地方公務員しろうるりの兼業

しろうるり

地方公務員しろうるりの兼業

■はじめに

 この文章は筆者(しろうるり)が書籍を出版するに当たって、勤務先から「無報酬」を条件に許可され、最終的にその条件の取り下げという結果を得るに至った経緯について書いたものです。

 兼業作家が遭遇しうるトラブルとしてはある意味でありきたりなものではありましたが、振り返ってみると、


 ・コンテストでの受賞&書籍化

 ・勤務先から「無報酬」を条件として付される

 ・なかなか開示されない情報と進捗しない状況

 ・弁護士相談

 ・解決


 と周囲の状況がころころと変わるごとに筆者自身の感情もあちこちに振り回されており、また経緯そのものも他人事として見る分には面白いのではないかと考え、文章にまとめた次第です。



■前提

 筆者は某市に勤務する地方公務員です。

 地方公務員には、いわゆる公務員としての兼業の制限が法律で定められており、制限に違反した場合は懲戒処分の対象となりえます。


地方公務員法第38条(傍点筆者)

 、商業、工業又は金融業その他営利を目的とする私企業(以下この項及び次条第一項において「営利企業」という。)を営むことを目的とする会社その他の団体の役員その他人事委員会規則(人事委員会を置かない地方公共団体においては、地方公共団体の規則)で定める地位を兼ね、若しくは。ただし、非常勤職員(短時間勤務の職を占める職員及び第二十二条の二第一項第二号に掲げる職員を除く。)については、この限りでない。

(第2項略)


 ※要は「自営をしたり、報酬を得て業務に従事するのなら、任命権者の許可を得なければいけません」ということです。


 筆者が勤務する市においては、この制限に違反した場合の標準的な処分として「戒告または減給」が挙げられています。

 処分そのもので消える給与はそう大きな額ではないのですが、次の賞与が半分くらい消し飛び、定期昇給を含めた昇給がスキップされる(つまり在職中ずっと給与額にデバフがかかる)など、トータルで見ると経済的な損失はかなり大きなものになります(たとえば月額5,000円分の昇給を1回飛ばされると、在職期間15年として100万円以上の損が出ます)。



■受賞まで

 まだ連載前、受賞作「侯爵令嬢アリアレインの追放」の投稿の準備をしていた時期のことです。準備として作品に付けるタグを設定していた際に、連載開始時期と参加締切が近いコンテストを見つけ、じゃあタグ1つで参加できるなら、と設定したのが、結果として受賞のきっかけとなりました。


 連載前にはまず使うことがなさそうと思っていた筆者の予備知識として「『小説家になろう』の評価で、だいたい20,000~30,000ポイントを獲得すると書籍化のオファーがある」というものがありました。でも実際、連載中にそのあたりが見えてくると、やはり欲深いもので「これはひょっとするとひょっとしてしまうのでは」などと考えます。

 いけるかな、どうだろうな、と考えていた折、実際に筆者が「小説家になろう」経由でいただいたのは、入賞内定のご連絡でした。


 初めて書いた長編が入賞とかそんなことあるんだ、と思いながら、もちろん快諾とお礼の返事を差し上げます。同時に、自分が地方公務員であり、賞金や印税を受け取るに当たって勤務先の許可が必要になる可能性がある旨をお伝えしました。

 並行して、勤務先の担当課に「書籍を執筆し、印税を得ることになった場合、①印税は地方公務員法の報酬に当たるか確認したい。報酬に当たるのであれば、②兼業として許可が必要になると思われるので、手続きについて指示してほしい」と問い合わせます。担当課からの回答は「①については前例がなく不明なので確認する。②については報酬の有無に関わらず兼業として手続きが必要。所定の書類を提出してほしい」という内容でした。


 この時点で少々違和感を抱きはしました。言葉をそのまま受け取ると趣味で小説を書いたり漫画を描いたりするのに許可が必要ということになります。そして、勤務先の規模から考えて、コミケ等で頒布する側に回っている職員はいてもおかしくありません。そういう職員がいたとして、いちいち許可を得ているかといえばおそらく答えはノーで、しかし定期的に公表・回覧される懲戒処分の報告に兼業関係のものが上がっていたという記憶はありませんでした。


