北嶋家は変わらない

 白狗の社でかなぁり手こずった俺は、珍しい事に神崎からお休みを戴いた。

 公認の休暇は、実は初めてだったりする。

 つまり、いつもは勝手に休んでいるのだ。

 言わばサボっていると言っても過言では無い。

 いや、断言しよう。

 サボっているのだ。

 働き過ぎは良くない。労働基準法違反になってしまう。

 法を破るのは良くない。罪人になってしまうからだ。

 罪人になったら天パに捕まってしまうだろ?

 天パに捕まる、つまり天パが出世する、つまり天パの給料が上がる。

 つまり縮毛矯正代を捻出されてしまう訳だ。

 天パがサラサラヘアーに生まれ変わる為に、罪人になるなどつまらん。

 だから罪人になるのは駄目だ。

 だから俺は適度にサボる。

 罪人にならない為に、こき使われて疲労が蓄積している身体を休める為にだ。

 まぁ、要するに、休みたい時にサボって何が悪い。と言いたい訳だが、公言すると神崎に虐待を受ける羽目になるので、敢えて言わないだけなのだ。

 だが、今日ばかりは公認の休み。完璧にダラダラさせて貰う。

 今日は絶対に布団から出ない。何が何でも出ない。奮発して買った羽毛布団の柔らかさに包まれで、惰眠を貪るのだ。


 ピンポーン…


 呼び鈴が鳴ったが俺は出ない。

 惰眠を貪るとジッチャンに誓ったばかりだ。

 いつジッチャンに誓っのかだって?

 ハードボイルドに細かいツッコミは無しにして貰おうか。


 ピンポーン…


  ……絶対に出ない!

 出たら誓いが台無しになる。

 ハードボイルド北嶋の信用を、著しく落としてしまう可能性だってあるのだ。


 ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン…


「だああああ!うっせーわ!!集金なら神崎に言え!営業ならぶっ殺す!!」

 憤り、必要以上に足音を立て階段を降り、玄関ドアをこれまた必要に力いっぱい開けた。

「なんだゴラあ!!うっせーんだよこの野郎がああああああ!!……あああ?」

 そこには、いきなり叫ばれてキョトンとしている傷だらけコックとカタコト娘が、間抜け面で突っ立っていた。

「なんだ、傷だらけコックとカタコト娘か。わざわざ関西から何の用事だ?」

「あ、ああ、うん…改めて御礼をと、ネ……」

「あ、ああ…それと、お前と約束した事を果たそうと……」

 約束?はて?

 俺程の未来ある男が、人生も身体も傷だらけな料理人と約束などするのだろうか?

 いや、無い。

「何だか知らんが俺は今日は惰眠を貪る日なんだ。仕事の話なら後日…」

「店の料理食い放題の約束だが、関西まで遠いだろう?だから出張したと言う訳だ」

「確かに約束はしていた!お前はいい奴だ!人生傷だらけとか思ってスマン!!」

 素直に謝罪した俺。

「そんな事思っていたのかお前は!!」

 謝罪したにも関わらず憤慨する傷だらけコック。いい奴だと思ったが、短気な奴に撤回させて貰おう。

「そんな訳で、ワゴン車に食材とか調味料とか積んで来たネ。台所を借してくれれば、いつでも料理開始できるヨ」

 金は貸す程持っていないが、台所なら無料で貸せる器量は持ち合わせている。

 OKを出そうとした時、神崎が買い物から戻って来た。

「あ、立慧さんに雲行さん?どうなされたんですか?」

 慌てながら駆け寄って来る神崎。ミュールで走んな。カタコト娘を見ろ、あのカンフーシューズを。安心安全だ。

 俺は足ツボ健康スリッパだが。

「神崎サン」

 カタコト娘が神崎にあれこれそうよと話した。

「……女性二人でお喋りしている図は華やかだな」

「カタコト娘しか女が居ない訳じゃあるまい。確か中華料理屋にスリットがセクシーなウェイトレスが多数居ただろ」

「確かに女性は居るが、西王母たる立慧と対等に話そうとする人間は居なかったものでな…女同士のお喋りは立慧の夢の一つなんだ」

 傷だらけコックは微笑ましい光景を見ているように顔が綻んでいた。お前はお兄ちゃんかと突っ込みたいところだが、カタコト娘は自由など無い環境だったのだ。小さな夢が叶ったのなら、料理を奮発するとかして反映して貰いたい。

