ホットほうじ茶と受験生

 雲一つない天気のことを、誰が快晴と名づけたのだろうか。


 パサパサと傘に降り積もる雪の音。雪が降るといつもより静けさが増し、それに伴い五感も鋭くなるような感じがする。雪が降る灰色の空を見ながら、そんなことを考えていた。近所に新しくカフェができたという情報を聞き、気分転換に足を運んだ。

 道路沿いに面しているカフェ。インテリアを基調としており、厳選された珈琲豆の焙煎されるいい香りが、鼻腔を通り抜ける。私はそのカフェの窓側の席に座り、パソコンと向き合い、仕事をしていた。


 私の仕事はグラフィクデザイナー。なぜこの仕事を選んだのか。理由は、就職することに、なぜか毛嫌いを持っていたからだ。就職しないがためにフリーランスでできる仕事がしたいと思い、グラフィックデザインの仕事を選んだ。大学1年生から独学ではじめ、思ったよりもいい評価をされる機会が多かった。今の私の主な収入源は、このグラフィックデザイナーの仕事がメインとなっている。

 今の時代パソコン一台あれば、なんでもできる時代。自分の好きと自分の能力が、うまく噛み合わさったことで、今の私の生業が成立しているのだ。

 でもフリーランスのデメリットは、自宅でも仕事ができることにあり、外に出ようと思わない限り、一生ひきこもりになってしまいそうになる。だから、私はこうして、自宅以外でも仕事をするようにしている。

 

 道路を挟んで向かい側の道路には、都内でもかなりの有名国公立大学があり、今日は大学入試があるようだ。二宮金次郎スタイルで歩いている受験生もいれば、友達と談笑しながら歩いている受験生もいる。私は、その中の1人の受験生が目が入った。

 一台の車が路肩に停まった。停まってから一向に車から誰も出てこず、誰かを待っているのかと思ったが、2人の女性達は、何かを話していた。助手席には、制服を着たポニーテール女子高生と、運転席には、その母親らしき人。女子高生はうつむき、母親はそれをなだめる。程なくして2人は抱き合い、笑顔で女子高生は、車を降車した。女子高生は、運転席にいる母親らしき人に手を振り、車は出発して行った。女子高生の手は、オレンジ色のラベルが巻かれたホットほうじ茶があった。数歩進んだ後、後ろを向き、母親らしき人が乗った車の方を見た。彼女の顔には、覚悟の意思が伝わってくるほどだった。数秒見た後、ホットほうじ茶を一口飲む。ほうじ茶の熱が、白濁の息となる。彼女は他の受験生同様、試験会場へ入って行った。


 雪解け水が、日光でキラキラと路面を反射する昼。クリスマスやバレンタインの日に雪が降らないのに、受験期になると大量に雪が降るのはなぜだろうと考えながら、昼食を摂り、暇つぶしにXを更新した。内容は、『ポイント』について。

『買い物の際、ポイントは貯まってはいくが、自ら使いますと、烏滸おこがましくて言えない現実。対面での会計で、「ポイント使いますか?」の一声を期待して待っている。本当はこの端数分の金額をポイントで引きたいのに。

この内向的な性格のせいか、何もできずにいる。どうしたら良いものか、今模索している。』

 

 夕陽が店内を茜色に染める夕方。3時のおやつに、このカフェ自慢のチョコクッキーを頼んだ。少し硬めの表面に、中はふわっとしており、ふんだんに使ったチョコチップと相まって、サクッ、ふわっ、ポリッと食感を楽しめる。

 ふと外を見ると、受験生が大学から出てきていた。どうやら試験が終わったようだ。暗い表情の人もいれば、開放された気持ちの人もいる。その集団の中に、あの女子高生もいた。学校の友達なのか、仲良く会話をしていた。正門で別れると、彼女は俯き、何かを待っているようだった。彼女の手には、朝から持っている冷え切ったであろう空のホットほうじ茶があった。


 大学受験は、ただの通過点にすぎない。まさにそうだ。大学はただの学びの場。そこにどんな理由があるか。そこが肝心だ。ただ専門分野を学びたいから。ただ夢もやりたいこともなく、なんとなく大学に行っておいた方がいいと思ったから。ただ安定した就職先を見付けたいから。ただ大学の名前が欲しいから行きたいのから。ただ単に人脈作りたいから。

 それは人それぞれだ。私は夢もやりたいこともなかった人間だった。今思えば、早いうちからやりたいことを見つけていればよかったと思うが、だから私は、とにかく上位の大学に進学して、大学名だけが欲しかった。何かに在籍していないと、不安だったという理由もあるが、やりたいことでお金を稼ぐには、大学名が必要だと思ったからだ。大学生活で、やりたいこと探して、心血注いで突き進めば、いつか道が開けると思ったからだ。自分を知って、何が得意で、不得意か。そこに好きが交わることで、本当にやりたいことが見つかる。その結果、私はグラフィックデザイナーを選び、今がある。