 とはいえ、即座に「それ、おかしくないですか?」と言えるほど法知識や法解釈に自信があるわけでもなく、積極的に勤務先と揉めたいわけでもなかったので、上司に副申を依頼して(出す書類に「上司の意見」を書く欄があるのです)、素直に書類を提出しました。


 さて、受賞が決まって舞い上がった筆者が勤務先絡みの手続き以外で最初にやったのは「作家活動用の(つまりは賞金と印税を受け取るための)銀行口座を開設する」ということでした。何となくですが、お金の出入りはきちんと管理しておくべきだし、そのためには口座自体を分けてしまうのがわかりやすくてよい、と考えたためです。


 その後、妻を買い物に誘いました。


「ちょっとまとまった額のあぶく銭が手に入ることになったんだけど、前から欲しがってた指輪を買いにいかない?」


 だいたいこんな台詞だったと思います。ダイエットしたら指からも肉が落ちて結婚指輪がすかすかになってしまい、どこかで落としそうで怖い、というような話を結構前から聞いていたのですが、そのうち買おうね、で話が止まっていたのです。それなりのものを買おうとするとそれなりの額になるので、お互い腰が引け気味というのもありました。


 そういうタイミングで入選、つまり書籍化に加えて賞金が手に入るというお話をいただいたら、じゃあまずはこれで指輪を買いましょう、ってなりますよね? なったんですよ。


 妻はそもそも筆者が趣味として小説を書いていることを知らなかったのですが、事情を詳しく説明したところたいへん喜んでくれ、「椅子とかPCとか、いいのに替えたら?」などと言ってくれました。

 指輪は妻の気に入ったデザインにサイズの合うものがなく、作るのにしばらくかかる、ということでした。出来上がる頃には賞の発表が済んでいるスケジュールだったので、じゃあそのときに家族でお祝いをしよう、というお話になりました。


 そのようなことをするうちにしばらく経って、勤務先の担当課から「兼業は許可するが、報酬(賞金&印税)の辞退を条件とする」という趣旨の連絡が入ります。筆者の感想は「え、マジで?」というものでした。公務員の兼業作家は筆者が知っているだけでも前例があり、書類の提出こそ求められたもののそれはあくまでも形式的なもの、という認識だったのです。「他の自治体では特に問題なく許可されている前例があり、地方公務員の兼業作家もいる」と食い下がったのですが、「本市ではそのような運用になっている」というお返事で、要はまったくの平行線です。


 いや困るんですよ。だって指輪買っちゃったじゃん? 


 「勤務には影響がない」と副申してくれた上司に伝えたところ「いやそれはおかしい、時流にも反している」と担当課に問い合わせてくれたのですが、やはり結論は変わりません。

 こういう状況でひとまず担当編集様に連絡を入れ「勤務先から賞金も印税も受け取るなというお達しを貰いました」とお伝えしたところ、普段温厚で親切な編集様が、人が変わったような態度で怒りだし、反動で筆者自身が少々落ち着くとともにたいへん救われた思いになりました。


 やはり何かあったとき、自分と一緒に、あるいは自分のかわりに怒ってくれる人というのは貴重です。上司の態度と行動も担当編集様の反応も、少なからず落ち込んだ筆者にとっては大きな力になりました。


 担当編集様とのお話では「①受賞の辞退はしない。②書籍化はする。③条件については、編集部様側で法務も交えて可能なアプローチを考える」ということがまとまりました。法務、というところに少々驚きはしましたが、よくよく考えてみれば契約の内容にも関わってくる案件です。当然といえば当然のお話ですね。それでも、なんだか社を挙げてバックアップをしていただいているようで、申し訳ないというか心強いというか、妙な気持ちになりました。


 この時点で、筆者としては、もう最悪の場合は訴訟をしてでも、という気分でした。担当課には「①正式な書類で通知をしてほしい。②通知には条件を付した理由を記載してほしい。③通知に当たって、不服申立が可能かどうかを教えてほしい」の3点を依頼しました。訴訟をするにせよ、その前段で弁護士に話を持ち込むにせよ、そして出版社様側からアプローチをするにせよ、書面での通知があり、条件を付された理由がわからなければ争いようがない、と考えていたのです。


