ブラックコーヒーとサラリーマン

 土曜の3時。本屋の帰り道。私は本屋での出来事を思い出していた。

 私は本がないと生きていけない。映画もだ。生きてく上で密接に絡み合う、ぐちゃぐちゃな充電コードのような存在。本は紙でなくてはいけない。あの紙質感もそうだが、紙媒体だからの楽しみ方もある。だから私は、本屋に定期的に行かなくてはならない。車のような存在。給油しないと、ガス欠で走れなくなる。だから定期的に給油する必要がある。

 文庫本を2、3つ選び、会計へ。レジには人の列がなしており、会計まで長くなりそうだ。一人、また一人と会計を済ませていく。ようやく私の番が来た。私の前に会計していた人は、その場を立ち去るとする。しかしレジには、私の前にいた人の会計済みの商品が。定員は急いで前にいた人を呼び止め、その人は振り返る。その人は自分が買った商品を持たずに、書店を出ようとしたことに気づき、慌てて自分が買った商品に駆け寄る。「すみません」と、恥ずかしそうにしてその人は書店を出ていった。

 その人はなにお金を払ったのか。その本に? その本を買ったことに? ただその人は、もらって渡すという行為に、お金を払ったのかもしれない。そうなってくると、考えようだな。自分がモノにお金を払っているのか、行為に払っているのかを適切に見極める必要がある。物にお金を払っている場合は、書店はスーパーと言ったもの、行為に払っている場合は、遊園地や映画館。その場に見合ったお金の使い方をしないと、確実に損をしそうだ。


 自転車を漕ぎながら、考えが回る。ジャリジャリとチェーンが悲鳴をあげている。のどかな景色に、髪一本一本をすり抜けていくそよ風。空気が肌をなです感覚が心地よい。

 家に帰る途中にある公園。紅葉が進み、すっかり秋バージョンの公園。私はそこで買ってきた文庫本を少しだけ読もうと、公園に足を踏み入れた。土を踏み締める感触、間仕切りされていない空間なのに、異様に清々しい空気感。自転車のスタンドを下ろし、ベンチに座る。朝方の気温に比べたら、まだあったかい。カバンから文庫本を大切に取る。表紙をめくり、物語へ没入する。

 紅葉がゆっくりと降ってくる。50ページ読んだあたりで、紅葉になりかけている紅葉が、開いてあるページにそっと乗っかる。ふと我に戻り、辺りを見回すと、1人の20代くらいの新卒サラリーマン風の男が。片手には鞄、片手にはブラックコーヒーを持ち、いかにも疲労が溜まった重たそうな体で私が座っている右斜ののベンチに座る。男はどしっと座り、鞄を無造作にベンチに置く。背もたれにもたれ、股を思いっきり開き、脱力モード。男は空を見てため息を吐き、数秒空を見つめたまま、ぼーっとする。そうとお思いきや、一気に前傾姿勢になり、またため息を吐く。缶コーヒーを開ける音。ファーストタッチの飲みっぷり。男は1回目の飲みが終わると、辺りを見回すかのように、前の方に視線をうつす。私は思わず反射で、文庫本へ目線を戻した。

 (あぶねー)

 びっくりしたせいか、毛穴が開くのが全身を伝わってくるのがわかる。恐る恐る男の方へ視線を移す。顔を固定させ、目ん玉が目一杯、動かせるギリギリまで、男に目をやった。男は精気を吸い尽くされたかのように、背もたれにもたれ、猫背のままうつむいていた。いかにも気だるい感じを見せる。

 あの姿を見ると、世の中の縮図のようなものを感じ取れる。そんな姿をしている。多分数ヶ月は、この姿が目に焼き付いているだろう。小さい頃から勉強に勤しみ、いい大学に入り、いい企業に就職する。安泰で、一般的な道。私はそれが嫌で、怖くて、でも食っていくためには、働かなくてはならない。その分、休日はとことん満喫したい。週休2日と限られた中で、プライベートをいかに充実させるか。老後のためとせっせと働くが、私は今のこしゅつしないと生きていけない。今がなければ未来なんてないのだから。今に全力で投資する。それが休日でも抜けめないでいたい。

 話は変わるが、最近、『身体を売る』という言葉について考えた事があった。ちょうど動画サイトで、彼のように項垂うなだれながら、駅のホームに座っている姿が収められた動画を観た。そこからどう脳が判断してつながったのかはわからないが、辞書や検索サイトで調べると、大抵は女性が売春をしてお金を稼ぐみたいなニュアンスを取れる結果が出てくる。果たしてそうなのかと思い立った。

