第6話 モブ兵士、剣聖に絡まれる

「君、なんか妙な気配するね」


 僕よりも頭ひとつ分は大きい剣聖マイが、覗き込むように顔を近づけながらそう言った。


 まつ毛が見え、額すらつきそうなほどの距離の近さに、僕は戸惑った。

 元の世界基準でも、この世界基準でも、とてつもない美人であることは間違いない。

 見た目は人族で言うと自分よりもいくつか年上には見える。

 目は真っ直ぐに僕に向けられ、視線を外せない。

 その目は獲物を見つけた獣のようであった。


「それに何だか、匂いも…」


 訝しむように剣聖が僕から視線を外し、首元へと顔をさらに近づけ、大きく息を吸った。


 それは誰かから見れば、退廃的で耽美的なものとも思える光景なのかもしれない。

 だが、僕の心はただただこの状況が恐ろしかった。

 彼女が纏う雰囲気があまりに鋭く、次の瞬間には僕の首が飛んでいてもおかしくないとさえ思えたからだ。


「あの、すみません…!」


 震える声で、勇気を振り絞りなんとか言葉を紡ぐ。


「ん~~?」


 しかし、彼女は僕の言葉など意に介さず、何度も匂いを嗅いでいる。


 なんだこの状況は、どうすれば良いんだ…。


 僕も混乱の極致であったが、救いは思わぬ方向から訪れた。


「――いかづちの矢」


 透き通るような声、短い詠唱が風に乗り、僕の耳に届いた瞬間。


 剣聖が僕から飛び退き、大きく距離を取った。


 バチリという音と共に大気の灼ける匂いがする。


 下を見れば僕のすぐそば、さっきまで剣聖がいたところの地面が少し爆ぜていた。


「ちょっとフィーネ、いきなり危ないよ~?」

「いきなり年端もいかぬ少年に近づき、匂いを嗅ぎ始めたやつがなにを言う!」


 唇を尖らせながら抗議する剣聖に強く言い返しながら、先程観戦していた人々の中から歩いてくる少女がいた。


 賢者フィーネであった。


 真っ白いフードとローブを身に着けた彼女は、人族基準で言うと12~13歳くらいだろうか。

 水色の髪を肩まで伸ばし、僕よりも随分背が低く少女とも言える見た目だが、特徴的なのはその耳だった。


 尖った耳、そう、彼女はエルフだ。


 だから見た目は幼くとも、僕なんかより遥かに年齢を重ねた存在である。


 正確な年齢は知らないけれど、彼女の名前は魔王軍との戦いの初期から存在する。

 歴史に残るいくつかの戦いにも、その名前があるのだ。

 歴戦の魔術師であり、今生きている最古の英雄とも言われている。


 最も、本人はその呼ばれ方が嫌らしく、その呼び方をした人は例外なくひどい目に遭う、ということもあるとか。


 とにかく、賢者のおかげで僕は助かった。


「すまぬな少年! このどうしようもない慮外者にはワシがキツく言い聞かせるゆえ!」

「え~? あたしそんなに変なことしてないのにな~」

「いいや! マイ! お主は前も突拍子もない行動を取ったのを忘れたとは言わせんぞ! この間の式典の時もじゃ――」


 剣聖マイは困った顔をしながら、賢者フィーネに怒られている。


 しかし、剣聖の変貌ぶりにはとても驚いた…。


 隊長との戦いの最中はすごく凛としていたのに、猫みたいな人でもあるし、怒られて少しシュンとしている今の様は犬のようでもある。


 元々遠目にしか見たことが無かったけど、あんな人だったんだ…。


「アスク、来ていたのか」


 ようやく解放された僕に、ヴァン隊長が声をかけてくれた。


「ヴァン隊長」

「もしかしてさっきの俺とマイ様の試合、見ていたのか?」

「はい! すごい剣技の応酬でした…」


 先程の光景が蘇る。


 凄まじい剣技であり、僕だけでなくあの場にいた武に関わる者皆にとって、価値あるものだったと言えるだろう。


 だが、ヴァン隊長の顔はどこか浮かなかった。


「お前には、そう見えたのか」

「え…?」


 ヴァン隊長は、そう言うと一瞬だけ剣聖に視線を向け、また僕に向き直す。


「アスク、俺はな、自慢ではないが王都、王軍の近衛騎士団にいた」

「はい、聞いたことがあります」

「そうか、まあ隠してもいないことだ。俺はそこで出自の関係もあって役職は無かったが、近衛騎士団数百人の精鋭の中で五指に入る腕だった。王都で開かれた剣術大会では、副団長も、団長も倒したことがある」

「ええ!?」


 王都の近衛騎士団は凄まじい実力主義とも聞いたことがある。

 年齢関係なく入れ替え戦のようなものも常にあるとか…。

 そこに入れるだけで、とてつもない偉業だ。

 それだけでなく、さらにその中でも最上位の人だったのか…。

 なんで人類軍の一小隊長なんかやってるんだこの人は。


「俺はな、剣には自信があった。剣聖の噂ももちろん聞いていたさ。だが、俺も剣士だ、剣聖と呼ばれ、各地を戦い抜いた英雄であろうと、剣であれば迫れると、さっきまでは思っていた。試合も俺からもちかけたんだ、一手ご教授願えませんかってね」

「それは」

「だが、結果はご覧の通りだ。彼女を見ろ、汗一つ掻いちゃいない」

「ヴァン隊長…」


 おそらく、ヴァン隊長も、僕が夢で勇者と死の嵐の戦いを見た時の感覚なのかもしれない。

 届くとか届かないとか、そういう次元ではなく。

 自分は地面で、相手は空に浮かぶ星のような。

 それだけ隔絶したなにかを…。


「いやーまいった。世界は広い。彼女は多分、実力の一割も出してないんじゃないか。まあ、それでも、最後の突きで少しだけ彼女の中にある剣の本質が垣間見えたが…。俺でも引き出せたのはそこまでだ…」


 ヴァン隊長からは少し寂しげで、諦めのようなものも感じる。


「だが、味方ならこれほど心強いものもない! 明日の決戦でも凄まじい戦果を挙げるだろう。アスク、お前も身体を動かしに来たんだろ? ま、あまり実力が離れすぎた相手と試合をするのも良くはないが、今この場にはたくさんの勇士がいる。各地で戦場を潜り抜けてきた戦士たちがな。明日が初陣で緊張もあるだろうが、支障をきたさない程度に揉まれてこい」


 ヴァン隊長はそう言うと僕の背中を押した。


 その後、剣を振り、何人かの戦士の胸を借り、僕は夢の中の前日の自分よりも、より有意義に時間を過ごした。


 きっとあれは、初陣の緊張が見せた悪夢のようなものだったんだ。


 前の世界で言うデジャヴ、というようなものだったのだろう。


 ヴァン隊長の言葉もあり、時間が経ち、身体を動かす中、僕の中で結局あのやけに現実感のあった出来事は、夢であったという結論に達した。


 そして、僕の初陣となる最終決戦が始まる。
















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モブ兵士である僕の初陣は魔王軍との最終決戦?!~何回死んでも勝てません~ コパン @copan

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