右手を上げて下さい

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右手を上げて下さい


『右手を上げましょう』



「こんにちは」

「あら、こんにちは」

 善良な人々は今日も右手を挙げて暮らしている。

 どこを向いても誰を見てもほぼ全ての人間の右手は上がっている。

 起きた時にはもう右手が上がっている。食事や身支度をしていても右の手は上げたままである。外に出ても右手は上がっているし、家の中に居ても右手を上げている。寝る時の姿もそのままの形をしている。

 基本的に人は右手を上げているものだ。


 何故右手を挙げるようになったのか。始まりは誰も知らない。生まれた時からそういう生き物なのか?いや違う。けれども物心つく頃には大体右手を上げている、何故なら周囲が右手を上げているからだ。

 曖昧な認識の中でも人々は右手を上げる行為の利点を多く見つけ出した。

 右手を上げれば視認性は高まる。お陰で不慮の事故が少しばかり減り、強盗や窃盗等の事件発見率は高くなった。

 手を上げると便利である。成程これは素晴らしい。だからこそ人間は右手を上げるようになったのだ。そんな論を持つ者も一定数存在する。勿論異論もある。


 右手を上げた招き猫、仏像、神像は親近感からより一層愛されるようになった。

 絵画や銅像、漫画や写真。こういった物も人なら右手を上げた姿が当たり前に写し取られ、ことなる形をしていれば疑問の声が製作者には届けられた。

 上げる右手を持たない人々には七割の無関心と二割の同情、一割の軽蔑が向けられた。

 その一割を見返す為に上げやすい義手の発明や右手を上げる為の訓練が成され、そ時にドキュメンタリーとしてドラマ化されお茶の間に流されもした。

 また右手を上げた状態がより美しく見えるようなファッションやメイクが定期的に考案されもした。流行に敏感な人は四季折々に姿を変えてみせた。


 しかし右手を上げる事での不都合も存在している。

 多くの人間は所謂右利きで、本来ならば右手が生活の大部分を賄う筈であった。使い勝手の悪い左手を用いる為に、ありとあらゆる場面で困難が降り注いだ。それを補おうと、全ての物が変化した。

 衣類ではボタンが減った。襟首や履き口の広い物が好まれ、靴からは紐やチャックが失われた。靴下は履かれる機会が減り、代わりに中敷きの分野が発展した。鞄の全てに肩下げ紐が付き、吊り下げる事の出来ない、抱え鞄やがま口財布のようなものは廃れていった。

 食事においてはスプーンやフォーク、或いは直線的な動きでも掬い取れるような皿が多く販売され、片手で食べやすい調理法や食品が望まれるようになった。それを生み出す道具も同様である。

 住居や建物に関しては手を使う行為は簡略化される傾向にあった。天井や扉は高くなり、ドアノブの捻る方向が変わり、接触感知パネルは設置の都度、上か左かの検討がなされた。

 右手を上げ続ける事で身体に不調を来たす者も出た。右肩や背中の痛みで治療を受ける者の数は年々と増え、それに伴って治療法も発展した。


 左利きの人間はこういった問題が少なく済んだ。子供達には左利きとして暮らしていく教育が行われる一方、生まれながらの左利きが右利きの介助をしなければならない現状にストレスを感じる等という社会問題も発生した。

 不便な生活をしている右利きを恨むのは筋違いである。しかし左利きの高負担が肯定されよう筈もない。左利きは右利きの苦しみを知らない特権階級だ。いいや右利きこそ左利きに甘えている。議論は活発に行われ、しかし答えが出る事もなく、ただ只管現代社会のスタイルに沿うよう育てられる子供達へ未来を託すばかりなのである。


 この様に右手を上げると言う事は文化、経済、医療等に重大な影響を及ぼしており最早社会にとって切り離せない程に密着した行為かつ存在となっているのであlt



『左手を上げましょう』



「こんにちは」

「あら、こんにちは」

 善良な人々が左手を上げて暮らしている。

 どこを向いても誰を見てもほぼ全ての左手は上がっている。

 起きた時にはもう左手が上がっている。


 何故左手を挙げるようになったのか。始まりは誰も知らない。

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