「まぁ、そうなんですか?わざわざすみません」

 深々と頭を下げる神崎に恐縮するカタコト娘。

「やめてヨ!救われたのは此方なんダカラ!!」

 そして救ったのは俺だ。だから料理に感謝の旨を反映させろ。と、言いたいが、俺は空気を読む男、北嶋。敢えて黙って頷く程度に留めておいた。

「丁度良かったわ。今日は印南さんが来るんです。雲行さん、豪勢に行きましょう!!」

「印南が?そうですか。幸い材料も沢山持って来ていますから、一人二人増えた所で動じる事は無いでしょう」

 胸を叩いて頼もしさをアピる傷だらけコックだが、俺は初耳だった。

「何で天パが来んの?」

 たまに遊びには来るが、こんなタイミングで来られたら、分け前が減るじゃないか。

「一応の報告よ。マンション建設に携わった会社とか、犯人の事とか。わざわざ必要無いとは思うけど、預かっている物もあるとかで」

 報告なんか本気で必要無いが、預かっている物?

「誰から何を預かっているんだ?」

「さぁ、そこまでは聞いて無いけど…」

 困り顔の神崎。萌える。まぁいいや。材料が沢山あるなら、取り分に影響が無いだろう。上手く行けば、天パもお土産持ってくるかも知れない。寧ろ持って来い天パ。

「じゃあ早速頼むぞ傷だらけコック。タンメンまた作ってくれ」

「スープも持って来たから任せろ」

 頼もしく胸を叩く傷だらけコック。あのタンメンは旨かったから、もう一度食いたいと思っていたので、渡りに船だった。

 台所は傷だらけコックが占領した形になった。神崎は思う所があり、庭にバーベキューコンロを出し、椅子とテーブルを並べる。

 つまりは外で食うと言う事だ。

 だが、バーベキューコンロをセットしたと言う事は……

「また焼き肉か……」

 裏山の肉にハマっている神崎は、このところほぼあの肉を使って調理している。当然今日のバーベキューでも出すのだろうが、頻度が頻度だ、そろそろ飽きるわ。

「北嶋さん。裏山でバーベキューに使える食材持ってきてくれる?」

「はあ?俺は今日は完全休日の筈だろ?働かせるのかよ?」

 不平不満を思いつく限り口にする俺。

「はいはい。じゃ、お願いね」

 手の甲で追い払う仕草をしやがる神崎。俺の異論はオールスルーの却下かよ!!