 家に帰ってから妻に経緯を話したのですが、そのときの妻の言葉は、今でもよく憶えています。


「あなたが納得しないまま引き下がったら後々まで引きずって絶対に後悔するから、納得するまでちゃんとやった方がいいよ」


 初手でこれを言ってくれる妻の存在、ありがたすぎますよね。ちゃんと、の中には弁護士に相談したり裁判をしたり、ということまで含まれています。


 とはいえ、純粋に嬉しい話だった受賞と書籍化のお話が、ここに来て一転、結構なストレッサーになってしまいました。連載分はこのやりとりよりも前に書き上げており、ストレスで連載中断というような事態に至らなかったのは不幸中の幸いだったと思っています。



■受賞後

 2024年6月末、参加していたコンテストの発表です。ここまででいただく賞も決まり、あとは発表を待つだけという状況だったので、実際に発表されてもどんな感慨が湧くものかな、などと思っていました。ただ、知人友人や読者の皆様にお伝えできるのは待ち遠しくて、年甲斐もなくそわそわしていた、ということを憶えています。


 実際に自分の作品が「佳作」として発表されたのを見たときには、予想もしなかったほどの感動がありました。旅先(予約していた旅行中だったのです)の景勝地でスマホを見ながら目をうるうるさせるという、まあそこだけ見ると完全な不審者ですね。傷心旅行かなにかに見えたかもしれません。もちろん、周囲には大いに祝っていただき、それはそれで物凄く有難かったのですが、ひとつ困ったことがありました。


 友人たちは当然筆者の職業を知っており「賞金や印税って、副業扱いにならないの?」「確定申告しないとだね」などという言葉がちらほらと出ていたのです。スルーするのもなんだし、「許可を取っています」だと嘘になるし、「揉めていますし今後もっと揉める予定です」とは言えないし、と迷った挙句「ちゃんと届出しました」「そこには触れないでいてくれると嬉しいです」という、なんかもう嘘はついてないけどひどく曖昧、というようなお返事をせざるを得ませんでした。


 ちなみに、子供たちには受賞と書籍化の旨を伝えても「?」という反応でした。それはそう。筆者だって子供の頃、親からいきなり「お父さん、今度本を出すことになったんだ」って言われたらそうなったと思います。ともあれ、賞のサイトを見せると「えっ凄いじゃん、おめでとう!」となり、その後家族でささやかなお祝いをすることになりました。


 なお、先述の指輪はお祝いの日に無事に受け取って、今も妻の指に嵌まっています。


 その後しばらく、事態はほぼ動きませんでした。書籍化のお話は担当編集様とそれなりに順調に進んでおり、加筆・改稿のポイントや今後のスケジュール、イラストレーター様に関する相談など、徐々に話が固まっていき「ああこうやって世のラノベというのは出来上がっていくのか」と思ったものです。加筆改稿の大まかな〆切も決まり、では頑張りましょう、となりつつも、心の片隅には常に無報酬という点が引っ掛かっていました。


 担当課からはなかなか連絡がなく、無論筆者の案件だけを取扱う部署ではないので、忘れられたり後回しにされたりしないようにという意味も含めて定期的につついてはいたのですが「前例のないことなので、正式に回答するとなるとあちこちに確認を取らねばならず、それに時間がかかっている」と言われてしまうとそれ以上深く突っ込むこともできません。筆者としても、前例のない案件で、何かと面倒そうな筆者(不服申立の可否について教えてほしい、というのはおおむね「不服があったら争いますよ」という予告で、そういう意味では面倒が予定されています)と原則的な運用で押そうとしているであろう上との板挟みにならざるを得ない担当者には少なからず同情していました。自分の身に置き換えたら嫌ですからね。


 ともあれ、受賞から1か月ほど経ってようやく送られてきた書類を見て、筆者は弁護士への相談を決意しました。


 条件として「無報酬かつ業務に支障をきたさないこと」が付されていたのは既に伝えられていたとおりでしたが、その理由が「そういう運用だから」としか要約のしようがないもので、さすがにここに来てこれはないだろう、と思ったからです。


