第2話 マンドリンオーケストラとの出会い
掛け声をかけながらシュート練習をするサッカー部の横を通り、吹奏楽部の華やかな音の中を潜り抜け、辿りついた先は、ぼろぼろの旧校舎の端っこだった。
「先輩!見学の子、連れてきました!」
と、女の人が、建て付けの悪い扉をバンと開ける。遥か遠くから聞こえてくる吹奏楽部の音にすら負けそうなくらい繊細な、ピンと弦をはじく音が一斉に止まり、座って楽器を構えていた人たちの視線がこちらにばっと移る。「えっと。」とどうすればいいのか分からずまた固まっていると、女の人は掴んでいた手をぱっと離して部屋の中に入って行く。あっけにとられたまま眺めていると、楽器の並ぶ半円のど真ん前にパイプ椅子を開いてカツンと置いた。
「じゃあ、君はここに座ってちょっと待っててね」
にっこり笑ってそう言うと、女の人は半円の端の方に一つ空いていた椅子に座った。こちらを向いてザワザワと話していた先輩らしき人たちも、女の人が席に戻ってパラパラと楽譜をめくると、すッと切り替えたみたいに楽譜をめくり始めた。知り合いに見られたらきっとネタにされるレベルの動揺を顔に出しながら、でも他にどうすればいいのか分からなかったので、「お、おじゃまします」と、部屋に足を踏み入れ、用意された椅子に座る。
女の人は、隣の席に座る先輩らしき人から何か言われ、時に少し笑いながら譜面立てにかけられた楽譜にもくもくと何か書き込みをしていた。部屋の中にいるのは合計で18人。俺と、俺をここに連れて来た先輩。そしてその先輩と同じ楽器を持つ先輩が人と、それ以外の楽器を持った人が10人。皆椅子に座って、見たことのない形の木の色をした楽器を構えて、弦の上で指だけをきゅっきゅと動かしていた。一体なんで自分がここに居るのか分からず、きょろきょろしていると、見かねたみたいに半円の後ろの方からショートカットの女の人が出てきた。
「一年生?来てくれてありがとうね」
そう言いながら声をかけてくれた女の人はよっこいしょと自分の前に膝をついてしゃがんだ。
「なんでうちの部活に見学来てくれたの?」
なんでと言われても特に理由などないので困る。しかし、ここが何部なのかも分からないですとは流石に言えず、
「いや、あの女の人に声をかけて貰って、ちょっと興味があったので……」
と濁した回答をした。そんな俺の心の中を読んだみたいに、ショートカットの女の人はふふっと笑うと、
「ここはね、ギター・マンドリン部だよ」
と教えてくれた。「マンドリンって知ってる?」という問いかけに、俺はふるふると首を振る。ホルマリンなら知ってるが、マンドリンなんて単語は聞いたこともなかった。
「だよね、私もここに入学するまで知らなかったもん」
わかるわかると言いながら、ショートカットの人は俺の横にさっと並んで俺をここに連れて来た女の人の方を指指した。
「あの子、君を連れてきた子。カノンちゃんって言うんだけど、あの子が持ってる楽器見える?」
俺はうんとうなずく。良かったと、微笑みながらショートカットの女の人がこちらを見る。
「あの子が演奏してるのが、『マンドリン』。小さくて、高い音が出るのが特徴だよ」
主にメロディーを担当する、ちょっと乾いたかわいい音が鳴る楽器だよ。という説明を付け足された。確かに、他の人が持っている楽器より小さくて、ウクレレよりちょっと大きな、赤ちゃんの人形みたいな大きさだった。「へー」と感心してると、さっき俺を連れて来た女の人―カノンさんの方を指さしてた指が、すすッと隣へ移動した。
「あの、マンドリンよりちょっと大きな楽器あるでしょ。あれは、『マンドラ』」
みてみると、マンドリンと形は似てるのに、一回り大きくなった楽器があった。マンドリンを赤ちゃんに例えるのなら、マンドラは一歳児と言ったところだろうか。
「マンドリンよりも、低い音が出るのが特徴だよ。ちょっと籠ってて、でもすごく温かい音がするの」
確かに、楽器を弾いてる人たちも心なしか穏やかそうな人が多かった。その横を見ると、更に一回り大きな楽器があった。
「あれは、なんて楽器ですか」