「はぁああ~…仕方ない…行くか…」

 頭を掻き、面倒臭いオーラ全開で裏山に赴く。先ずは手始めに池に行くか…

 溜め息をやたらと付きながら、俺は重い足取りで池に向かった。

――何だ勇、珍しいな

 海神が本気で珍しそうに目をまん丸くした。

「掃除やらで来てんだろうが」

 たまには、と小声で呟いてやった。

――ふぅむ…察するに、何か食材を捕りに来た、と言ったところか

「なぜそれを!?」

――そうでなくば、怠け者の貴様が、池に足を運ぶ事など有り得ぬわ

 成程そりゃ解りやすい。解りやす過ぎて涙が出てくる。

――そしてそれは尚美の命。貴様のしょぽくれた顔が何よりの証拠よ

「その通りだよこんちくしょう!!」

 全て読まれた俺は自棄やけになり、服と万界グラサンを外して池に飛び込んだ。

 最早俺には海神の読みなど通じない。見えないし聞こえなくなったのだから。

 だが気配は……

 知らん。見えないし聞こえないのなら、気配も知る必要は無い。

 俺は少し冷たい池の中から、栄螺と車エビ、そして烏賊を数匹ゲットし、池を出る。

「うおっ!さみい!!」

 温かくなったとは言え、真夏までは程遠い気温。俺は慌てながら服を着直し、池を離れた。

 バーベキューならば茸類も欲しいな。そんな訳で、次は虎の松、竹林に赴く。万界グラサンは外した儘だ。またとやかく言われたらたまらんからな。

 松、竹林から舞茸と松茸をゲット、ついでに筍も掘って持って行こう。

 傷だらけコックにメンマを作って貰おう。いや、筍なら中華でも色々使えるな。ついでに果物ももいで行くか。

 そのまま丘の果樹園に行き、桃やら葡萄やらスターフルーツやらグレープフルーツをゲット。

 いつも柱と話して先に進まなくなるが、見えない聞こえない感じないのなら、捕まる事も無い。

 俺はこの調子で滝に向かいモクズガニを数匹手掴みでゲットし、いよいよメインの肉、いや、岩山に向かう。

 岩山は俺が超苦労して造った塀に囲まれているが、門があるから問題無く入れる。

 そして俺はレバー肉を適当に切り分けた。

 しかし、視える時は両目があるレバー肉だが、裸眼で見ると、本当のレバー肉にしか見えない。

 あの両目はそこそこ霊力が無ければ見えないのかも知れない。視肉が広まらなかったのは繁殖が難しいのも確かに理由だろうが、実のところ、視肉そのものも視認出来なかったのかも知れない。俺も存在を知っていたから解る程度だし。現在、ただの肉片にしか見えない訳だから。

 家に戻ると、庭先にワゴン車を止めている駐車場付近で、タマが虎柄の猫と何やら話しているように見えた。

 つか、何だあの虎柄猫は?タマの友達か?

 タマに猫の友達なんて珍しいな。

 俺は談笑しているっぽいタマの頭を軽く小突いた。

 驚き、振り向くタマ。

「お前猫の友達なんていたのか。クロくらいしか相手にしてくれないと思ったが、なかなかどうして社交性があるな」

 いや、先日のチワワの件でも知るように、この小動物はなかなか面倒見が良い、

 弱きを助け、強きを挫く。正に北嶋心霊探偵事務所の所員、いや、マスコットに相応しい!!

 満足そうに頷く俺に、弾が何か言いたいのか、前脚を自分の目に仕切りに付ける仕種をした。

「何か話したい事でもあるのか。だが、暫くはグラサンはいいや。いらん情報入り易いからな。後で庭に来い。バーベキューするから」

 タマを置いて先に戻る俺。タマは何かクワークワー言っていたが、そろそろ腹が減って来たので聞こえない振りをかました。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


――……何だ貴公の主殿は?私を虎柄猫とか言っていたような気がするが……

 開明獣が首を傾げながら勇の後ろ姿を目で追っていた。

――あの男は今は視えない・・・・のだ。いや、神気が視えないと言うべきか。故に現世で留まれる生身の部分だけしか見れていない

――む?意味が解らないが…確かに、私は仙気を除けば、猫程の肉体しか持てぬが…

 勇には、その仙気を除いた状態の開明獣が見えている。

 今は開明獣たる証の翼も、小さな痣にしか見えない。

 妾は開明獣に根気良く説明をした。

 開明獣にしてみたら、勇程の強者が万界の鏡の力を借りなければ、霊すらも視えない事など到底信じる事が出来ないのだ。

 証拠に何度も何度も同じ質問を繰り返して聞いてきた。

――……俄には信じられぬが、それが事実なのだとしたら…貴公の主殿は一体何なんだ??

 何なんだと聞かれても、返答に困る。

 だから妾はいつもの調子で答えるしか無かった。

――馬鹿者な妾の主だ

 開明獣はいよいよ解らんと首を捻るばかりだが、妾にはこれ以上答えようが無い。

 それが勇の全てだと、妾は思うからだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 庭のテーブルに雲行さんが作った料理をせっせと運ぶ私と立慧さん。殆ど並び終えた時、北嶋さんがカゴに大量の食材を抱えて戻って来た。

「お帰りなさい」

 どれどれとカゴを見ると、バーベキューに必要な材料ばかりを選んで持って来ている。だが……

「筍と…沢蟹は違うんじゃない?」

「沢蟹じゃねーよ。モクズガニっつー上海蟹の親戚だ。そして筍は中華でよく使う」

 成程、中華料理の材料も取って来たのか。そう言う所だけは気が利くなぁ。

「傷だらけコックに渡しておいてくれ」

「はぁい」

 言われて素直に従う。

「最初会った時は神崎サンの方が強いと思ってたケド、なかなかどうして……」

 含みを持たせた笑みを浮かべる立慧さん。

「上手く操縦するのがコツです」

「上手過ぎる程操縦してるヨー!!」

 北嶋さんに顔を向ける立慧さんは、満足気に笑った。

 北嶋さんは一仕事終えたと言う達成感と、素直に従った私に対しての優越感に浸り、ニヤニヤしながらビールを煽っていたからだ。

 それから少し経った頃、家に一台の車が入って駐車した。

 その車は赤い旧車、コルベットスティングレイ…!!

