第一章

 五月の公演がほぼ未公演のままで終わった数日後。

 午後、演劇サークル室にて。

 六月に再公演で五月と同じ『怪盗の恋』を上演することになった。

 しかし、顧問から急遽書き換えられたと言われ受け取った台本を、恵志はありえないとばかりに何度もめくり、くしゃりと握りながら、大きな声で抗議した。

「ヨッシー先生~!? なんっで修正された台本、俺のセリフだけめちゃくちゃ少ないんすか!? 主役なんすよね!?」

 恵志は修正された台本を読むや否や、紫色の髪の毛を振り乱しながら叫び、演劇サークルの名ばかり顧問、古冨(ふるとみ)由(よし)浩(ひろ)に不満を隠さず近づいた。

 癖っ毛な髪の毛に胸元を開けたワイシャツ、緩いパンツスタイルのラフな格好をしている由浩は、問題児の新入部員に気だるげに大きくため息をはき、自分の持っていた台本を筒状に丸めて恵志の頭を軽くたたいた。

「いでっ! 何するんすか~!」

「け~し様さ~この前の本番を思い出せよ。おまえの演技で人が倒れたんだぞ」

「俺の美声に酔いしれて? ああ、でも顔がかっこよすぎるって理由もあるよな……?」

「下手すぎて失神したんだわ気付けアホ」

「そんなことはないっすよ、俺はどんな役も華麗にこなすカメレオン俳優なのに!」

「自称だろ。どれだけ自分に自信があるんだ?」

 自信があるのではない、再三言うが、恵志は声も良く顔も良くスタイルも良い。さらには演技派だという事実を語っているだけなのだと不服そうに由浩を見ると、由浩は年上らしく、子供を叱るときのような顔で丸めた台本を恵志に向けた。

「つうかおまえ、舞台上にいるのに観客にファンサばかりするな、キャスト側の気が散るだろ、舞台上ではちゃんと怪盗として生きるようにしろよ」

「なんだよ~。ヨッシー先生だって舞台のことなんにもわからないくせに~」

「そのゲームキャラみたいな呼び方はやめないか? 俺は緑のモンスターじゃないぞ。……そうじゃなくて、素人目で見てもおまえ目立ってたんだって」

「目立つのはいいことなのに、それがおかしいなんて間違ってる……」

「悪目立ちって言葉を知っているか?」

「とにかく、俺はこの台本が不満なんですよぉ、元に戻しません? それか未登場の王子を出演させて、怪盗と王子のバトルシーンを追加するとか……」

「俺に言われても困るよ、書かれた台本持ってきているだけだし」

「えっヨッシー先生が書いてるんじゃないの?」

 台本のところには作者、古冨由浩と書いているが、どうやら違うらしい。

 ゴーストライターだろうか、ヨッシー先生も悪いことをするな、という目で恵志は疑わしげに見ると、彼は誤解だという風に首を振った。

「作者の意向で、名前は出さないでくれって言われてるんだ。だから代理で俺の名前にしている。抗議するなら加鳥詩苑に言ってくれ」

「カトリシオン?」

「脚本担当の学生。おまえと同い年だよ。いろいろあって幽霊部員だけど、演劇サークルに籍はある。今も図書室で作業してるんじゃないか。いつも隅っこにいる、センター分けの銀髪の男だ」

「派手なやつだな」

「紫髪のおまえが言うな。あいつのは地毛だよ、先祖のどこかに北欧のやつが……いや、良いだろそういうのは」

「そいつを捕まえて文句の一つでも言えば変わるんだな! 早速直接抗議だ~!! あっ大我(たいが)先輩~! 俺今から図書室に行ってきます~!!」

「おい! 今から本読みだぞ乙成……」

 サークル長で三年の鮎川(あゆかわ)大我(たいが)の言葉もむなしく、サークルから飛び出す恵志を、十数人いるサークルメンバーはもちろん、由浩と大我は嵐が去ったかのような顔で呆然と見つめていた。