と聞くと、お目が高いと言わんばかりにショートカットの人が手を叩く。
「あれは、マンドロンチェロだよ。楽器が大きい分、低い音が鳴るの。刺すみたいに鋭い音が特徴なんだけど、曲によって雰囲気が変わって本当にかっこいいんだよ」
目をキラキラさせながらそう言いきると、ちょっと照れたみたいにへへへと笑いながら
「そして、何を隠そう、私、タニザキが弾いてるのもチェロなんだ」
と教えてくれた。チェロの話をしている間、この人―タニザキさんの全身から「嬉しい」が溢れていて、本当にチェロが好きなんだと伝わる。「さてさて、話を戻しますと」と体の向きを少しひねって、タニザキさんがチェロの横の楽器を指さす。さすがの俺でもあの楽器は見たことがある。ギターだ。
「ご存じかと思うけど、あれはギターです。でも、バンドで演奏されてるギターとは違って、あれは『クラシックギター』というものです」
ギターに種類があるのなんて知らなかった。
「何が違うのかと言われたら、音からコードから何から何まで違うから、見てもらうのが一番早いんだけどね」
とタニザキさんが笑いながら言う。確かに、音楽に全く明るくない自分は説明されても理解できない自信しかない。「さて最後に」とタニザキさんが立ちあがる。自分もつられて立ち上がると、チェロの後ろに大きな楽器があるのが見えた。
「今は楽譜の確認中でちょっとねかせてあるからちょっと見えにくいけど、後ろにコントラバスっていう楽器がいてます。吹奏楽とか、オーケストラとか。マンドリンオーケストラ以外でも活躍している楽器だから、音色も合わせて知られてるかなと思うんだけど、どうかな」
確かに、小学校の頃音楽の教科書で見たことのある楽器だった。
「はい、なんとなく」
と答えると、タニザキさんは「そっかそっか」と笑顔を返してくれた。優しい人みたいで助かった。
「この楽器たちと一緒に、マンドリンオーケストラとして活動してるのが私達、『ギターマンドリン部』なんです。」
こちらに身体を向けたタニザキさんと目が合う。
何か気になる楽器とかはあった?と問いかけられたが、正直緊張で楽器の名前も覚えられているか怪しい。「いや……」と濁していると、
「じゃあ、一旦演奏するから、また気になることとかあったら何でも言ってね」
と言うと、彼女は「良ければ座ってね」とニコッと笑って声をかけて、すたすたと半円の中心の台の前に立った。台の上から何か取り出して手に持つ。よく見ると、指揮者がもつタクトだった。パラパラと楽譜をめくり、各楽器に何か声をかける。
カノンさんを含む、それぞれの楽器の一番前に座っている人達が、笑顔でうんうんと頷く。「それでは!」とパンッと手を叩いてタニザキさんがクルッとこちらを振り返る。つま先をそろえて、先ほどまでの優しい笑顔とはまた違う、花にたとえるなら向日葵みたいな、ぱっとした笑顔を浮かべて気を付けの姿勢を取る。
「只今より、2025年度、ギターマンドリン部の新入生歓迎会を始めます!」
その声を合図に後ろに座っていた人たちがザッと立ち上がり、
「お願いします!」
と言い、礼をする。全員の表情がまるでマーチングの全国大会で見るみたいな統一された笑顔で、ちょっとだけびっくりした。タニザキさんが笑顔のまま楽器隊の方にクルッと向きを変えると、全員と目線を合わせるみたいにゆっくりと顔を動かす。端のカノンさんから、ギターの一番端っこまで見終わると、スッと手を胸の近くに持っていく。それを歯切りに楽器隊はサッと椅子に座る。全員が着席したことを確認してタニザキさんは胸の前で重ねていた手を離し、八の字に構える。楽器隊が、ザッと足を黒い物体の上に置き、楽器をあげて構えの姿勢を取る。先ほどの笑顔は消えて、全員が、全部の感覚を研ぎ澄まして集中してるみたいな表情を浮かべていた。