 結局大学とはなんなのだろうか。それはその人にしかわからない。


 でも一つだけ言えることがある。それは、受験はその人の努力指数を図るテストであるということ。どういうことか。ここでの努力の意味合いは、取り組み姿勢の話であり、知能指数を測るのは、表向きの話だ。受験の本当の意味合いは、その人がどのくらい努力できるかを、具体的に図る場であり、点数や偏差値は、その対価だと私は思っている。

 例えば、ここの大学に行きたいとしたときに、偏差値はどのぐらいで、今の自分の偏差値はどのぐらいで、このぐらい差があって、そことの距離を埋めるためにはどうしたらいいのかを、逆算して考え、行動する。行きたい大学に行けたとき、私はこのぐらい努力をすることができますと、証明ができ、それが一つのアイデンティティとなる。偏差値は、いわばその人の努力できる指数を表しているようなものなのだ。それがいつかは、「どこどこ大学出身です」と言ったときに、相手側は、この人はこのぐらい努力ができる人なのだと、一つの判断材料になる。それが頭の良さなのかもしれない。

 学校の勉強は何に役に立つのか。その言葉には、抽象的思考法が必要になる。例えば数学は、論理的な力に、答えを導くための逆算とプロセスの導き方。国語は、大量の文章の中から、何が重要なのかを判断し、それを端的にまとめる能力。理科も、社会も、英語も、家庭科も、それ以外も、何もかも学校で学べるものに、無意味なものは存在しないのだ。だから、それを厳かにしないでほしい。

 勉強で得られた考え方は、ほんの微々たるものかもしれない。勉強で得られた脳の使い方が本領を発揮するのは、勉強以外の時だ。大学に進学してもしなくても、勉強で学んだ考え方は、何かしらに繋がる。良く耳にする、「この努力は裏切らない」の意味合いは、ここからきている。人生において、1つたりとも無駄など存在しないのだ。あの時、こうしとけばよかったという後悔も、次に繋げればいいのだ。

 

 幼少期から何が大切なのかを判断して、人生を歩まなければ行けない時代。親の管理は必要最低限でいいと、私は思う。何が良くて何が悪いのか。困ったら手助けをするのではなく、ヒントを与える。のびのび育ち、たくさんの経験をする。率先的思考を植え付けさせるためには、子供の好奇心たる自主性を重んじる必要がある。

 赤ちゃんが泣き止まないからと言って、スマートフォンに頼っても良くない。スマホ依存症の根源を小さい頃から植え付けるようなものなのだから。それがいずれかは、スマートフォンの安価な刺激だけで済むジャンクフード人間ができてしまうのだ。子供の安寧を求めるのであるならば、まず親自身が変わらなければならない。それはどうするべきか。それは簡単だ。知識だ。知識をかき集め、何が正しいかを判断し、実行する。それはまさに、小中高と教わってきた抽象的思考法なのだ。それが伝染し、子供が育っていく。子供は、親の写し鏡みたいなものなのかもしれない。

  

 そして今の時代に必要なのは、個の力だ。私はあることにゾッとしたことがある。それは若手のやる気を失った姿だ。会社は一個の集団の中に、個が無数に存在している。自立心や向上心が、個自らを動かす。でも、それらが削ぎ落とされた個は、ただのコマのように動くしかなくなる。命令を待つだけの指示待ち人間。決して会社に属すなとは言わない。おさまれとも言わない。ただ、動かない人間にいい未来は存在しないのだ。勉強もそうだ。目標に対してのアプローチは人それぞれ。命令して動くのではなく、考えて動くのだ。勉強だけが全てではない。ただ勉強がもたらす効果は、素晴らしいということ。

 「だるい」だの、「やる気がない」だの、そんなことで社会は回らない。回されるのではなく、回す側の人間になる。

 これが、23歳一介グラフィックデザイナーの教訓だ。


 どうやら彼女の迎えが来たようだ。彼女は、車に乗ると、運転席にいる母親らしき人と抱き合た。彼女は、空のホットほうじ茶の容器を母親らしき人に見せた。たぶん、母親から応援のメッセージでも書いてあったのだろう。朝からずっと、大切に持っていた。お互い笑顔になり、車はゆっくりと発進した。

 私は彼女のことを何も知らない。この大学が第一希望の大学かも、彼女がこの大学に受かるかも、何一つ知らない。今日、自分の目に入ってきた見知らぬ女子高生だ。でもなぜか、彼女が桜が咲き誇る季節に、笑顔であの道を歩いて通学する姿が目に浮かんだ。

 私はノートパソコンを閉じ、残っているコーヒーを飲み干し、店内を出た。まだ外は寒かった。その寒さは、春の訪れを予感させた。

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