「サークル長、あなたどうにかしなさいよ。この台本ぐちゃぐちゃで、登場人物たちがかわいそう」

 姫役である長い巻き髪がトレードマークの西園寺結(さいおんじゆい)は変わり果てた台本を慰めるようにそっとなでた。

 西園寺の言葉をきっかけに、サークルメンバーたちは、恵志がいなくなってからこそこそと黒い言葉を吐き出した。

「あいつ、本当チームワークがないっていうか、勝手な行動が多いって言うか……」

「演劇サークルも目立つからっていう理由だけで入っているんだろ? ろくに稽古もせずに猿芝居で困るよな」

「舞台映えはするのにね」

「でも、公演の集客率は彼がいるのといないのとでは段違いなんだろ。無理に辞めさせたら今後の劇サーの存続が……」

 留まることを知らない、恵志の悪口がサークル室全体に広まった瞬間に、大我は乾いた音で大きく手をたたいた。

「雑談は終わり! 残ったメンバーだけで本読みをはじめるよ。西園寺も、今日のところはこの台本で進めるからね」

「……わかったわ」

 渋々というように西園寺はうなずき、諦めたように台本を数ページめくり始めた。

「裏方のみんなも確認はじめて!」

「はい!」

 大我の声が室内に響き渡り、サークルの中が忙しなく動き出す。

 一人の新入部員に乱されそうになったサークルがどうにか進み始めたのを見て、大我は一安心した。

「それじゃあ、先生は~タバコ休憩に入りま~す」

 と言いながら、いそいそとサークル室を出ようとした由浩を、大我は呼び止めた。

「先生。良かったんですか、加鳥のこと、乙成に言っちゃって」

 心配の滲む大我の表情を見た由浩は、安心させるようにへらりと笑いながら親指を立てた。

「う~ん。まぁ、詩苑は勢いがあるやつと一緒じゃないとテコでも動かなそうだしね~。交流させてもいいかなって」

「はぁ……。加鳥もですが、乙成恵志は本当、どうしたら良いですかね」

「大変ですなぁ、あはは」

「由浩先生も真面目に考えてくださいよ!」

「先生は学生の自主性を重んじてましてねぇ~サークル運営は学生に任せてるからねぇ~」

「それは確かに……。でも今回ばかりは……」

 大我が肩を落とす中、無精ひげをいじりながら愉快そうに笑う由浩は、窓から廊下を駆けて行く恵志の後ろ姿を見つめたのだった。



 浅縹大学の図書室は二階に分かれており、室内も広く、蔵書も多い。

 一階は主に図書が充実しており、二階には作業環境として好まれている自習室がある。

 恵志は、いるのなら二階だろう、と大袈裟に足音を鳴らしながら必死な形相で二階へと駆け上がった。

「確か、ヨッシー先生がカトリは隅っこにいるだとか言ってたよな……。おいカトリ! カトリはいるか!? カトリ……なんだっけ、カトリシソン? カトリシニョン?」

 一列に並んだ仕切りのある一人席を見渡し、銀髪を探し当てようと目を凝らしながら声をあげると、図書室内にいる三、四人たちからの嫌悪感を示すような視線を向けられた。

 しかし、恵志は全く気にしていない。

 むしろ「また自分の美声が人を振り向かせてしまったな、罪な男だ……」なんてことを思いながら歩いている。そういう男である。

 くまなく探していると、目的である銀色の後頭部が見えた。

 確信を持って近づき、二度せき払いをしてから恵志は彼の後ろで声を掛ける。

「おまえがカトリセンコウだな!」

「加鳥詩苑だ」

 間髪を入れずに、詩苑は応じて睨みながら振り向いた。

 切れ長の瞳にセンター分けの銀髪。首元の第一ボタンまで閉じたワイシャツの上にせいじ色のセーターを着ていた詩苑を見て、恵志が最初に思ったことは「窮屈そうなやつだなぁ」であった。

「聞こえているよ」

「ごめんごめん、声に出てた。ああ~君が加鳥詩苑くん? お願いがあるんだけど、この台本の修正変えてくれない? 主人公の俺のセリフが全くないんだけどさぁ……」

 笑顔を作り、両手を合わせてみる。大抵ファンクラブにいる女の子たちはこのポーズをするとすぐにお菓子をくれたりするので、恵志はいつものように手を合わせたが、返ってきたのは眉根を寄せる詩苑の表情だった。