 格好いい!!

 じゃなくて!

「誰かしら?コルベットに乗っている知り合いなんかいないけど…」

「お前は車で知り合いか否かを見極めるのか。用事があるんなら降りてくるだろうよ」

 確かにそうだけど、車で知り合いか否かを見極めるとか言われた。

 少し落ち込む私だが、その時ドアが開き、運転者が降りた。

「え?印南さん?」

 運転者は印南さんだった。確か以前はZ32だった筈だが、車を代えたのか!

 印南さんはサングラスを外して、笑いながらテーブルに寄って来た。

「何だ何だ?良いところに来ちゃったみたいだな?」

「なんだ天パか。お前車取り替えたのか?」

「前のZ32壊れちゃってな。知り合いの中古車屋から安く譲って貰ったんだよ」

「すんごい素敵です!Z32も格好良かったけど、スティングレイの盛り上がっているフェンダーが超格好良いです!いいないいなー!!」

 旧車で名車のスティングレイの周りではしゃく私。それを見て、北嶋さんは引いていた。

「神崎さんは相変わらずですね」

 印南さんは笑いながらテーブルに封筒を出した。

 何かしらとテーブルの封筒を見ると、差出人の田中さんと言う方が警視庁宛に届けた物のようだ。中を調べたのか、既に開封済みではあるが。

「北嶋、お前宛てだ」

「は?なんで警視庁宛の封筒が俺宛てなんだよ?大体田中なんて知らねーぞ?」

「知らないのも無理は無い。この差出人は、チワワの飼い主のお婆さんの遺族だ」

 そう言えば、後でタマに聞いた所、確かに小犬は飼い主の元へ戻したが、飼い主の名前すら知らないとか言っていた。田中さんと仰るのか。

「印南さん、その手紙には何と書いてあるんですか?」

「チワワを見つけ出してくれた方へ感謝の言葉です」

 受け取れと封筒を北嶋さんの前に滑らせる印南さん。だが北嶋さんは眉間にシワを寄せて、困っているような表情を作っていた。

「どうしたの北嶋さん?早く受け取って読んで聞かせてよ?」

 確か病院には警視庁がペット泥棒の件で聞き込みをしていた筈だから、その関係で北嶋さんに辿り着いたのだろう。わざわざ感謝の手紙を届ける為に、かなりの努力を要した筈だ。そんな有り難いお手紙の内容を、是非私も聞きたい。

「これは俺が読むべきじゃないだろ。神崎、タマに渡してやれ」

 タマに……そっか。

 タマが動いたから、チワワは飼い主の元に戻ったんだ。北嶋さんはただタマを助けただけに過ぎない。故に自分は感謝を受ける筋は無い、自分はチワワと飼い主の為に動いた訳では無いのだから。

「おいおい…冷たいな?遺族はお前に…いや、そうか…そうだな……」

 印南さんも納得がいったようで、私に手紙を差し伸べた。

「神崎さん、お願いできますか?」

「はい。確かにお預かり致しました」

 私はその手紙を宝物を扱うように、大事に、丁寧に受け取った。

 折れ目など付けないように、遺族の気持ちを、少しでもちゃんと伝えるように。

「しかし、今回はタダ働きみたいなものだろう?警察からの謝礼金も受け取らないし」

「だから、今回の依頼者はタマなんだよ。タマから謝礼取る訳にもいかんだろ。どうしてもと言うのなら、タマにいなり寿司でも買ってやれ」

 この話はお終いだと言わんばかりにビールを煽る。

「……了解」

 印南さんもそれ以上言わなかった。

 言う必要も無い。

 北嶋 勇はそう言う男なのだから。

「お待ちどぉ…あれ?来たのか印南」

「何か良い時に来たみたいでな。丁度いい、お前も聞いてくれ」

「料理はこれで最後だから構わないが、一体何だ?」

 席に座る雲行さんと立慧さん。私もスティングレイが名残惜しいが、座る。

「今回の件でのマンションの持ち主だが、やはり華僑の者だった」

「解ったなら捕まえろよ。わざわざ報告なんかいらんわ」

「簡単にいかないだろう。一応中国警察にも協力を要請したが、名前を出した瞬間適当にはぐらかされたんだ」

 つまり、かなりの大物?

