また会う日まで。
逃げた先は、こぢんまりとした二階建ての一軒家だった。
以前の家と同じように、今回の家も、他の吸血鬼が前に住んでいた家だった。
ただ、流石に拘束具の類はついておらず、辛うじて防音であることだけは助かった。
その拘束具も、結良の知人から譲ってもらうことができた。とはいえ、以前のような、壁から動ける範囲が限られるようなものではなく、手錠と足錠のみだが。
「……吸血鬼ってそういう趣味の奴が多いのか?」
「趣味ではないけれど、人によっては使ったほうが楽とかじゃないのかな。少なくともあたしにはそういう趣味はないよ」
言いながら、結良は興味深げに手錠を眺めている。
と思えば、輪っか部分を両手で持って横に引っ張り出した。
「強度はあんまりなさそう……? 次の満月次第で色々考えないとねえ」
「……悪い」
俺と一緒でなければ、と考えて謝る。
結良はキョトンとしたのち、口元が三日月を描いた。
「おーかみくんが謝ることないでしょ。あたしが連れてきたくて連れてきたんだし」
「それは、そうだけど」
「あと、割と楽しいから。君を拘束するの」
「やっぱりそっちの趣味あるんじゃねえか!」
ケラケラと結良が笑う。
普段通りの明るい笑い声に、少しだけ気持ちが明るくなったのは、内緒だ。
そうして迎えた、満月の日。
以前と比べてだいぶ心もとない拘束力だから、という理由で、日が落ちる前から、俺は吸血された。
「それじゃあおやすみ、おーかみくん」
冷たい手が、俺の頭を撫でる。
次に目を覚ますのはきっと、夜が明けてからだと、そう信じて俺はまぶたを閉じた。
そんな俺を起こしたのは、一発の銃声だった。
窓から見える空はまだ暗く、ぽっかりと穴のように丸い月が、こちらを見下ろしていた。
知っている香りがする。
だけど、この香りは結良のものではない。
どこで嗅いだ香りだろう。
そこまで考えて、普段よりも感覚が敏感になっていることに気がついた。
視線を動かす。
銀色の毛並みが、月の光を反射してキラキラと輝いて見えた。
俺は、まだ狼の姿のままだ。
だけど、どうしてまだ、理性を失っていないのだろう。
それとも、すでに失っているのか?
今までとの違いはなんだ? 月の光の量か?
体が酷く重いのは、きっと、変化前の吸血行為のせいだ。
そこまで考えて、ハッとする。
どうして結良の香りがしない?
先ほどの銃声はなんだ?
小さな足音が、香りとともに迫ってくる。
きっと音を立てないように意識をしているのだろう。だけど、今の俺には無意味だった。
逃げなければ。
逃げて、結良を探さなければ。
思うように動かない体を無理やり動かす。
足音が止まり、ドアが開いた。
「大上、なのか……?」
頭を殴られた気がした。
開いたドアの向こう。
銃を構えていたのは、日野だったのだ。
どうしてこいつが銃を持っているのだろう。
答えは明確で、だけどそれを認めたくなくて。
認めてしまえば、どうして結良の香りがしないのか、その理由を理解せざるを得なくなってしまうから。
日野の顔が、みるみるうちに歪んでいく。
眉は吊り上がって、口角も上がって、怒っているのか、笑っているのか、よくわからないことになっているのに、その瞳にあるのは、深い悲しみだった。
「一緒にいた吸血鬼と言い、化け物はやっぱり、息を吐くように嘘を吐くんだな。人間のフリは楽しかったか? 今まで何人食って来たんだ?」
嘘を吐きたかったわけじゃない。
人だって食ったことがない。
大体、お前だって、ハンターだって俺に言ってなかっただろ。
言いたいことはたくさんあるのに、出てくる言葉はすべて人間のそれではない。
日野の表情はどんどん歪んでいく。
「
まあ、お前がそれを見ることはないだろうけれど。
静かにそう吐き捨てると、日野は目を閉じて、一度深く息を吸って、吐いた。
もう一度開いたその瞳には、俺のうしろにある満月が、うつっていた。
銃口が、こちらを向く。
ああ、日野の中でこれから俺は、嘘吐きの化け物になるのだな、と理解した。
俺はもう、日野の友人ではなくなるのだ。
結良に、置いていかない、と言えなかった日を、なぜか思い出した。
ふざけるなよ、お前が俺を置いていったじゃないか。
そう悪態をつきつつも、口角が上がった。
なあ、俺も今からそっちへ行くよ。
だから、お前は一人にならない。
三日月の微笑みが、ふっと頭をよぎる。
いっそ泣きたくなるような遠吠えと、銃声が、俺の鼓膜を揺らした。
そして、月に吠えた。 奔埜しおり @bookmarkhonno
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