最終話 その後の二人

 ――――僕達が魔界に帰って一年。



 晴れていても薄暗い空。そこから魔王城の廊下に射す薄い朝日を横ぎりながら、僕は魔王様の寝室に向かっていた。


 何故なら僕の自室はティア様――じゃなく、魔王様の寝室から最も遠いのだ。


 だから健気で一途な側近は、今日も今日とて寝坊助の魔王様を起こすため、広い魔王城を横断する。


 ――と言うのは表向きな話。


 実際はシレンダさんの計らいで、僕と魔王様の部屋の鏡は魔法で繋がっている。つまり一番遠いけど、本当は最も近いのだ。


 ……そのお陰で、僕は魔王様と毎晩一緒に過ごし、朝になったら自分の部屋から魔王様を起こしに行くという、意味不明な生活を送ってるんだけど。


 ちなみに昨夜も寝る前にそのことを魔王様に言ったら、『ほ、他の者達に言うのは恥ずかしいし……我慢してくれるか?』と可愛らしく言われ、別の意味で我慢できなくなってしまった。



 ――まあそんなわけで、僕は今日も長過ぎる廊下を朝から歩いているわけだ。


「ちーっす兄貴、おはざーっす! 今日も朝から精が出ますね!」


 そこに声を掛けてきたのは元気満々カスケード。一見人懐っこい笑みを浮かべているが、どこかニヤニヤしている。


「おはようカスケード。僕はもうスッカラカンだよ」


「なはははは! 目の下、クマんなってるっすよ! 幸せそうでなによりっす!」


 カスケードとメイ、そしてもちろんだがシレンダさんにはバレてる。だけどこの三人なら口外することはないだろう。


「…………分かってると思うけど、他の誰にも言わないでよ?」


「言わないっすよ。……けど魔王様の態度でもうみんな察してるっすよ? イロの旦那なんて昨日、四天王を集めて兄貴を抹殺する方法を話し合ってたっす。まあその場で俺が全員ボコしたっすけど」


「まじか……え、まじで僕、そのうち誰かに殺されるんじゃ……」


「いや無理でしょ。そもそも他の家臣が束になっても兄貴に勝てないし、仮に兄貴を殺せても魔王様がそいつを魂ごと消し炭にしますよ」


「それは確かに」


「あ、アルク様にカスケード、おはようございますニャ!」


 そこで僕達を見かけたメイが駆け寄ってきた。手には箒とちり取りを持っている。


「おはようメイ。朝からお掃除ご苦労様」


「おはよっすメイっち」


「アルク様は魔王様を起こしに行くところかニャ? アルク様こそ朝からお疲れ様ですニャ!」


 純粋な笑顔を向けてくるメイに、何故かジーンとする。というか殺気立つ家臣達から逃げ出したい。


「……ところでアルク様。早く魔王様のところに行ってあげてくださいニャ。『今日はアルクと二人で出掛けるのだ』って言って、部屋の前で待ってましたよ?」


 そうだった。今日は一緒に名古屋をぶらぶらしてから、豊橋に帰って一泊する予定だった。


 ――あれから月に二度行われる異世界デートは、家臣達には『異世界の視察』だと銘打っている。その結果、ソフトクリームや串揚げなど、向こうから輸入した食べ物は魔界でも人気を博しているのだ。


 まあ実際は向こうで気ままに食べ歩いたり買い物をしたお土産なんだけど。


「じゃあ僕はそろそろ行くね。二人とも、後はよろしく!」


「ういっす! 楽しんできてくださいね!」


「お土産よろしくニャ!」



 ――そうして辿り着いた魔王様の寝室の前。そこにはメイが教えてくれたように魔王様がソワソワしながら立っていた。


 ただし、その姿はいつもの美しい大人の魔王様ではなく、水色のポンチョコートと、白いタイツが映える紺色のミニスカートでコーデされた愛くるしい少女の姿だ。


 なんでも、向こうの世界に行く時は少女の姿のほうがしっくりくるらしい。


「む! 遅いぞアルク! わしは待ちくたびれた!」


「ごめんね魔王様。お待たせ」


 手を差し出す。すると魔王様は「ふふ、許す」と、嬉しそうに腕を絡めてきた。可愛すぎて頭が爆けそうだ。むしろ爆ぜた。爆ぜきった。


「どうしたアルク、いきなりボーッとして。あ、もしかして、わしの魅力に脳がやられたか? ふふふふ」


 イタズラっぽく笑う魔王様から目が離せなくなる。


「はい、可愛すぎて爆ぜ散らかしました。もう死んでもいいです」


「…………ばか、勝手に死ぬな。……えへへ」


 もう一度爆ぜた。木っ端微塵、粉骨砕身だ。意味は分からない。


「――では準備も整ったようなので、私が送らせてもらいます」


「うわっ、シレンダさんいつの間に⁉︎」


 急に後ろから声を掛けられた。ビックリし過ぎて粉骨砕身だ。……向こうに行ったら辞書で調べよう。


「うむ、頼んだぞシレンダ。何か買ってきてほしい物はあるか?」


「私に気を遣わなくて大丈夫ですよ。好きなだけ羽を伸ばして来てください。――――では送ります」


 シレンダさんがスカートを摘み会釈をすると、僕達の足元に魔法陣が現れた。


 それを眺めながら魔王様の手を握る。すると――。


「待て側近ッ! 魔王様から離れろ貴様ああああッ!」


「こうなったら正面から貴様に挑んでやるぞおおお‼︎」


「魔王様! 今日の魔王業務はどうなさるおつもりですかー!」


 体中に包帯を巻いた四天王と、慌てた様子のヨミガエリが遠くから走ってきた。みんな凄い形相で僕達に迫ってくる。


「い、急げシレンダ! ここで捕まるわけにはいかん!」


「マズいですよ! みんな殺気剥き出しです!」


 するとシレンダさんが一歩前に出て、迫ってくる家臣達に向き合った。


「ご安心を。ここは私が喰い止めます。――――滅界」 


「「ぎゃああああああああっ‼︎」」



 そんな阿鼻叫喚と轟音。そして魔法陣の淡い光が僕達を包み込む中、魔王様は僕の顔を両手で包み、可憐に微笑んだ。




「ふふっ…………愛してるぞ、アルク」


「――――はい、僕も愛してます」



 重なる唇の温もりと、小さく柔らかな魔王様の体を、僕はずっと抱きしめていた――――。

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500年の側近と忘却魔王 虹ノ千々 @nizinopapa

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