「誰だ?泰山が責任を以て捕らえる。是非協力させてくれ」

「ワタシ達も華僑の大物に知り合いが居るネ」

 頼もしい。敵側に大物が居るようだが、此方も負けていない。

 しかし、自信満々な雲行さんと立慧さんだが、印南さんが発した名前を聞いて固まる事になった。

「敵側の華僑、大物の名前だが…張 庚夫」

 北嶋さんの箸の進む音のみが聞こえる静寂。この静寂で、ただならぬ大物だと言う事が窺えた。

「……張…か…確かに陳と繋がっているとの噂は聞いているが……」

「何とかなるか?」

「……残念ながら…表でも裏でもかなり厳しいネ……」

 表でも裏でも厳しい。法で裁けない。暗殺も難しいと言う意味だろう。

「誰なんですか?張…でしたっけ?」

「……華僑の中でも一番の金持ちネ。その資産は公表されているだけでも日本円ならばおよそ五千億。当然裏の資産も沢山あるネ。軍部にも顔が利く。理由は武器売買。核すらも商売できる男ヨ」

「表では資産家、裏では武器商人。政治家にもかなりの顔が利くらしい。勿論、マフィアにも」

 ……なんか凄過ぎて、イマイチピンと来ない。中国政府、軍部にまで手が回せる超大物の超お金持ちって事が解る程度だ。

「ふーん。大変だなぁ。頑張ってくれ」

 此方は興味が無いと言わんばかりに、ご飯をがっついている。

 北嶋さんなら…いや、動く筈は無い。あくまでも警察と泰山の問題、動く理由が北嶋さんには無い。

「少し冷たいんじゃないか北嶋?印南の気持ちも、俺達の気持ちもあるだろうに……」

「警察が動かないんなら仕方無いだろが。お前等も無理なんだろ?諦めるしか手が無いんだろうが」

 実も蓋も無い事を平然と言うが、その通り。どうしようも無いから諦めよう。印南さんも雲行さんも、暗にそう言っている。北嶋さんは諦めるのならば話は終わり。そう言っているのだ。

「しかし、悔しいな…せめて菊地原総監が動いてくれれば…」

 動いたから何か変わると言う訳でも無いのだろうが、示しが欲しいのだろう。

「ならお前が偉くなって足掻けばいいだろ」

「偉くなってって、警視総監に?」

「少なくともお前なら動くんだろ?そうすりゃいい」

 また無茶な事を…

 警視総監はキャリアにしかなれない。それもエリート中のエリートじゃなければなれないのだ。

「あのね北嶋さん…」

 言い聞かせようとしたその時だった。

「……そうだな…お前の言う通りだ。やってもいないのに無理だとか、俺は完全に甘えていた……」

 意外な展開だった。一番無理だと知っている筈の印南さんが、静かに決意を固めているのだから。

「そう…だ…例え無理でも無駄にはならない。いや、無理を超える可能性だってある!」

 此方も何やら火が点いた様子。

 何?一体何なのこの熱さ??

 呆然としている私の肩をツンツン突くのは立慧さん。小声でヒソッと囁いた。

「男は単純で羨ましいネ」

 全く同感、その通りだ。

 だけど、いつかは手が届きそうな…微かだが、そんな希望を感じる事もまた事実。

「因みに、北嶋さんなら、そんな超大物が相手ならどうする?」

「普通にぶっ潰すだけだが」

 此方は至極シンプル。敵なら潰す。ただそれだけ。

「でも、裏にも表にも顔が利く超大物なのよ?法で裁けない。暗殺も難しい」

「銀髪の親父と似たようなもんだろ」

  リリスの父親か……

 それは確かにそうかも知れない。そんな父親だが、リリスを恐れているとか…つか、その弁じゃ、ロックフォードを潰せるって言っているようなもんなんだけど?世界一のコングロマリットだよ?そんな簡単に……