 たとえそういう運用が原則であるにせよ、結論を出すに当たっては「小説を執筆することは自ら営利企業を営むことに該当するか」「事業や事務に従事することに該当するか」「賞金や印税は報酬に該当するか」等々、具体的な事案を法律と運用に当てはめて検討し、決裁を得る、というプロセスを経ているはずなのです。その部分の「なぜ」が見えなければ、処分をされた側としては妥当か不当かの判断もしようがありません。まともな理由が出てこないような処分は正当性を欠いている、と筆者は考えました。


 とはいえ、ことは自分一人で暴れて済む話でもありません。最初に担当課からの連絡があって以降、編集部様は一貫して「正当な賞金や印税を得た上で書籍化・出版に臨んでほしい、そのために社として可能な範囲でサポートする」というお立場です。会社側で穏便に話を済ませる算段をしているのに、筆者が先走って暴れてそれを台無しにする、というような種類のご迷惑はかけたくありませんでした。


 そのようなわけで、編集様には、ひとまずは正式な通知があった旨と、「会社としてこれ以上介入しないという方針が固まったらお知らせください。その後は自分で弁護士に相談するなどして対応します」ということをお伝えしました。


 その後更に少々時間を置いて、担当編集様から「会社としては筆者と勤務先の関係にこれ以上積極的な介入はできない。力になれず申し訳ない」というご連絡をいただきました。もとより筆者としては、勤務先との関係で編集部様にご迷惑をかけるのは申し訳ない、という意識でいたので、むしろ、ここまでありがとうございました、という感覚でした。


 ここからこの一件は、筆者にとって、訴訟を前提としながら、どの弁護士にどのように相談するべきか、というお話になっていきます。



■依頼先の選定

 筆者は、勤務先から正式な書類を受け取った頃から、もう揉めるところまで揉めてやろう、という気分でいました。あとはどのタイミングでどう動くか、というお話です。


 タイミングは自分だけでは決められないという認識でいましたので、そうなると残るのはどう動くか、という部分になります。ここで筆者が一番重要と考えていたのが、誰に相談・依頼するか、というところでした。条件は4つです。


 1.筆者が必要に応じて面談でき、勤務先を訴えることになった際に支障がない立地の事務所

 2.弁護士の見解や今後の見通しなどを、筆者に理解できる程度に嚙み砕いて説明してくれること

 3.弁護士としての実績があること(=勝てる可能性を上げてくれそうと期待できること)

 4.ライトノベル業界やサブカル方面への理解があること


 優先順位としては、1>2>4>3というところです。


 1点目は大前提として、2点目3点目はまあ依頼する以上は、というところではあります。

 ただし、3点目はそもそも自分に理解可能な実績であるかどうかがわからない(派手な実績を上げている人は目立つけれど、たぶん世の弁護士は常時地道に地味な業績を積んでいく、というスタイルで仕事をしているだろう、という理解でした)ので、優先順位はあまり高くありませんでした。


 4点目について少し具体的に説明をしておくと、「ある程度はラノベやその周辺の文化への理解がないと余計なコミュニケーションコストがかかりそうで、そうなると本題以外のところで余分なストレスを抱えることになると思われる。それは避けたい」ということです。


 ごくざっくり言うと「小説投稿サイトで開催されていたコンテストで賞を取って書籍化することになりました」というのが今回の出来事の発端になるわけです。その一言で説明が済むのか、それとも「そもそも『小説投稿サイト』とはどういうものか」「そこから書籍化するというのが投稿者にとってどういう意味を持つか」みたいなことを全部説明しなければならないか、で、依頼者としての筆者の負荷とストレスは全然違ってきます。筆者としては、そのあたりも考慮したい、と考えていました。


 なかなか贅沢な条件ではあったと思いますが、こういった条件に合致する弁護士がひとりだけ見つかりました。

 東京・町田の「電羊法律事務所」所長、平野敬弁護士です。


 平野弁護士はCoinhive事件において最高裁で逆転無罪を勝ち取るなど、実績が非常に高い弁護士です(条件3)。また、その際の弁論要旨などを拝見したところ、素人目にも非常にわかりやすく、説得力の高い文章を書かれる、という印象がありました(条件2)。加えて、普段のTwitter(現X)のポスト(id:@stdaux)を拝見するに、サブカル方面への理解についても申し分ありません(条件4)。