 言葉の再定義。別に身体を売るという言葉は、女性以前に、世界全体が体を売っている気がしてやまない。

 太陽が昇る時と同時に起床。重たい体を無理矢理にでも起こし、朝食を作ってる時間もないな、と思いつつも、手間と時間のかからない食パンをトースターにいれ、その間に歯磨きと洗顔をし、チンっとなると同時に食パンを取り出す。簡単にバターかいちごジャムを塗って食べる。時たま菓子パンで済ませる時もある。身支度をし、満員の電車で、近づきたくもない人間にくっついて数分、数十分も鉄の箱の中で揺れながら、駅につき、出社し、デスクワークをし、外周りがあれば、外が暑かろうが、寒かろうが御構い無しにあちこち駆け釣り回って営業をし、クタクタのまま、また満員電車の中でSNSをチェックをしながら帰宅し、家路の途中で、スーパーの惣菜売り場を探索し、だるそうにドアを開け、それと同時に鞄をどさっと置き、道びかれるかのように台所に行き、電子レンジをあけ、惣菜をレンチンし、その間に部屋着に着替え、小さなちゃぶ台にレンチンした物を次々と置き、熱々の惣菜とパックごはんと、インスタント味噌汁で晩御飯を済ませ、再びSNSをチェックし、歯を磨き、風呂に入り、寝る。上司の接待なんかあった日は溜まったもんじゃない。


 私は時々思うことがある。人生好きなことで食っていけるのは、ごく少数の選ばれたものしか慣れないと。確かに昔の私はそうだった。生きていくためには、自分の中にある何かしらを曲げなければならない。信念、夢、願望、何かを弄らなくてはいけなくなる。ほんの一部の人間が、自分の好きなことで生活ができる。ただそう嘆くだけの人生でいいのか、と思いつつも、足を一歩も動かしていないことに気づくまで、土俵に立っていないことに気づくまで、私はただの見物人でしかないことに気づくまで。どんだけ時間を無駄にしただろう。

 好きなことを仕事にすることに、いかにコミットできるか。よく極貧生活の中、抜け出したお笑い芸人の話。よくできた物語だと思っていたが、意外とそうではなかった。意外と動いてみると案外楽なことに気づいた。本や映画が好きで、いつかはそれ関係の仕事に就こうと思っていたが、いつの間にかその夢は叶っていた。


 ただ仕事をしてお金を稼ぐ生活。確かにこれでも十分満足だが、心が躍動していないことには変わらなかった。ベンチに座っている男もそうなのかもしれない。心が踊るような人生を暮らせていないのかもしれない。そうじゃなきゃ、あんなにも辛い感じでベンチに座らないだろう。このあとは帰社するか、帰宅するかの、接待なのかわからない。そしてまたおんなじ日々を繰り返す。それが大丈夫と言う人がいるが、私は多分無理かもしれない。だから私は動く。動いて、動いて、動きまくる。そして気づく。動いた者勝ちだと言うことを。家に引きこもっていても何も始まらない。だから私は動いた。そして今は呑気に公園のベンチで文庫を読んでいる。多分あの男も、いつか人生の転機が来るのかもしれない。

 まだ若そうなサラリーマン。彼は缶コーヒーに口をつけ、思いっきり上を向き、飲み干す。そして息を吹き返したかのように思いっきり立ち上がり、深呼吸をする。肺に溜まる酸素、全身をめぐる酸素、血管を縦横無尽にめぐる酸素を感じているかのように、一瞬フリーズしてから、突然動き出す。鞄をガシッと持ち、公園を出た。彼の人生に幸あれ。


 身体を売ることは、世の中を支えている。どんな手段であれ、人間はこの社会で生きなければならない。そうしたくなければ、外国に永住するか、死ぬかの二択だ。一人一人が何かのタイミングで思い立ち、行動した結果、周りの人間も変わっていく。あのサラリーマンもだ。高卒なのか、大卒なのかわからないが、その時は最善の選択だったのだろう。やって見て想いが変わる事もある。そしてそれが一つの歯車として、身体を売りながら、社会で生きていくしかない。それが繋がっていく。何人の人間に影響をもたらすかはわからない。でも確実に周囲の人間を変えることは間違いないだろう。それがいいことでも悪いことでも。どんなことでもいい。生きてさえいれば変わるのだ。思いもよらない出来事で自分の人生が変わるかもし得ない。はたまた、自分で手を差し伸べて、変える人間になるかもしれない。自分が変えようと必死にもがくかぎり、なにかは変わるだろう。身体を売ることは、社会の駒として社会で生きられるのだ。

 

 結局、男の方に意識が持ってかれて、文庫は一向に読み進んでいなかった。文庫を閉じた瞬間、今度は立派な紅葉が落ちてきた。

 (しおりにしよう)

 私は文庫をカバンの中にしまい、紅葉の葉柄ようへいを摘むように持ち、自転車を押して公園を出た。明後日には私も身体を売りに社会に出る。

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