「アナタが一番単純だよネ北嶋サン」

 一斉にその通りだと合いの手が入った。

「単純だろうが何だろうが、やったモン勝ちなのには変わるまい」

 特に気を悪くした様子も無く、北嶋さんは黙々と食事の続きを始めた。


 昼過ぎから始まった食事会は、夜中になった今でも続いていた。

 お酒をガンガン煽りながら続く宴に、少し、いや、結構疲れて、私は裏山を一人散歩していた。

 夜風が気持ちいい。お酒で火照った身体を冷やしてくれる。

 中央の休み場に付き、椅子に腰を下ろして、持参したペットボトルのお茶を開けると、いつの間にか足元にタマがお行儀良く座っていた。

――やれやれ、あの馬鹿騒ぎはいつまで続く事やら

「本当にねぇ…まぁ、たまには良いでしょう」

 言いながらポケットから封筒を出す。

――それは?

「あのチワワのご主人の遺族から。お礼の手紙よ」

 読んで聞かせようと開いた。

――要らぬ。無粋な真似はするな

「要らない?」

 頷くタマ。

――妾は小さき犬との約束の為に動いた。そして叶った時、既に礼は言われておる

「でも、遺族の方もお礼を言いたいのよ?」

――その文を送った事のみで充分伝わった。残された者の気持ちはな。そして妾は遺族の為に動いた訳では無いのだ

 だから受け取る訳にはいかないと。此方も飼い主に似て、なかなかの頑固者である。

「そう、それじゃ私が代表して、大事に保管しておきましょう」

――そうしてくれ

 そっぽを向くタマ。要するに照れているのだ。お礼を言われる事がくすぐったいのだ。

「読みたくなったらいつでも言っていいからね」

――だから要らぬ

 くっくっと笑ってしまう。無理した無視が面白い。

「そうそう、今回の件で露見した事件のお礼に、印南さんがいなり寿司をご馳走してくれるって」

――何と!誠かそれは!!

「それも要らない?」

――それは話が違う!妾を労う事こそ、あの刑事の今回の最後の仕事なのだ!!よいか?礼では無い。労うのだぞ?

 尻尾を振り、私の脚に前脚を乗せ立ち上がり、訴えた。

「じゃあ明日、お願いしましょう」

――何!?今では無いのか!?

「みんな呑んじゃってるから、買い物に行けないのよ」

――くぅぅう!何と言う仕打ち!下らぬ宴よりも優先すべき事だろうにっっ!!

 正にのた打ち回るタマ。その様子を眺めながら、微妙に癒やされて笑った。


 宴から暫く後、警視庁…印南さんから電話が入った。

『張が隠居した!!』

「ええ、知っています」

『………え?』

「先程立慧さんからも同じ電話を戴いたばかりです」

 つまり説明するのはこれで二度目になる。

 ここ北嶋の裏山には崑崙がある。

 陳も生きていたら、どうにかして奪い取ろうと思ったに違いない。仙丹を作る材料が、全て賄えるからである。

 張も陳のシンパとして仙丹の恩恵を受けていた筈だ。

 おそらくは不老長寿。まあ、完璧な仙丹では無いだろうが、陳の秘術のみで精製可能なその薬は、張が手を組む、手を貸すに値するものだ。

 まして陳は仙人だ、その奇跡的な力をまざまざと見せ付けられたら、どんな打算があろうとも、陳に取り入ろうとしてもおかしくは無い。

 だが、陳は死んだ。極東の島国で、配下全てと共に死んでしまった。

 張は調べたに違いない。陳を殺した者の名を、何故殺されたのかを。

 そして知ったのだ。陳が死したかの地に、不老長寿の薬の材料が豊富にある事を。

 つまり、北嶋の裏山に奪いに来たのだ。

 最初はチンピラ、そしてヤクザ。

 半殺し以上の目に遭わせて、また攻められるのは面倒と、草薙で空間を斬り、先ずは張の息の掛かった全てのマフィアを潰す寸前まで追い込んだ。

 タマなんか嬉々として暴れていたし。北嶋の七柱も容赦を見せなかったし。

『し、しかし、そんな大事件が起こったら、少なくとも俺の耳に入ってくる筈!!』

「普通に脅してました。チクったら今度は本当に殺す、と言ってね」

 脅して頷くに足る事をやった訳だ。

 そりゃ。いきなり、唐突に、何の脈絡も無く現れて、そこにいたマフィアを全て病院送りにしたのだ。

 張のコネクションで手に入れた重火器が、全く役に立たずだったようだし。

 破壊した建物は、外観だけは賢者の石で修復したが、(恐らく騒ぎになる事を嫌ったのだろう)中はボロボロの血塗れの儘放置した。

 一瞬で修復した奇跡、一瞬で壊滅寸前まで追い込まれた事実。マフィアのボスが簡単に頷いた理由は、言うまでもなく、ただの恐怖でだった。人外の力を扱う、ただ一人の男に怯えたのだ。