 お引き受けいただけるかどうかは別として、ひとまず相談したい旨はお伝えしようと決め、


 ・相談したい案件の概要

 ・筆者の職業など

 ・これまでの経緯と現況

 ・勤務先から交付された書類、編集部様に出していただいた出版の依頼書、コンテストの募集要項


 などをまとめて相談用のメールを作成し、一晩寝かせた翌朝、電羊法律事務所宛てにお送りしました。



■弁護士相談

 その日の昼休みにメールを確認すると、もう返信が来ていました。平野弁護士からで、


 ・以前にも同様の相談を受けたことがあること

 ・地方公務員法上の兼業制限に関する簡単な説明

 ・今後の見通しと課題


 が書かれ、日程調整のためのスケジュールが提示されていました。

 やると決めたならば早い方がいい、と翌日の午後に休暇を取ることにして、相談の時間を作っていただくことになりました。


 相談の当日、筆者は弁護士相談というのが初めてで少なからず緊張していました。だいたいの人はそうだと思いますが、弁護士に相談しなければならないようなトラブルはそう頻繁に起きるものではなく、筆者も含めてそういう人にとっては相談するだけで結構な大事なのです。


 事務所を訪れ、相談用のスペースに通されて名刺(かわいらしいデザインでした)を渡され、それでは、と席について最初に言われた一言が


「まずは、おめでとうございます」


 でした。

 相談者の緊張をほぐすという意味合いもあったのかもしれませんが、筆者としては「ああこの弁護士を選んだ自分は間違っていなかったな」という気持ちになりました。相談の内容は純粋に法の運用のしかたについて争いたい、というお話なのですが、それでも自分に共感してもらえるかどうかは相談者にとって重要です。

 そこで冒頭、さらっとした一言で「自分がしたことの価値を理解してもらえている」という安心感を得られたのは大きかったし、そういう一言を出してくれる弁護士はありがたいものだと思います。


 相談自体はたいへんスムーズに進みました。

 最初のメールの翌日であったにも関わらず、法令とその解釈、勤務先の処分とその理由についてのコメントが書かれた資料が用意されており、「法にはこう書いてあります」「解釈はこうです」「あなた(筆者)の場合に当てはめるとこうなります」「勤務先の処分は解釈と当てはめを誤っています」「案件の詳細を伏せて勤務先の人事委員会に確認をしています(「え、もう?」)が、おそらく不服申立はできないと思われます」という流れで理路整然と説明していただけました。


「争えば勝てる可能性は高い。事務職ではなく教員ですが訴えた前例はあります。ただし、そのケースでは判決までは出ていません。勤務先側が『訴訟を取り下げて再申請すれば通す』という話を持ち掛け、原告側がそれに応じて訴訟を取り下げました」


 なるほど。


「しかし争うとなると大事になりますし、コストもかかります。どうされますか」


 当たり前ですが、弁護士には法的な見解を聞くことができても、争うかどうか・依頼するかどうかは相談者が自分で決めなければなりません。


 伺ったコスト(弁護士費用)は、ぱっと聞いてさすがに高いな、と思いました。具体的な金額は伏せますが、「佳作をいただけていてよかった」と思える程度の金額です。そして平野弁護士にも説明いただけたのですが、裁判をして勝ったとしても、かかった弁護士費用を相手方に請求できるわけではありません。そこは基本的に依頼者の持ち出しです。


 しかし冷静に考えると、高度な教育を受けなければそもそも資格を得られないような専門職、かつ実績がある方を、訴訟となれば結構な時間拘束することになるわけです。「そのくらいはいただかないと赤字になってしまう」という平野弁護士の言葉も、まあそうでしょうね、と思いました。


 そもそも筆者には提示された金額が妥当かどうか判断する能力と情報がありません。しかし、己の利益を重視して情報格差のある相談者に吹っ掛けるような弁護士であれば、そもそもCoinhive事件の弁護を引き受けて最高裁まで争ったりしないだろう、という信頼はありました(刑事弁護はお金にならないことで有名です。Coinhive事件でも、地裁での無罪判決を受けて検察側が控訴した際、平野弁護士は「そっち(検察)は公費でやれるかもしれないけどこっち(被告人側)は手弁当なんだぞ」という趣旨のことを呟いていました)。


