第二章 第一階層/御石の鉢

第八話 うさぎを追ってどこまでも

 カグヤが白銀塔観測所に入所してから二ヶ月が経過した。


 最初の一ヶ月は生活基礎と観測所の仕組みを学び、次の一ヶ月は稽古・魔法を除いた基礎術を学んだ。

 入所してすぐ、カグヤは腕章なしの平観測師からのスタートだった。文字は勉強中で判読に時間がかかるので、もっぱら力仕事がメイン。資材を運んだり、彼の元からのスキルである足の速さとスタミナを活かして赤魔出現現場に駆けつけ、治療や連絡魔石れんらくませきで状況報告する係を務めている。


 支給された白いコート——所員制服はベルトや布地の装飾などがちょっと格好良過ぎて服に着られている感が否めなかったが、それも背筋を伸ばしてシャンとすることでなんとか誤魔化している。眼帯は黒革のものを支給されており、初めて見た時ちょっとカッコいいと思ったのは内緒だ。


 とはいえ任務で街を走り回っていれば自然と顔を覚えられるもので、この国では珍しい黒髪も合わせ、新入りの黒髪カグヤと呼ばれていた。

 魔法が使えないことで何かと無碍な扱いを受けるかと覚悟していたのだが、案外そう言ったことはなかった。


「ここは生存限界端の地。赤魔が真っ先に襲来する命懸けの島。だァから変わり者が大勢寄り集まってて、ちょっとくらい特異な子供が居たってなんともないんだぜ、坊ちゃん」


「坊ちゃんやめろ」


「ガハハ……ヒック」


 カグヤと親しくしている住人の一人に、ルーシーという人物がいた。

 一言で表せば、怪しすぎる男装の麗人。最初はその豪快な振る舞いに男だと信じて疑わなかったが、後にさらりと「オレ女だぜ?」と言われて飛び跳ねたものだ。任務帰りに酔った彼女に絡まれて、ガッツリ肩を組まれ密着していたので。

 彼女はヒト族で、ウルフカットの金髪を靡かせ、丸サングラス越しに見えるバシバシのまつ毛に縁取られたつり目の金眼を持つ。背が高く、百八十五センチあるカグヤからしても視線が頭一つ上に抜けている。常にベージュ色のオーバーサイズなカーディガンを羽織っていて——そして、いつも酒の匂いがする。


「お前がここに来て二月ふたつき——すっかり馴染んでくれてオネーサンは嬉しいワケ。ここで会った記念に一杯飲んどく? ア飲めないんだっけ。ガハハ!」


「会うたびに同じやり取りするなよこの呑んだくれ。つーかお前は俺のなんなんだよ」


「オレはみぃ〜んなのオネーサン。そして美しくてカッコイイ、悩める坊ちゃんの相談役よォ、ヒック」


「冗談は酒抜いてからにしろって。こんな往来で……まだ昼前だぞ」


 カグヤは午前の哨戒任務を終え、ダレット街道を通って帰還していたところだった。その途中でいつも通り飲んだくれているルーシーにこうやって西酒場の前で声をかけられたのだ。


「つれない子だねェ……あ、あとコレ! 渡せってお願いされてたんだワ」


「おっおい投げるな馬鹿!」


 紙袋が投げ渡される。少し開けてみれば、橙色のツヤツヤした果実が入っていた。


「これ、カキャじゃねーか。こんな沢山……」


「テット通りの果物屋のベルから。『昨日は迷子の弟を連れ帰ってきてくれてありがとう』ってさ」


「ああ……そっか、よかった。ありがとうって伝えといてくれ」


「毎日息するように人助けしててオネーサン感激だわァ! ヨシヨシ〜」


「あのなあ……」


 頭を撫でられる。接触が多すぎるし酒臭いが毎度のことなので慣れてきた。


 なぜこのようにカグヤが人助けしているかというと、生来の気質もあるが、以前リリナの言っていた『抱えきれないほどの恩を手の届く全ての人へ返していく』という信念に心打たれ、かくありたいと思ったことが起因している。

 マリーンに救われたこの命を、なるべく周りに活かしていきたいと考えているのだ。


「俺、魔法も体術も勉強中で全然だから。少しでもやれること見つけたいんだ。いつでも本気なのが俺の取り柄だから」


「うんうん、いい心がけだとも〜」


 カグヤの最初の目標は、機動隊に配属されることだ。日夜訓練は欠かしていない。元から運動は得意だったものの、それは残念ながら現代人的範疇である。時折稽古をつけてくれるリリナや機動隊の面々に比べれば自分の実力が児戯に等しいことが身に染みて分かってきた。早く追いつきたい。


 また、もうじき進級試験があるらしい。それに合格できれば、班に所属することと、専用武器の所持が許可されるのだ。強くなるという目標へまた一歩近づけるはず。

 魔法は未だ全く使える気配がないが、そこは体術でカバーできればと思う。アルトも何やらハンデを埋める力を貸してくれるらしい。それについて今日の午後、一度会って話を聞く予定だ。


「そろそろ行くからな。アルトに呼ばれてるんだ」


「はいはい、頑張んなさいね〜」


 カグヤはルーシーと別れ街道を走り出した。さて、約束の時間に間に合うかどうか。

 図書館前を通り、噴水広場にさしかかったその時。




 バァ——————!