たった八畳の狭い部屋に、しんと静かな空気が流れる。遠くから吹奏楽部のパーという音が聞こえてくる。観客は俺一人。だけど、そんなお客様も、外から聞こえてくる騒音も、気にも留めないと言わんばかりに奏者たちはじっと指揮者を見つめる。少しの静寂の中に、ふっと息を吐く音が漏れると、シュッとタクトが空を切る。最初に音を奏でたのはギターとマンドリン。ギターが奏でるジャンジャンという4拍のリズムに[ALEXANDROS]のワタリドリのメロディーが合わさる。パンと弦を叩く音がすると、それまで真剣な顔もちで一点を見つめていた彼ら彼女らが、一斉にピックを振り下ろす。全部の楽器が全力で奏でる音が重なり合った瞬間、小さなボディからは想像がつかないほど厚みのあるメロディーの重なりと、全身でぶつかってくるみたいな音の圧に、今まで感じたことのないぐらい身体が震えた。きっと、これを世間は「感動」って言うのだろう。目の前が見たことないくらいキラキラ輝いて、細胞全部が震えて、頭にどかんという衝撃が走る。一つ一つの音に自分の全身を揺さぶられている感じがするのに、指の一本を動かすのですら惜しいと思ってしまう程、気づいた時には演奏にのめり込んでいた。
強く、こちらを圧倒するみたいな音だけが魅力じゃない。マンドラの、お母さんみたいに温かい音。かと思えば聞こえてくるマンドロンチェロのザッと刺すみたいに空気を変える低音。コントラバスやギターが演奏全体を包み込むような音を奏でる中で、マンドリン待ってましたと言わんばかりに飛び出してくる。やっぱり、音が高いだけあって最高に目立つ。早い音も、ゆったりしたメロディーも、訴えかけるような強い音も、繊細で寄り添うみたいな音も。どんな音も、今まで聞いてきたどんな音楽よりも自分の中にすっと溶け込んでくるみたいな音色だった。
初めて出会う音楽に、じっと聞き入っていると、ジャンと全員が手を下に振り下ろし、音が止まった。指揮者がクルッと後ろを向いて、ぺこりとお辞儀をした。反射的に、手が痛くなるぐらいの拍手を繰り出してしまう。真っ赤な顔で訳の分からないぐらい手を叩き続ける俺を見て、部員がくすくす笑う。恥ずかしくなってそっと席に座りなおすと、タニザキさんが話し始める。
「大きな拍手、ありがとうございます。私達マンドリン部は、3年生16人、2年生1人の、計17人で活動しています。基本的に自主的に活動することを大切にしている部活の為、楽譜の作成から演奏、演奏会の際の楽器の搬入の手配まで、すべて自分たちで行っています。只今お聞きいただいたのは、J‐POPのメドレーでした。いかがでしたか」
手で持ったエアマイクがこちらに向けられ、もう一度パチパチと大きな拍手をする。さらっと言っていたが、この演奏を、自分と数年しか年の変わらない人たちがこの演奏をすべてつくりあげているということに驚きが隠せなかった。
「ありがとうございます」
と、拍手に満足したようにタニザキさんがエアマイクを自分の方に戻す。
「それでは、次の曲を聞いてください。実は、色々な都合上、次が最後の曲となってしまいます」
残念に思っていると、後ろから「え~」というヤジが聞こえる。見ると、声の主のカノンさんは俺の声を代弁してやったと言わんばかりにニヤニヤ笑っていた。あの人、大人っぽい見た目とは裏腹に、意外とクソガキみたいなところがあるらしい。
「ありがたいご反応、ありがとうございます」
クッとタニザキさんが悔しさを表現するみたいに拳を握る。ノリがいいなこの人も。
「曲数のご変更はできませんが、心を込めて、全力で演奏させて頂きます。最後まで、どうぞお楽しみいただけると幸いです」
そう言い終わると、表情からおちゃらけた部分がすっと消えた。
「それでは聞いてください『願いの叶う本』」
そう言うと、ぺこりと頭を下げ、後ろにクルッとまわれ右をした。先ほどと同じように、タクトを構えた瞬間、全員の視線がタニザキさんに引き寄せられる。先ほどとは打って変わって、優しくタクトが振られると、繊細なマンドリンの音から音楽が始まった。なんだかすごく優しい曲だ。ゆっくりと夕日の中で本をパラパラとめくるみたいな曲。かと思えば、音が大きく重なり合って、雄大な音楽が響く。誰かと誰かが出会ったみたいな、壮大さを感じる音の中、不意にマンドリンの音だけが取り残される。優しく他の楽器がマンドリンの音を包み込んだ後、ゆっくりとマンドリンの音だけがもう大丈夫と言わんばかりに一人残った。ギターと一緒にメロディーを奏でるのはマンドリンの一番左端。カノンさんだった。さっきのいたずらな表情は一切消え、て、ただ愛おしそうにマンドリンを奏でていた。窓からの光を柔らかに反射する髪からは、ふっと笑みを浮かべた口元が覗いている。
