第6話 当て馬上等!
手紙を置きに来ただけと言っていた通り、ヒースクリフとエドガーは日が落ちきる前に馬車に乗って帰ってしまった。
国賓待遇の王子殿下を、伯爵家が準備なしにもてなすのは荷が重すぎるという事情に配慮してのことと考えられる。
その心遣いはありがたいのだが、お茶会の招待状を見た伯爵夫妻は卒倒せんばかりで、家族だけの夕食の席にも落ち着かない空気が流れていた。
ヴィクトリアの母である伯爵夫人のアマリエは、いかにも不安そうな様子で言う。
「すごく名誉なことだと思うけれど、エドガー殿下は何を考えておいでなのかしら。まさか、ヴィクトリアを見初めたなんてことは……」
「それはないと思います、お母様。単に、公爵令嬢であるナタリア様との縁談を回避するため、女性をエスコートしながら参加したかっただけみたいです」
心配の度が過ぎると、ヴィクトリアは笑って受け流すが、アマリエの顔は晴れない。
「それこそ心配よ。あなたを当て馬みたいに使うだなんて、公爵家や王家に睨まれるのは、あなたでしょう。殿下はあなたをいいように使いすぎではないのかしら」
アマリエの声が、いっそう固いものになる。
ヴィクトリアは、慌てて「大丈夫ですから!」と明るく言い切った。
「殿下はこの国に滞在中、政治的な思惑から正妃の座を狙うご令嬢をあてがわれるのを、スマートに回避したいとお考えのようです。私は殿下に助けられた身ですから、恩返しの機会を頂けて良かったです」
「そうは言っても、殿下が帰国なさった後は? 計画通りにいかなかった公爵家は、当家を敵対視するでしょう。政治的に難しいことになるわ」
アマリエの懸念は、もっともである。
(もしベンジャミン公爵家が、何がなんでもエドガー殿下と縁続きになるつもりで、王家に助力を
ナタリアの怒りを買うと、最悪の場合毒殺される。
恐ろしい記憶が蘇ってきて、ぞっとしながらヴィクトリアはパンをちぎって口に放り込んだ。もくもくと食べて、飲み込む。
「もし公爵家、並びにナタリア様、ひいては王家の恨みを買ってしまったら、そのときはそのときで考えるしかありません。少し楽観的かとは思いますが、エドガー殿下は、そこまで私やブレナン伯爵家に不利益になるようなことは、なさらないのではないでしょうか。私としては、舞踏会で助けられた恩に報いたい一心です。保身ばかり考えてはいられません」
「ヴィクトリア……、辛かったわよね」
うっ、とアマリエが涙ぐみそうになっているのを見て、言い過ぎた、とヴィクトリアは口をつぐんだ。自分は前世からの因縁もあり、すでに覚悟が決まっているが、アマリエとしては一人娘を心配するあまり、心労になっている様子だ。
(前の世界のエドガー殿下に関して、覚えている限りでは、婚約者はいなかったはず。ですが、それはオールドカースル国の事情だから、ラルフが知らなかっただけで、内々には決まっていた可能性も高いですよね)
だとすると、エドガーの本当の狙いとしては「ベンジャミン公爵家を筆頭として、シルトン国の貴族から、ヒースクリフに持ち込まれるであろう縁談をどうにか潰してほしい」ではないかと、ヴィクトリアは捉えていた。
その理由もまた推測となるが、護衛を任せるほどに信頼しているヒースクリフを、エドガーはどうにか自分の元にとどめておきたいと考えているのではないだろうか。
もしかしたら、ヒースクリフはすでに隣国の機密に触れられる立場にあるのかもしれない。であれば、縁談でこちらの国に取り返されるわけにはいかない事情があるだろう。
一方、そういうことであれば、シルトン国はなおのことヒースクリフを国内に取り戻すか、国内のご令嬢をつけて隣国に戻したいに違いない。
そのために、上位貴族とはいえ侯爵家の跡継ぎでもないヒースクリフに、王太子の正妃にもなり得るナタリアをあてがおうとまで考えているのも、理解できるのだ。
(ラルフの気のせいでなければ、前の世界では、ナタリア嬢はどうもラルフよりヒースクリフを意識している素振りがあったんですよね。エドガー殿下と、そんな会話をしたような記憶もある……。こちらでのナタリア嬢は、私同様これまで隣国にいたヒースクリフと顔を合わせる機会はほぼなかったはずですが、出会ったらすぐに恋に落ちるかも)
ヒースクリフは物静かながら頭の回転も早く、剣の腕も立ち、顔立ちも凛々しく美しい。乙女が心を奪われるすべての要素を持っていると、贔屓目ながらヴィクトリアは考えている。
もしナタリアの狙いがヒースクリフなら、それこそ一大事だ。
なんとしても「いざとなったら毒を持ち出す女」から、ヒースクリフを守らなければ。
(前世でラルフは、ヒースクリフを悲しませてしまいましたからね。今生では、絶対に幸せにしてさしあげます!)
心は決まっている。ヴィクトリアは、アマリエへ微笑みかけた。
「めったにない機会ですから、お呼ばれを楽しんできますわ。ドレスもまだ、今シーズン用に仕立てて袖を通していないのがありますから、招いてくださった殿下の顔を潰すこともないでしょう。足りないものがあるようでしたら、明日中に調達しなくては」
ヴィクトリアが明るく言うと、アマリエは「そうね……」と心配そうにしていたが、もう受けてしまったものは仕方ないと、腹をくくったようであった。
かくして、ヴィクトリアはその晩、母やメイドたちと衣装選びに時間を費やした。そして、新しい髪飾りを買い求めたほうが良いという結論に至った。
まるでその流れを見越していたかのように、翌朝、手紙が届いた。
差出人はヒースクリフで「急な誘いを受けていただき、大変感謝しています。もし街で用立てるものがあるのなら、その外出に同行させてください」という内容であった。
次の更新予定
二周目の世界で、前世の護衛騎士から怖いくらいに執着されています。 有沢真尋 @mahiroA
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