「その足で世界中に散らばる張の会社や裏のルートを、七柱に潰させていました」

 あるいは『天罰』による倒産。あるいは『天災』による崩壊。

 三割程潰した時に、軍部が動く気配を見せた。

 張が命令したのだろうが、それは直ぐ様取り消された。

 何故なら、北嶋さんが張の屋敷にひょこっと現れて、普通に殴り倒したからだ。

 この時張は香港の屋敷で強固な警備の中、多数の愛人と乱交していたそうだ。

 空間を斬って移動する北嶋さんには警備は意味無し。張がお楽しみ中に、張の愛人の目の前で、とことん追い込んだ。

 ただ殴って。

 致命傷になる傷を負わせたら賢者の石で治し、また殴り倒した。

 何度も何度も泣いて謝ったらしいが、北嶋さんはやめなかったらしい。

「少しでも甘い顔見せたら、甘えて同じ事やるかもしんねーじゃん」

 本人の伝だ。

 そしてタマ曰わく。

――あの男、妾が数えていただけで、70回は死んでおったぞ

 つまり、治療しなければ、70回以上絶命した事になる。

 執拗ないたぶりを目にして、愛人の全ては精神を壊したらしい。魂が抜けたように、感情を無くしてへらへらと笑い、汚物を垂れ流すまで堕とした。と、タマが言っていた。

 北嶋さんの目の前で軍部に中止命令を出し、北嶋さんの目の前でマフィアや政治家、会社の株主全てに引退表明の書面を送ったりして、漸く解放したらしい。

――我はよく解らぬが、恐らくは奴は資産の五割は失ったな

 海神様の伝だ。憤怒と破壊の魔王が張り切っちゃって困った。と零してもいた。

「解放してやる代わりに肉まんをいっぱい貰って来てました。手打ちを望んで金や宝石、不動産を提示されたようですが、手打ちも何も、許すつもりはねーしな。ですって」

『……許すつもりは無い…って…今度そんな真似したら…次は無いと言う事ですよね?』

「いえ、多分顔見たら殴り倒すレベルでしょう」

『そんなレベルで半分壊滅させられちゃ…いや、解りました…』

「因みに肉まんは美味しかったです。雲行さんの肉まんよりは落ちますけどね」

『はぁ…はは…』

  乾いた笑い声だった印南さんは、疲れ切った様子で電話を切った。

 そりゃそうだろう。裏も表も自由自在の超大物が、僅か三、四日で負けを認めて退いたのだ。あれほど悩んだのがアホらしくなったのだろう。


 更に三日後、立慧さんからの着信。

『張がワタシ達に完全協力を申し出て来たネ!!』

「ああ、そっちに泣きついたんですか」

『……その口振りじゃ、ある程度は予想していたんだヨネ?』

「ええ。必ずどこかに保護を求めるだろうなぁ、と」

 御存知のように、北嶋さんは敵にはしつこい。

 張を許すつもりは無いのは勿論、俗に言う悪党は、必ずどこかで仕返しを考えるから容赦はしないとか言っていた。

 そんな訳で暇を見つけては北嶋さんは、張の元にひょっこり向かい、力いっぱい殴り倒した。致命傷になるような傷は瞬時に治して、何度も何度も殺した。

――某が呼ばれた時は何をさせられるのかと思いましたが、成程、あの拷問・・は某の力が必要なのでしょうな

 感心し、唸る最硬様だが、拷問って。

 要するに、張の居る部屋に亀甲の盾で防御壁を張り、場に居合わせた人間全てに張をいたぶる様をまざまざと見せ付けたのだ。

 亀甲の盾の内側に護られた者は、外部の敵の攻撃に遭わない。逆に言えば、亀甲の盾に閉じ込められた者・・・・・・・・は脱出不可能となる。

 張の阿鼻叫喚の絶叫を盾の外側の人間は聞こえただろうが、救出不可能。

 扉にすら近付けない。

 既に中に居たボディガードは転がり、気を失っている。

 客人はあまりの恐怖に声すら発する事ができない。

「……と、こんな感じで三日三晩。そろそろ北嶋さんの関係者に泣きつく頃だろうなぁ、と」

 浅はかな人間ならば人質にと思うだろうが、その後必ず来るであろう報復が、何より恐ろしい。