 この段階で、筆者には3つの選択肢がありました。


1.弁護士に依頼して争い、法的に決着をつけて書籍化に臨む

2.勤務先の判断を受け入れ、無報酬で書籍化に臨む

3.法的にグレーな手段を使い、実質的に有償で書籍化に臨む


 2はこれ以上のコストはかかりませんが、筆者が賞金や印税を得ることもできません。それにこの先、運よく2作目や3作目が当たって書籍化の話があったとして、そこからも一切印税等は得られない、ということになります。一度「自分と自分の作品には書籍化してもらえるだけのポテンシャルがある」と知ってしまった上で、その後も「でもこれが書籍化しても自分には一銭も入らないんだよな」と思いながら今までと同じモチベーションで創作活動ができるか、というところには、さすがに自信を持てませんでした。


 3は一応の選択肢として持ってはいましたが、お金を動かすときに露見するリスクはあり、露見した場合は悪質性が高いと判断されて(知らなかったとかついうっかりではなく、まずいことと知っていて敢えてやった、と判断されうるし事実そう、ということです)より重い処分を受ける危険性もありました(平野弁護士にも念のため確認はしましたが、同様の見解でした)。

 筆者個人としても、後ろ暗いことを抱えたまま創作活動をこの先も続けていく、というのは気分がよくありません。また、勤務先の対応に不満があるとはいえ、脱法的な行為に手を染めるというのは公務員としてどうなのよ、という部分もありました。


 となるともう、堂々と賞金や印税をいただいて書籍化をしたいのならば、選択肢1しか残りません。幸い、弁護士費用はけっして安くないとはいえ、最低限筆者が手にできると予定されている金額で収まる範囲です。


 弁護士費用を値切る気はありませんでした。先述のように、高くともまあ妥当な範疇の金額だろう、という目算はありましたし、そもそも争う目的が「自分が正当な報酬を得て書籍化をしたい」という点にあるわけです。そこで関わってくれる弁護士の、自分がおおむね妥当と判断した報酬を値切っては筋が通りません。


 ただ、平野弁護士の方から、


「依頼料が高すぎるからディスカウント、というのはできませんが、後書きなどで経緯に触れていただけるのであれば少々お値引きしますよ」


 というお話をいただき、失礼ながら少々笑ってしまいました。

 そういうのもアリなのか、個人事業主強いな、というのがごく率直な感想でした。そしてお気遣いありがとうございます。歓迎どころか、むしろネタとして美味しすぎました。


「一旦持ち帰ってゆっくり考えてもらっても構いませんし、他の弁護士に相談いただいても結構ですよ」


 平野弁護士はそのように言ってもくれました。

 ただ、これも先述のとおり、筆者には提示されたコストが妥当かどうか、そして他の弁護士に話を聞いて異なる見解を得たとして、どちらがより正しいかを判断する知識と能力がありません。だいたい「法的な事項をわかりやすく説明してくれて、実績があって、しかもラノベ業界に一定の理解がある」という弁護士が、筆者の居住地近辺にそうたくさんいるとは思えませんでした。


 結局、その場で依頼することを決めて今後の段取りなどを確認しました。


「訴訟になった場合、だいたいどのくらい期間がかかるものでしょうか」


「先例のように相手が途中で折れてくれれば3か月くらい、判決まで行けば1年くらいですね。

 判決が出れば、行政訴訟の判例集に載ると思いますよ」


「そんなですか」


「そんなです」


 わりと大事になったなあ、と思いました(今更)。



■弁護士雑談

 相談のところだけ読むと事務的に淡々と話を進めているように見えますが、じつはすいすいと進みつつ結構な脱線をしていました。平野弁護士、普通にお話をしてるはずなのに発言がちょいちょい面白いのズルいと思うんですよね。


「TRPGされるんですか」(平野弁護士)


「ええ、はい」(筆者)


 という流れからソード・ワールドTRPG(無印のほう)の話題になり、「中学生の頃にやりました。まだレーティング表を覚えています」という話が出てきて、キーナンバー20の話で盛り上がるとか、弁護士相談でこんなんある? ただのオールドスタイルオタクトークでは? などということもありました。


