人なんて殺していないのに! ぼくは悪くないのに!」
脈絡のない言葉の羅列がアントニオの口からほとばしる。
「なんで、ちょっと遊んだだけで壊れる玩具だったのに、楽しかったのに、楽しんでくれたはずなのに、あいつらだってぼくに遊んでもらえて幸せだったのに!」
《――玩具、か》
くつくつと、怒りと侮蔑を孕んだ笑いが
《現実と妄想の区別もつかないような王の世迷言を真に受けてなぁ……。その果てが、我が子らへのあの扱いか》
思わず身震いするほどの寒気。真夏のはずなのに、突然冬が来たかと思うほど体の底が冷えた。
《のぅ? 時の王よ》
フードの下から
《我が子らが、如何様な罪を犯したか述べてみよ》
「…………っ」
玉座にへばりついた王の額から汗が流れ落ちる。
精霊を前に嘘は通じない。今まで精霊と相対する機会がなかったから、その誹りを免れていただけだったと気付かされる。
たかが
それだけは、絶対に阻止せねば。
《時間切れだ》
国王が口を開く前に
助かった。国王が静かに息を吐き出す。
《それがそちらの答えなら、仕方あるまい》
対応を誤ったと気付いても、もう遅い。
「ま、待て……!」
《この王子はワシが預かろう。ディムよ、ワシは一足先に動いておるぞ》
「はい」
ディムが頷いたのを見て、
「ま、待って、父上……っ!」
伸ばした手はついになにも掴まず、
「…………貴様」
国王がカラカラの喉を動かしてようやく言った。
「何をする気だ……?」
「領地の復興です」
ディムは答えた。
「いかんせん、サビオリ男爵の残した爪痕が深いので」
「……そうか」
昨年の冬に起きたクィエルの大飢饉。元々寒さの厳しい場所だが、あの時は輪をかけて寒く、王都でも暖を取るための薪が高騰した。国としてもクィエルへ物資の支援をおこなったのだが、結果はかの地の領民が文字通り半減した大災害となった。支援物資のほぼすべてを男爵一家と周辺貴族で消費していたと聞いた時は、怒りを通り越して呆れたものだった。
だが、それはそれ、これはこれだ。
「クィエルの新たな領主はアントニオの子とする」
深く息を吐きだした後、国王はそう言った。
「監視役は追って派遣する。そなたには、子が一人前になるまでの暫定的な運営権を与える」
「――はっ、ありがたき幸せ」
恭しく礼をしながら、ディムは内心で臍を噛む。
アントニオを後継者づくりのために僻地に幽閉しながら、牽制のためにまだ見ぬ孫を盾とする。
「領地の再建に邁進せよ。下がれ」
「はっ。失礼いたします」
礼をし、堂々と退室するディムが扉の向こうに消えたのを見て、大臣たちは一斉に国王に詰め寄った。
「陛下、よろしいのですか!?」
「このままでは後継者が……!」
「弟や姉君に子どもがいたはずだ」
国王は疲れた声で答えた。
「そちらに任せよう。あれを甘やかしすぎた」
本来なら、異母兄弟を殺した時点でしかるべき措置を取るべきだったのだ。だが、直系の子どもだからと、最後の一人だからと、色々と言い訳をして問題を先送りしてきた。
その結果、国の根底を揺るがす秘密を握られたらたまらない。アントニオの命で国が生き延びるのなら安いものだった。
翌日、ランプレーシュ王国全体から
あらゆる仕事が成り立たなくなり、国は大混乱に陥る。
ディムの仕業ではないかと疑う声が出て、すぐにクィエルに人が派遣される。しかし人が増えた様子はなく、この大規模な失踪事件は未解決のまま闇に葬られた。
クィエルの都ディネージュの地下に、近くの廃鉱山に繋がる通路があること。闇魔法でそれらを隠蔽されたのだと、彼らはついぞ気付かなかった。
この日を境にランプレーシュ王国はゆるやかに滅亡の道を歩み始める。
それを知るのは、のちの世の歴史学者だけだった。
クィエルへ帰還後、すぐにアントニオは解放された。
彼に用意されたのは小さな部屋。
領主の屋敷の最上階にあるそこは、管理室という名の貴人専用の牢。
魔力を吸収する特殊な陣が彫られた魔法石で囲まれたそこで罪人は一生を過ごす。
どれだけ暴れても、泣いても、許しを乞うても、誰にも届かない。
自殺を試みようとすれば悪夢が何度もアントニオを切り刻む。
それでも心は狂えず、飼い殺しの日々が続く。
それが何度繰り返されただろう。
ある時から、ぱたりと部屋から反応がしなくなった。
衛兵が覗き窓から確認するが、ベッドにうずくまる姿しか見えない。
食事は減っているから、拗ねているだけだろうと衛兵は気にしなかった。
彼らは気付かなかった。
空腹が限界に達すると、悪夢が食事を急いてくること。
飢えと渇きを満たせば、悪夢に苛まれないと彼が気付いたことに。
アントニオ=セシル=ド・ランプレーシュは、六十歳で息を引き取るまで悪夢に怯え続けていた。
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