 調べはついているだろうから、実家のおじいちゃんおばあちゃん、水谷の梓、菊地原警視総監あたりかなと思ったが、寄りによって敵方の立慧さんに助けを求めるとは。

『……しつこいってか、面倒臭いネ……』

「北嶋さん曰わく、人の物欲しがるんだから、自分も欲しがられても仕方無い。それが例えば命だろうが、地位だろうが、名誉だろうが。ですって」

『確かに崑崙は北嶋サンの物だしネ…だけど張のコネクションや財力は、泰山の大きな力となるネ…だから…』

「解ってますって。もう止めるように言い聞かせますから」

『助かるネ!ありがとう神崎サン!!』

「ですが、もう一度でもおかしな真似をしたら、私でも押さえられませんから、それだけはくれぐれも張に念押しして下さい」

『それはもう、今度やらかしたら泰山総出でぶっ殺すカラ!!』

  意気揚々に電話を切る立慧さん。実は北嶋さんは此処までの流れを予測して行っていると知ったら、どんな顔するんだろうと。一人悪戯に笑った。

 要するに、張のコネや財力は魅力なのだ。

 いや、北嶋さんはそんなの知らんがなとか言っていたけど、後々きっと役に立つからと、私が説得して動いたのだ。

 未だ正体不明のスピリッツの居場所を探る為には、世界中にネットワークを広げる必要がある。

 霊視にかからない相手だから、地道に目撃情報を探ろうと言う事だ。既にアメリカとヨーロッパの一部の知人には協力を仰いでいる。

 張は中国全土は勿論、世界中にも会社を経営していたから、それを利用すれば私の目・・・が、かなりの範囲に広がった事にもなる。

 ひょっとしたら、接触した事のある人間だって居るかも知れない。そこに当たる可能性だってある。

 取り敢えず、今回の件はこれで終わりと北嶋さんに報告しよう。

 北嶋さんは二階の自室でお昼寝中だ。

 連日連日、いたぶる仕事・・・・・・をしていたから、多少の我が儘は許す事にしている。

 軽くノックをし、ドアを開けると、爆睡中の北嶋さんの傍で、タマが布団を前脚で掻いていた。

――おい貴様!一体何日散歩をサボっておるのだ!貴様の責務を忘れたのか!おい!!

 そう言えば、いたぶる仕事・・・・・・が忙しいとの口実に、タマの散歩を全然していない。

 私が代わりに連れて行っているのだが、やっぱりタマは北嶋さんと散歩したいのだ。

――おい!起きんか愚か者!!貴様いい加減にせんと、如何に妾が温和なれど、そろそろ酷い目に遭う事になろうぞ!!

 遂には布団の上に飛び跳ね、ぴょんぴょんと体重を乗せた攻撃をし始めた。

 タマは軽過ぎだから通じないんじゃとは思うが、これはタマの必死の攻撃だ。邪魔するのも忍びない。

――おい起きんか!おいっクワッ!?

 遂には北嶋さんの寝返りパンチが裏拳でタマにヒットした。寝ている分手加減無しなので、タマのダメージは計り知れない。

 タマはプルプル震えながら立ち上がり、涙目になって叫んだ。

――もう許さん!妾は貴様を見限った!家出じゃ家出!!貴様の顔など見たくはないわ!!

 また家出されて面倒な事になるのは私も困るので、タマに加勢して、北嶋さんを文字通り叩き起こした。

「な、何しやがるんだ神崎!?」

「北嶋さん、散歩よ。タマの散歩。三人で行きましょう。私達家族で歩きましょうよ」

 諭した訳じゃない。普通に、ただ家族で歩きたかったから言っただけ。

「う、うん……」

 戸惑い、布団から起きる北嶋さん。

――家族……か……

「そうよ」

 だから離れちゃ駄目だ。

 だから三人で行こう。

 だから、北嶋家は今日も平和であるのだ。

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北嶋勇の心霊事件簿17~嘆く女神~ しをおう @swoow

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