 ほかにも、


「『反省』(筆者註:完結後に公開した、当該作の執筆経緯等をまとめたエッセイ)の方を読みましたが」


「……ありがとうございます(……昨日の今日で?)」


 とか、


「無事決着したら打ち上げでTRPGやりましょうか」


 とか、


「判決が出たらプロモーションの意味も含めて記者会見しませんか。話題になると思いますよ」


 とか、


「『○○市(勤務先)に出版を禁じられた』とか帯に書きましょうか」


「いや無報酬というだけで禁じられたわけでは」


「そこは盛りましょう」


 とか。

 他にも、Coinhive事件のこぼれ話(判決後の祝勝会に、担当警察官を「あなたのおかげで勝てました!」と招待しようとして周囲に止められた)や現在の民事裁判の実務(裁判官との打合せもオンラインでやることが多く、実際にはあまり裁判所に出向かずに裁判が進む)、創作に絡む法律系の監修のお話(『呪術廻戦』で名前を出したので監修の仕事が増えるかと思ったけどそうでもない)などなど、実際に相談をしていたのは1時間に満たないくらいだったと思いますが、やたら濃くて面白い弁護士相談ではありました。


「ところで次回作は」


「いやまだ何も」


「次は法廷モノにしませんか」


「……難しそうですねえ」


 こんな会話もありました。

 異世界法廷モノは話のネタを作るのが難しそうというのと、異世界ならではの法制度や裁判制度の設定を作らなければならず、そこが難しそう、というのが個人的な感想なのですが、よく考えたら後者は平野弁護士に監修を依頼すればいいんですね。ネタを思いついたら制度のドラフトと一緒に持ち込もうと思います。平野弁護士をモデルにしたキャラクターとか、案外読者受けがいいかもしれません。


 相談を終えての帰宅後、妻に「この人に弁護士相談してきたよ」と名刺を渡したら大笑いされました。Twitter(現X)で夫婦ともに平野弁護士のアカウントをフォローしており、たまに流れてくる駄洒落やネタツイに笑わせていただいているのです。いや、依頼先として選んだのはネタじゃなくて真面目に考えた結果なのよ?

 そこも説明したら納得してくれましたけれども。



■決着

 相談の翌日、職場で担当課に連絡を入れたところ「印税等が報酬に該当するか否かについて人事委員会に確認しているので、先日交付した許可書については保留としたい。場合によっては申請を一旦取り下げた上で、許可を出し直すことになる」という趣旨のお話がありました。


 このパターン、弁護士相談で聞いた相手方が折れてくるときの動きなのでは、と思いつつ、こういうことがありました、と平野弁護士に連絡したところ、


「間違った処分なので、内部的に解決できるならばそれに越したことはありません。私からも人事委員会に連絡しておきます」


 というお返事がありました。

 正直なところ、話の種に、という意味も含めて、勤務先を訴えてみたいという気分はあったのですが、平野弁護士の仰るとおり、相手から折れてくれるのであればそれに越したことはないのです。勝てるときに勝っておかないと、実際の訴訟には手間暇もあるしリスクもあります。


 週末を挟んで週明け、「こういう書面を人事委員会宛てに送りました。同じ内容で電話も入れます」とご連絡をいただきました。この書面がまた非常に読みやすく、「なるほど理路整然とした文章というのはこういうものか」と、職場で昼休みに読みながら笑ってしまいました。


 さらに数日後、担当課から「人事委員会に確認したところ、コンテストの賞金も印税も、地方公務員法にいう『報酬』には当たらないとのことだった。したがって、本件はそもそも申請の必要がなかった。当初からそのように案内できず申し訳なかった」という連絡がありました。


 弁護士相談からわずか1週間ほどでの決着は「今回の案件で賞金や印税を受け取れるというだけでなく、今後もし同様の案件があったとしても申請そのものを不要とする」という、筆者にとっては最善の結果をもたらすものでした。