この人は、心からマンドリンを「愛して」いるんだな。そう感じた。今までみたどんな絵画よりも、カノンさんは幸せそうで、優しい目をしていた。
本の1ページ1ページを大切にめくって、人の温かさに包まれた世界を旅するみたいな曲が全部終わった。指揮者が手でサインをして全員に立つように促す。
「本日は、ご来場いただき、誠にありがとうございました」
ぺこりとタニザキさんが頭を下げると、続けて
「ありがとうございました」
と全員が頭を下げる。俺は、それまでの感動をどうにか伝えようと、とにかく自分が出せる一番大きな拍手を続けた。舞台から退場するみたいに、部屋の右の方に向かって、全員が楽器を持って移動していく。と言っても、小さな部屋なので、ゆっくりと周って俺の横に全員が集まって団子状態になっただけだった。一番端っこのカノンさんの退場が終わると、
「きょうは本当に来てくれてありがとう!」
というタニザキさんの声の後に、わっと皆が拍手をしてくれた。いえ、こちらこそと立ち上がって礼をすると、なんていい子なの!とぎゅっとギターの先輩がハグをしてくれた。腕のパンパン具合からも見て分かるが、かなり鍛えているらしく、カチカチの胸筋に顔がぐっと当たる。ひょろひょろの自分の腕と見比べて、同じ男としての自信を少し失っていると、
「演奏、どうだった?」
とカノンさんが後ろの方からひょっこり顔を出した。
「もう、なんていうか、今まで経験したことないぐらい感動しました」
自分の語彙力ではうまい言葉が出て来なくて、ありふれた当たり障りのない感想になってしまったのが本当に悔しい。でも、カノンさんたちはそんなこと気にしないように「よかった」と笑ってくれた。
「多分、そろそろ説明があると思うんだけどね」
本当にもし良ければなんだけどと、チラシを手渡しながらカノンさんが続ける。
「そろそろ、新入生の入部希望調査があると思うの。良ければ『ギター・マンドリン部』って書いてね」
お願いしますと、部員たちが頭を下げる。
そう言えば、今日もホームルームで担任の先生が話していた。
「あの、はい。もちろんです!」
こんな僕で良ければと答えると、少し緊張の走っていた先輩たちの顔にぱっと笑みが溢れる。
「やった~~!ありがとう、大好きよ‼」
と先ほどとは比べ物にならない力でギターの先輩にぎゅっと抱きしめられる。息ができない。だが、苦しむ間もなくパシンという音が響いて、ふっと首が開放された。見てみると、指揮のタニザキさんが、先輩の後頭部を思いっきりひっぱたいたらしい。
「ごめんね、ニッタのアホは後で私がしっかり絞めておくから、また懲りずに遊びに来てね」
とニコッと微笑まれる。今後この部活でお世話になることがあったら、絶対にこの人だけは怒らせないようにしようと心に誓った。
「それじゃあ、今日は活動時間があるからここまでになってしまうんだけど。また部室で待ってるから、気が向いたらいつでも来てね」
と、タニザキさんが言って後ろを振り返った。ザッと、後ろに団子になっていた先輩たちが避けてドアまでの道をつくる。この感動に浸って、もう少しここに居たい気持ちもしていたが、一年生の下校のチャイムが聞こえてきた今、流石にそんな我儘は言えなかった。
「ありがとうございました」
と、1人1人に礼をしながら道を歩くと、「ありがとう」「待ってるよ」と優しい言葉をいただいた。絶対にここに入部しようと胸に決めてとりあえず部室を出て、このぶつける先のない気持ちの高揚感を表現するみたいに、全力で校門に向かって走った。
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