エピローグ
僕は空を見上げた。きれいな青空だ。
とんかん、とんかん、音がする。塔を直している音だ。それから、町の壁も。
鎧を着た騎士たちが歩いている。町の人たちに色々と話を聞いたり、釜の中身を検分したりと忙しそうだ。僕の目の前、彼の前にも一人、老騎士が厳しい顔をしてふむ、と彼の話を聞いている。
あの日。
僕は知らないことだけれど。僕が二人の人を連れて泉についたころに、彼は目を覚ましたらしい。
水霊は僕の居場所を彼に教えたが、折が悪くちょうど僕が二人を下ろして、倒れこんだところを見てしまった。彼はそうとう肝を冷やしたようだ。
穴から出て、走って僕のところに来た彼は、僕を抱きかかえて泣いた。背中にひどい傷があって、死んでしまったと思ったらしい。末期の悲鳴を上げたように聞こえた、とは、彼に涙をたたえた目で見つめられながら教えてもらったことだ。
そして町の人たちは、総出で僕を追いかけてきた。大人も子供もけが人も。みんなで。
そこで、僕を抱えて涙を流す彼と、いのちを取り戻したかのように見える二人の人を見た。僕が命からがら二人をはこび、彼に託して死んだのだと思ったらしい。
そして、みんな泣いた。大声で泣いた。
おんおん泣きながら、町の人たちは彼に詫びた。
それがあんまりにうるさかったので、僕は目を覚ました。
ひどく疲れていて、足の一本も動かせそうになかったけれど、彼の顔がものすごく近くにあるし、瞳から大粒の涙は零れているしで、僕はほんとうにどうしようかと思った。
彼の涙は暖かかった。それが僕のために流されるたび、僕のそこかしこに、力が満ちていくようだった。やはり彼は、僕の神聖なるものなのだと分かった。唯一のものだと分かった。
けれど彼が、僕を想って涙を流してくれるとは思っていなくて、僕はおろおろと視線を巡らせた。最初に僕が生きていることに気づいたのは、必死に塔の瓦礫をどけようとしていた若者の一人だった。ぱちりと目が合って、若者が、生き返った、と呟くとみんなの視線が僕に集まった。
そのあとはなんだかもう、みんな大騒ぎだった。彼はさらに泣いてしまうし、水霊は嬉しそうに水面で踊っているし、町の人たちはなんだかよく分からない歓声を上げているし。
なんだか、眠っていただけだとはとても言えそうになかった。
いや、僕はまだ彼の言葉を喋れないんだけれど。
そしてその頃、だれもいなくなった町に、一人の騎士がやってきた。
定期的にこのあたりを巡回することになっていて、その役割通りやってきた騎士は、もぬけの殻となっていた町の有様を見て半狂乱になった。なにしろこのあたりは、僕のようなものがだれかに形をもらってずっと守ってきたので、大きな事件や災害や、そういうこととはまるで縁がなかったというわけだ。
そこで大急ぎで近くの砦から応援を引き連れて町に戻ってきたらしい。
けれどその時には、もう町の誰もが戻ってきて、騒ぎの後片付けを始めていたので、巡回の騎士も、連れてこられた騎士たちも、あっけにとられてぽかんと間の抜けた顔を晒していた。
いや、お騒がせしました。僕は彼の隣で、深々と頭を下げた。
老騎士は驚いた様子で僕をまじまじと見て、本物か、と彼に尋ねた。
本物のユニコーンなのか。
もし僕に言葉を語ることができたなら、いいえ。と答えただろう。
僕は僕の生まれたところがどこだか知っている。人間なら行きたくはない場所で、そこから生まれるものが、どれだけ人に害成すか知っている。
僕は、彼を見た。彼も、僕を見て、柔らかく笑った。
「ええ」
「ふむ……」
深く頷いた彼に、老騎士が顎鬚を触りながら、僕を見る。
不思議な色の瞳だった。彼のものとも違う。なんでも見透かしていそうな、金色の瞳だ。
『魔の澱が、聖なる獣に成ったか。……案外、捨てたものでもないなぁ』
いきなり聞こえてきた声に僕は驚いて辺りを見回した。彼が不思議そうな顔をして僕を見ている。僕にしか聞こえていない声のようだった。
『ははは、そう驚くな。悪いようにはせんさ。お前たちのことは見逃してやる。その代わり、この地の守は任せるぞ』
僕はもう一度、老騎士を見た。確かにその瞳は金色だったはずなのに、僕が瞬き一つしている間に、どこにでもある深い緑の色に変わっていた。老騎士は口を開く。
「……実は近頃、都市で悪魔崇拝をする輩がおりましてな」
ちらり、と、今は町の片隅に追いやられた大釜に視線をやった。騎士たちが何人かがかりで、中の死体を引きずり出している。
「その土地土地の聖者を生贄として、真の神への信仰を新たにするようにという手法です。しかしその実は贄を捧げ、悪魔を呼ぶ邪法。結果、壊滅した村もあるとか……話を聞く限り、あの者たちもその類でしょう。よい守護を持たれましたな、聖者殿」
老騎士はそう言って一礼すると、大釜の方へと歩いて行った。
僕と彼は同時に溜息を吐く。なんだか、あの老騎士は僕と近いような、それでいて遠いような、不思議な感じがしてひどく疲れてしまった。
「……なんとなく、嫌な感じはしていたんだ」
彼がぽつりと呟く。僕は彼を見た。彼はあの、大釜を見ていた。
「彼らがこの町へ来たとき、とても嫌な感じがした。僕を贄にすると言われたとき、逃げてしまいたいと思った。……けれど、僕が逃げれば町の人々に危害を加えるだろうことも、分かった」
だからね、と言って、彼は僕を見る。
「助けてくれてありがとう。……生きていてくれて、よかった」
僕も、あなたがいてくれてよかったと伝えたかったけれど、やはり言葉は出なかった。代わりに、彼の手に頬をすり寄せる。
彼は少し驚いたように目を見開いて、でもすぐに柔らかな微笑みを浮かべた。彼の微笑みを見て、僕の心は温かくなる。
周囲の騒がしさが少しずつ薄れていく中、彼の手が優しく僕の頭を撫でる。町の人々の声が遠くで響くが、僕たちの間には静かな安らぎが広がっていた。
これから何が待っていても彼と共にいる限り、どんな困難も乗り越えられると思えた。
ユニコーンの悲鳴 鈴真 @SU_MAAA
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