「なんで僕が書いたって知っているの?」

「ヨッシー先生が教えてくれた」

「サークル長以外には言わないでって言ったのに……。何考えているんだよしにぃは」

「ヨシニィ?」

「……親戚なんだよ。気にしないで。ご期待に沿えず申し訳ないけれど、僕はちゃんと提出したから、これ以上台本は変更しないよ。ほかの作業をしたいから帰ってくれる?」

「またまた~そこをなんとか~」

 詩苑は、変わらず笑顔で手を合わせたままでいる恵志に限りなく冷たいまなざしを向けた。

「顔だけ大根役者は舞台上で客席に笑っているだけでいいんじゃないの」

 詩苑からぴしゃりと言われた言葉の状況把握に三十秒ほど固まったあと、すぐに

「大根!?」

 と、恵志は、声を荒げた。

 穏便に済ませるはずだったが、聞き捨てならない詩苑の言葉に恵志は口元を震わせ、勢いを抑えきれず、席に座っている詩苑の胸倉を無理やりつかんだ。

「なんって言ったおまえ!? そんな悪口初めて聞いたぞ!?」

「この前の公演のとき、ちゃんと客席で言ったけれど。君、演技が下手じゃん」

「俺、そんなに演技が下手なのか!?」

「セリフが減らされた理由に気付きなよ!? しゃべるなって言ってるの!」

「褒め言葉以外は全部虫の羽音だと思っているもんね」

「何その都合の良いシステム……。というか離してくれない? 嫌だな、そういう身勝手な行動。荒い人は嫌いだよ」

「んだよぉ~嫌いとか言うなよ、泣くぞ」

「君、意外にメンタルが弱くない……?」


「あのぉ、すみません」

 図書室のスタッフらしき男性が、申し訳なさそうに彼らの背後から言ってきたので、二人で固まる。

 気付かぬうちに、図書室内の視線も二人に集中していた。

「利用者の方から先ほどクレームをいただきまして……。他の方もいらっしゃいますので、けんかは外でやってください……」

 男性スタッフの若干の怯えが混じった声掛けと、あまりにも動じない詩苑の迷惑そうな表情を見て、恵志は渋々手を離し、スタッフに頭を下げた。

「すんませんっした。ちょっと熱が入りすぎました」

「いえいえ、では……」

 そそくさとスタッフが戻ると、詩苑は恵志をあきれたような目で見ながら崩れた襟を直していた。

「先に謝られるのは僕の方なんじゃないの」と、

「いやおまえには謝る理由がない。だってひどいもん」

「かたくなだね……。君、乙成恵志だっけ? あのね、なんで僕が君にセリフを与えたくないかわかる?」

「全く分からない」

「そう。じゃあ、言うけどね……」

 詩苑は、不愉快な気持ちを隠すこともなく、ふてくされた口調で恵志に伝えた。

「君が、乙成恵志として舞台の上に立つのなら、僕は一言も君にセリフを与えたくないんだ」

「どういうことだよ」

「現実を持ち込むなって言ってるんだよ。僕はこの前の公演で呆気にとられたんだ」

「俺の美しさに?」

「この期に及んでまだ言うか!? むしろ感心してきたな。……演技下手もあるけれど、それ以上に舞台の上で自分のままで出てくる異常事態にだ」

「それは、俺が求められるから……」

「確かに君は容姿自体全てが整っているし、舞台でも輝けるよ。でも、輝いているだけじゃ、役者にはなれない。だから、僕は君を役者として認めたくない。僕はね、物語を見に舞台に向かったわけ。君を見に来たわけじゃない」

「そ、そんな……」

「わかった? だから君以外の役者を連れて台本を変えるか、諦めてこのまま舞台上で棒立ちをするか、どちらかしかないの」

 肩をすくめた詩苑は、恵志を拒むように、無愛想な態度で腕を組んでいた。

 しかし、うなだれる恵志がぼそりと

「でも、俺、詩苑の書くセリフが好きなのに」

 という唐突な恵志の言葉に、耳を傾けずにはいられなかった。

「いや、名前呼びなれなれし……え、なんて言った?」

「だからさ、俺、詩苑の書く言葉、なんていうかうまく言えねぇんだけど、胸に来る~! って言葉ばかりだったからさ、セリフで言えるの実は楽しみだったんだよ、だから余計、セリフが少ないの悲しくて……」

「えっ、ええ……本当に?」

「本当だよ。俺物覚えがわりぃけど、詩苑の台本の言葉は忘れなかったもん。そのくらい目に焼き付く言葉って言うか……。特にさ、修正前の台本なんかだと、怪盗がお姫様に月明かりの中、彼女に向かって、『こんなに近くにいても、美しすぎる君の心を、僕は盗めないんだね……』って嘆くシーンなんてもう読みながら涙が流れちゃって……。あれなんか耳が赤くないかおまえ」

「別に……この部屋が暑いだけ。というかよく覚えているね」

「そりゃ面白かったから覚えているに決まってるだろ!」

「ふ、ふぅん……」

 交流下手で友達も少ない詩苑は、褒められ慣れていなかった。

 熱を逃がすように手で顔を仰いだり、指で片耳を引っ張りはじめた詩苑の頭の中は嬉しさと大混乱の二つに分かれていた。

 だからだろう。何度かせき払いをして、つい言うつもりもない言葉が口から出てしまったのだ。

「……わかった。二週間だけあげるから、第一章の君が役予定だった怪盗のセリフ、仕上げられるなら修正してもいい」

「良いのか!?」

「セリフを覚えるんじゃないんだからな、ちゃんと『怪盗』になって戻ってくるんだ。あと、絶対二週間で仕上げてきて。もしだめなら木のパネルに顔はめる役に変更するから」

「そんな木があれば俺の顔で人が惚れ死ぬぞ!?」

「どこまで自分に自信があるんだ……!?」

「でも俺は怪盗の方がはまり役だからな! 木なんかに収まらないんだ! 見とけよ詩苑!!」

「はいはい、見るから早くこの場から出て行ってくれ……」

「じゃあまたな!!」

 恵志は宣戦布告のように人差し指を詩苑に向けてから、図書室から走り去った。

「どうせ、勢いだけの男だろ……」

 小さくなる彼の姿を一瞥して、詩苑は自分の作業に戻るべく、パソコンを立ち上げなおしたのだった。

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