夜のアートマイム劇場

無音の不思議な時間

 J先生のアートマイムの舞台を初めて観賞した。

 観客席と舞台が近い。

 ひとりの友人を連れて最前列に座る事が出来た。


 しばしの間、日常から離れた無音の不思議な時間を過ごした。


 あれはいったい何だったのか?

 脳裏に焼きついているその舞台を思い返しながら、言葉にして書く事に挑戦してみた。


 ⚡︎


 自分がこの世に誕生して初めて見る砂

 溢れ出す好奇心

 丁寧に触れてみる

 掬ってみる

 その手から溢れ落ちる砂

 愛おしくてたまらない


 自分の思い通りにならない砂

 愛おしいが故に憎しみが湧く

 怒り


 怒りの中に喜びを見い出す

 困難も痛みも喜びに変わる

 笑顔

 声のない笑い

 幸せ

 見ている自分も笑顔になり笑いたくなる


 そんな喜びも永遠には続かない

 見えたと思えば遠ざかる光

 届きそうで届かないもの

 掴めないもの


 そうして死は近づいてくる

 自分が愛し憎んだ砂

 そんな砂のような灰に自分がなる日は近い


 ⚡︎


 自分なりの解釈。なんて陳腐な言葉。



『マイミクロスコープ 〜夜のアートマイム劇場〜』


 演目は『砂灰』


 舞台のキャッチコピーのようなものが書かれていた。


【言葉にすると、こぼれ落ちるものがある。

 言葉が生まれる前、全てがあった。

 身体が紡ぐ言葉のない詩。】


 この意味がストンと腑に落ちた。

 やはり言葉にするべきではなかったのかもしれない。


『アートマイム』って何?

 言葉で聞いてもよく分からないけれど、実際に見るとなるほどと思えるものがある。


 この社会に生きている中で、人々は無表情だ。

 いや、少しは感情を表に出す事もある。

 それでもあんなに豊かな表情を持って、あんなふうに身体で表現する事はない。

 嬉しい。悲しい。憎い。

 ただ単純な言葉で言い表す事がほとんどだ。

 しかし心の深い所にあるものは、そんな単純なものではなく、様々な感情が入り混じった複雑なもの。

 そんなものを単純な言葉では表せない。


 言葉では表せないのに、言葉でしか表せなくなっている自分たち。


 自分たちが心の奥に持っていながらも上手く表せない感情を、この舞台で見たような気がした。


 社会の中で生きていく中でまとってしまっている鎧を外す。

 私がこれまでJ先生のワークショップで学んだ、オオカミの遠吠えや身体の奥から響かせる音と共通するものを見た。


 ⚫︎


 舞台が始まって少しした頃、連れてきた友人がコクリとした。


 え? 寝てる? まさか? 退屈なのか? 連れてきたのは間違いだった?


 舞台が終わってから聞いてみた。

「寝てたでしょ? ちゃんと見てた?」

「見てたよ〜。なんか気持ち良くなっちゃって」


 気持ち良くなったか。それも分かる気がした。もしかしたらそれは正しい鑑賞の仕方だったのかもしれないと思った。


 舞台が終わった後にアフターミーティングという時間が設けられていた。時間は10分位か、短かかったけれど観客3〜4人ずつ適当なグループを作って舞台の感想を語り合った。友人とは離れ初対面の人と語り合う。


 私は4人グループに入ったのだけど、その中のひとりが言っていた。

「先生の舞台を観るのは2回目だけれど、2回とも眠くなった」と。

 睡眠不足でとか、退屈だからではなく、やはり心地よくなってという事だった。


 私はというと、先生は何を表現しているのだろう? と一生懸命に見てしまっていたように思った。

 頭で考えながら。


 正しい鑑賞の仕方というのは無いのかもしれないけれど、心を無にして鑑賞できたらもっと良かったのかも、と思った。


 次回は眠くなるような鑑賞の仕方をしてみたいとも思うけれど、難しいだろうな。

 やっぱりしっかり見入ってしまうと思う。

 J先生の舞台を見ながら、いつかコクリと出来る日はやってくるのだろうか?

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オオカミの遠吠え 風羽 @Fuko-K

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