 腹の底に響くような重低音が辺りに轟いた。まるで歪んだ喇叭のようだった。

 咄嗟に耳を塞いでしまうほど大音量のそれは、長く長く続く。


「なんだ!?」


『目覚めである。目覚めである。楔鬼はここに生まれ落ち、始まりの音は紡がれた』


 その声は頭上から。

 見上げれば、フリルを潤沢に使った黄色いドレスを身に纏い、鬼面をつけた犬耳の子供の姿が空中に在った。

 それは——子供が放って良い威圧感ではなかった。


『震えよ哀れな下等種共。これは最後通牒であると知れ』


 魔法で広範囲に拡散されているらしいその声。尊大な態度かつ冷徹な響きに、周囲から「あれはなんだ」「子供?」「観測師呼ぶか!?」等どよめきが起き始める。

 只者ではない雰囲気の子供が周囲に攻撃を始めたらまずい。しかしこの辺りで観測所員はカグヤ一人のみであった。

 カグヤにはまだ単独戦闘の許可は降りていない。しかし、ここで動かないというのは彼の信条に反していた。


「救援要請——おい、そこの子供! 危ないから降りてこい!」


 まずはあの子供が操られている場合を想定し、声をかけつつ連絡魔石から救援要請。この声の拡散範囲からして観測所側も察知しているだろうが、場所を知らせるのも兼ねて念のため。


『我は第一の楔鬼。銀の射手より差し向けられた第一の矢である……また会うことになるだろう』


「あっ待て……!」


 鬼面越しに視線がこちらへ向けられたような気がした。しかし子供はすぐにカグヤに背を向けて、煙のように消えた。


 骸の龍を従えていた、あの女のように。




◆◆◆




 やってきた所員たちにカグヤは自分の見た光景を正確に報告する。


「鬼面をつけた宙に浮く犬族の子供……ですか」


「ああ。この目で見た、間違いない」


「私の方まで音声は届いていましたが、そのような者があの文言を。俄には信じ難いですな」

 

 くるくると跳ねた青緑色の短髪と灰色の垂れ目を持ち、二本線の腕章をつけた男。彼はカグヤの上司で蛇族であるグレイ・カイネル二級長。ナイスミドルな顎髭を触りつつ、空を見上げていた。


「鬼の仮面というのがまた……赤魔と関係あるのですかな」


「とにかく只者じゃない感じだった」


 グレイは、神経質そうに唸った。細い舌が口から出入りする。


「ウウン、しかし、はい。一通り情報は集めましたな。警戒体制は解かず、本部へ戻って報告を致しましょう」


「了解」


 彼等は帰投するべく走り出した。

 その際カグヤとすれ違う、うさぎ耳の小柄な少女。


(……?)


 違和感。それは涼しい顔をして通り過ぎていく彼女にあった。

 見たところ十三〜十五歳程で、ボブカットの白い髪に、つり目がちな紫の瞳。薄汚れた白い服。一見不審なところはなかったのだが。


 ——リン。

 少女のポケットにしまわれた鈴は、カグヤの持っていた大切な髪飾りに違いなかった。

 盗られたのだ。


「!? おい待てそこの」


「チッ」


 カグヤに気取られたことを察したのか、少女は盛大な舌打ちと共に走り出す。ものすごい速さだった。もちろんカグヤもそれを追いかける。


「カグヤ君どこへ向かうのです!?」


「すぐ戻る!!」


 あの髪飾りだけは絶対に失うわけにはいかないのだ。あとでいくらでも怒られたっていい。グレイの言葉に全力の声で返し、カグヤは疾走した。




◆◆◆




 うさぎ耳の少女を追いかけ、路地をどんどん進んでいく。

 いつか似たようなことがあったな、と走りながらカグヤは思い出した。あの時はオリーに担がれていて、半ばパニックではあったが。


「あの時と同じと思うなよ……!」


 二ヶ月でカグヤも大分島の地形を頭に叩き込んだ。地元民には負けるだろうが、こっちも仕事で駆け回っているのだ。舐めてもらっては困る。

 塀を飛び越え少女の向かう先へ回り込む。


「……!」


 狼狽える彼女を行き止まりへ追い込み、カグヤは言った。


「観念しろお嬢ちゃん、それは大事なものなんだ、返してもらうぜ!」


「しつこい、ばーか」


 カグヤは両腕を広げて彼女を捕まえようとしたが、ベッと舌を出して少女は腕をすり抜けた。そのまま壁を蹴ってカグヤの頭上で軽やかに一回転。抜群の身体能力であった。


「さすが兎族……!」


「ふん」


 そのまま路地を引き返していく少女。カグヤも果敢に追いかけるが、少女は撒こうとしているのか、通りを曲がっていく。そして。


「きゃぁーっ!!」


 彼女の甲高い悲鳴が飛んできた。


「どうした!」


 尋常ではない声音に急遽追跡から救助に思考を切り替え、カグヤもそのまま路地を曲がる。すると、そこには大きな穴が空いていた。

 深く暗く、底は見えない。直径二メートルほどの円形で、路地に似つかわしくない異様な雰囲気を漂わせていた。元からあったものではなく、誰かが気まぐれにこの道をくり抜いたような、そんなチグハグな印象。


「あの子、ここを落ちていったのか」


 迷っている時間はなかった。髪飾りも返してもらっていないし、彼女を見捨てて帰還するなんてこともカグヤの選択肢には存在しなかったから。


「〜〜っ、ええい、ままよ!」

 

 落下経験はあれど、恐怖心がなくなった訳ではない。それでも。

 地面を蹴り上げ、カグヤは思い切って穴へ飛び込んでいった。




◆◆◆




 同時刻。


 白いコートが暗闇に吸い込まれて消えていったその様子を、鬼面の子どもは建造物の屋上から見下ろしていた。


「罪人以外通れないゲート・・・だというのに。その姿、その声、その勇気。……本当に貴方なんですね。赫夜かぐや先輩」


 冷たい風にドレスが翻り、仮面越しに緑の瞳が細められる。

 悲しみと覚悟を滲ませた、静かな声だった。


「ボクは今度こそ、貴方を——」

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カグヤ龍塔物語 竹取おきな @taketoriokina

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