第5話 心友
さて、あともう一つやるべきことをやろうと、勢いよく教室のドアを開けると、窓側にムスッと肘をついて座る人が目に入った。
「アツシ!」
驚いて心の声がそのまま声に出てしまった。手を顔から離さず、ブスッとした表情のまま、ゆっくりと顔がこちらに向けられる。
「なんだよ」
うわ、信じられないぐらい機嫌が悪い。まぁそりゃ俺が全部悪いんだけどさ。ひるんでいる俺に向けて、アツシが更に口を開く。
「てか、なんで今日一人で先行ってんだよ」
予想外の問いかけが飛んできた。
「もしかしてお前、わざわざうちに来てくれたのか」
びっくりするくらい間抜けな声が出た。
「そうだよ。だって、今までずっとそうだったじゃねぇかよ。なんで今日はちげぇんだよ」
アツシがムッとしながらイライラした声を上げる。お人よしというか、天然というか。確かにこいつはそういう節があったのだと、自分の親友に対する解釈の甘さを反省する。
「それで、なんで先行ってんだよ。」
さっきよりもすごみを増して、だけどなぜかちょっと泣きそうな顔をしながらアツシが机をバンと叩いた。そういうところだと思いながら慌てて
「いや、そういうんじゃなくてさ、喧嘩した翌日って一緒に登校するの気まずくねぇか」
とフォローした。いや、フォローにはなってないか。だったらさと不服そうなアツシが
「なら連絡くれればいいじゃねぇかよ」
と反論してくる。確かにごもっとも。
「そうな、俺の考えが足りてなかった。すまん」
こいつに対して意固地になって自分の正当性を主張すると、すごくめんどくさいことになるので素直に謝る。
「まぁ、いいけどよ」
と親友がごにょごにょとし始めた。許してくれたらしい。
「それより、野球しねぇってどういうことだよ」
思い出したように大きな音を立てて椅子から立ち上がる。今まで忘れてたのかよ。
「なんでだよ、俺が納得できるようにちゃんと説明しろよ」
親友がこちらに大きく見開いた目を向ける。不自然なほど真っ赤に充血した目を見て、こいつはちゃんと寝れたのだろうかという不安が浮かんできた。俺はこいつにどれだけの負担をかければ気が済むのだろうか。自責の念に駆られるが、ここできちんと話さないのは絶対に違う。
「実は、他にやりたいことを見つけて」
と、昨日あったことを隅から隅まで余すことなく話し始めた。
カノンさんとの出会い、狭い部室の中で楽しそうに活動する人たち、見たことがない不思議な形をした楽器から繰り出される、変幻自在で曲に寄り添った音たち。目の前に見えてきた景色、手の震えと身体に感じた衝撃。何から何まで全部全部。俺の話を全部聞き終わると、親友は静かに「そっか」と頷いた。ふぅと息を吐くと親友は
「分かった、お前がやりたいと思ったことなら、俺は応援するよ」
と言って力ない笑顔を浮かべた。
正直びっくりした。殴られるまではいかずとも、少しはキツイ言葉が返ってくると思っていたので拍子抜けしてしまう。
「え。いや、でも。お前は俺と野球するためにわざわざこの中学に来たんだろ」
本当にいいのかよと、自分の意思を尊重してくれた親友に対して、自分から諦めるなよと声をかけるおかしな構図が出来上がった。自分でも矛盾しているのは分かっていたが、頑固で意地っ張りで昨日はあんなに怒りの声を上げていた親友が、いとも簡単に意見を変えたことにおれはあっけにとられてしまった。
「なんなんだよお前、めんどくせぇな」
せっかく優しくしてやったのに、と親友がぶっきらぼうに顔をしかめる。
「確かに俺はお前と野球できたらいいなと思ってこの学校に来た。だけどな」
だけどな、と力強い言葉と共に親友がこちらに迫ってくる。
「だけどな、それは『俺の』意思だ。お前がどうするかは、お前が決めるもんだろ」
そう言うと親友は
「あとさ、俺ら10年以上一緒にいるだろ。なのにさ、そんなに何かに希望を見つけて、楽しそうに話すお前は今までみたことねぇ。そんな姿を見ておいて、それを邪魔できるほど俺は人として腐ってねぇよ」
と付け足して、ふっと窓の方を向いてしまった。拗ねてる。ちょっと笑いそうになるけど、ちゃんと言わなきゃいけないことは言おうと親友の方を見る。
「俺、本当にお前と出会えて、野球ができてよかった。6年間の思い出、全部全部お前との野球で、幸せでいっぱいだ。だから、だから。だから、これからも友達として仲良くしてくれたら嬉しい」
言い終わってちょっと違和感に気づく。気が付くと親友も
「は?なんで俺が振られたみたいになってんだよ」
と目を丸くしていた。しばらく静かな空気が流れたが、ぶっと同時に噴き出す。
なんでだか分かんないけど、可笑しくて仕方なくて、胸の奥の方が満ち足りて温かくて。気づいたら涙が出るまで笑っていた。
俺は。俺は。こいつと出会えて本当に良かった。
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