■振り返り

 自分でやったことがほとんどないので振り返りも何もないのですが、まとめると


 ・弁護士相談は怖くない。それ自体は(お金がかかるけど)べつに大事でもない。

 ・案件に適した弁護士というのはいる。可能ならそういう弁護士を見つけたい。

 ・役所を含む勤務先であっても訴えることはできる。選択肢のひとつとして持っておくのは重要。

 ・作家は、ネタになると思えば自分の身に降りかかったことを案外軽率に書く。


 というあたりでしょうか。


 今回の一件を振り返るに、早目に覚悟を固めてしまったのが良かったのかな、と思います。


「いざとなったら勤務先を訴えればいい。少なくとも自分が納得するまでは付き合ってもらう」


 勤務先の担当課とやり取りを繰り返しながら、筆者の心には常にその選択肢が確保されていました。

 勤務先を訴えるというのは当然大事ですが、訴えられる勤務先の側も実はそれなりに大事になります。顧問弁護士への連絡や調整はもちろんのこと「なぜそのような訴訟を提起されるに至ったか」を、結構な上の方まで説明しなければなりません。「ヌルい前例踏襲で対応したら訴えられました」とは説明できないでしょうし、決裁に関わった人たちは大変ですよね、と少々意地の悪い視線で見てもいました。


 その覚悟さえブレがなければ、経緯の部分で少々腹立たしいことがあっても「まあ訴訟のときの証拠の足しになればいいかな」という気分で対応できます(実際どうだかはわかりません。いい加減な処理をしている、という傍証くらいにはなっても、所詮本論とは関係のないところです)。


 また、多くのクリエイター(字書きに限りません。イラスト、造形、作曲等々、ジャンルはいろいろあると思います)にとっても読者の皆様にとっても、法的なトラブル(兼業に限りません。契約や著作権関係など、トラブルのタネはいろいろあります)は好んで関わりたいことではないと思いますが、巻き込まれる可能性は常に存在します。そういったとき最終的に自分を守るのは、まずもって「泣き寝入りなどしてやらない」という自分の決意なのだと思います。


 無論、そこにコスト(金銭的なものの他に、手間暇や自分の心理的な負荷も含みます)を投じるかどうか、投じられるかどうかという問題はありますが、その前段に自分の決意がなければ問題にすらなりません。


 筆者の考え方として「権利は他人様に与えていただくものではない。必要とあれば積極的に主張し、自ら守らなければならないものだ」というのがあった点、そして本質的にわりと好戦的な性格で、勤務先を訴えるということに一切の躊躇がなかった点も、先述の覚悟の底の方にあったのかな、と思います。



■後日談など

 平野弁護士に解決の旨を報告したところ、早期解決をたいへん喜んでいただけました。

 自分にとっても最大限に喜ばしい結果だったのですが、報酬については「弁護士としての手間が大幅に減ったので、成功報酬の一部だけ」と、当初の半額以下まで値下げをしていただけました。重ね重ねありがたいことです。


 子供たちを含めた家族も(子供たちにも「賞金や印税を受け取れないかもしれない」ということは伝えていました)喜んでくれたことは言うまでもありません。上の子(高校生)は「やったじゃん、お祝いに肉でも食べにいこうよ!」などと言っていました。知ってたけどちゃっかりしてるね君。


 なお、平野弁護士が人事委員会宛てに送った書面について、上の子に「めちゃくちゃわかりやすくて面白いけど、読む?」と見せたところ、さらっと読み切って「なるほどね、わかりやすくて面白かった」という感想だったことをここに書いておきます。法律の素養など一切なく、地方公務員法自体を知らない高校生にも「わかりやすい」と言わせる文章、凄いですよね。


 最後に、解決報告への平野弁護士の返信から、印象に残ったフレーズをふたつ挙げておきます。


> 最大戦力を最速で叩き込む、まさにアリアレインのような勝利でした。


> TRPGの面子が足りないときもぜひ。


 最後まで「こんなことってある?」という、筆者が体験した法的な揉め事のお話でした。




■後書き的な

 お読みいただきありがとうございました。


 本稿執筆の端緒になった受賞作「侯爵令嬢アリアレインの追放」はこちらです。

  https://kakuyomu.jp/works/16818093076803789997



 また、筆者が連載中の新作「兵站将校は休みたい!」はこちらです。

  https://kakuyomu.jp/works/16818093087174489611



 併せてお読みいただければ大変嬉しく思います。


 なお、「侯爵令嬢アリアレインの追放」は書籍化が決まっております。いずれ出る書籍版についても、是非読んでやってくださいませ!

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