第四章

 恵志が怪盗役の感覚を掴んでから、数日後。

 演劇サークルでは、活動日でも、活動日でなくても恵志の声が毎日のように聞こえるようになった。

 物珍しい人物の毎日の上達ぶりがうかがえる練習風景が気になって足を向けるひとが日に日に多くなるのも無理はなかった。

 人が集まりつつあるサークル室で、ひときわ目を引く光景。

 乙成恵志が、演技の練習をしている。

 大きな体を悠々とさせて、張りのある声で、サークル室全体に響かせる彼の声は、過去の恵志とは打って変わって別人のようだった。

 室内にいる学生たちは声を潜めて、恵志の様子を見守っている。

「どうしたんだ、乙成のやつ突然やる気を出して……」

「セリフは無くなったんじゃなかったのか?」

「上達しているというか……何か変わった?」

「覇気があるっていうか……」

「俺たちこのままじゃやばいんじゃねぇの?」

 悪目立ちをしていた彼の変貌を目の当たりにし、内心焦り、台本片手に学生たちがざわめいている中、恵志のセリフは続く。

 ひとしきり演じきったところで、恵志の演技を見ていた大我がストップを掛けた。

「いったん終わり。水分補給して」

「はいっ」

 汗だくになって、ペットボトルの水を飲み始めた恵志に、大我は疑問を投げた。

「……何があった?」

「ええ? またカタコトになってましたか俺」

 恵志が焦って大我に聞くと、大我は首を振った。

「違うんだ、この数日だけで明らかに勢いが違う。セリフに動きが出て磨きがかかりすぎていてさ……。なぁ、西園寺もそう思わないか」

 恵志の演技を見学していた西園寺は、大我の言葉にうなずいた。

「そうね。目の前で見ても、怪盗役にはまり込んでいるのが見て取れる。そんなにすぐ変わるものかしら?」

 次々に褒められ、恵志は大きく両腕を上げた。

「ついに俺もロボットを卒業ってことっすか! やったー!」

「粗はまだあるけどな」

「すんません、どこっすか」

 恵志は我一番に台本とペンを持って大我の元に向かう。

 一体、恵志に何が起こったのかは全くわからないが、恵志がやる気を出すのはとても良いことだ……と、大我が思っていると、西園寺が恵志に声を掛けた。

「そろそろ乙成くんも、前の台本で合わせに入れば良いんじゃないかしら」

「え?」

 突然の西園寺からの名指しに、恵志が目をぱちくりとさせている間に、大我は、彼女の言葉にうなずいた。

「みんなにも前の台本は捨てないように言っている。加鳥に見せる前に一度、他の役者と合わせてみろ。きっと一人で演じるよりも空気感がわかるから」

「……どうして、そんなに協力してくれるんですか」

 恵志が不思議そうに言うと、大我は苦笑いした。

「なんでだろうな。乙成の一生懸命さが、応援したくなるからかもしれないよな。最初は、役者歴がない癖におまえが主役なんてできるのかとは思っていたよ」

「そうですよね……」

 入学してからの人気力と華だけで役を務めていることは、明らかに異例だった。、今、真剣に取り組んでからは恵志もよく理解している。

「それでも……乙成がどんどん前に進む姿を見て、俺はおまえが主役を飾るのを見てみたいと思ったんだよな。この気持ちが本番まで続くことを願っているよ」

「……はい」

 恵志が深くお辞儀すると、大我が照れくさそうに笑ってから、恵志に背を向けた。

「よし、今ここにいる演者だけでも集合! プロローグから一章まで通しでいくからな!」

「「「はい!!」」」

 演劇サークルに吹いた新しい風に影響され、サークルの空気は一層高まっていたのだった。




 約束の二週間後。

 四限の講義の終わりに大教室から出てきた詩苑を、恵志は仁王立ちで待ち構えていた。

「詩苑~! おまえを奪いに来たぞ!」

「いきなり出てこないでよ!? なんなの!?」

「奪いに来る感覚を試していたんだよ、どうだ、ドキッとしたか」

「心臓はばくばくしているよ」

「ふふん。茂みに隠れていたら俺のあふれ出るオーラで人が集まってきて、なかなか静かに待てなかったからな。むしろ堂々とお出迎えってことさ」

 偉そうに腕を組む恵志の様子を物珍しそうに廊下を過ぎる人が見ている。

 詩苑は恵志の突飛な行動にもう慣れていたので、廊下でそのまま話すことにした。

「久しぶり。今日だね。君のセリフが戻るかどうかが決まる日」

「そう、俺の人生が終わるか終わらないかの最終ラウンドだ」

「そこまでじゃないはずなんだけど」

「俺にとってはそのくらいなんだよ」

「ふぅん……。とりあえず、今日は、君の姿に集中するよ」

 詩苑はそう言って、恵志の隣に並んでサークル室へと足を向けた。



 今日はサークルの活動日だったので、ガヤガヤとした雰囲気の中で、恵志は詩苑を連れてサークル室に入ってきた。

 大我の気配りもあり、サークル室の隅には詩苑に見せるためだけの小さなスペースが作られていた。くすんで古びた緑色のパイプ椅子を一脚置いたスペースに、詩苑は座る。

 小さな発表会のような状態で、恵志は一人、詩苑の真向かいに立った。

 本来、恵志は詩苑にだけ見せ、他の学生は各々自分の稽古や裏方の作業に取り組むことになるはずだったが、恵志の演技が始まると思うと気になってしまうのか、ちらちらと他の学生からの視線と「来た」「来たぞ」と小さく波打つような声が恵志の耳元まで聞こえてくる。

 恵志はそんな周りに視線などくれずに、詩苑だけを見ていた。

 詩苑も同様に、口を噤み、凛とした表情で、集中している。

 恵志は一度、落ち着けるために深呼吸をしてから

「それじゃあ、始めます。よろしくお願いします!」

 と、サークル室全体に響く大きな声で言った。

 恵志の演技は、プロローグから第一章まで……怪盗が姫を奪う決意と、姫を奪うために城に執事として侵入し、徐々に姫との距離を縮めていくという場面を演じた。

 他の役者の協力もあり、宮廷官僚役の大我、姫役の西園寺を中心にサークルメンバーが演じつつ、恵志は自分の役を懸命にやり抜いた。

 恵志は、必死だった。自分の見た目の華はもちろん、セリフも動きも全て頭に入っているはずだが、今回必要なのは、どれほど自分の持っているもので詩苑の心を動かせるかということ。

 かっこ悪くても良い、届いてほしい、と願いながら恵志は最後のセリフを情感たっぷりに演じる。

「『君を奪う罪よりも、君に気持ちが届けられないことのほうがよっぽど、重大な罪だと思うのだ。例えこの気持ちが禁じられたものだと笑われても、ただ隣にいたい、それだけなんだ……』」

 怪盗が変装した執事の格好で、姫への思いを吐露するシーンで第一章が終わる。

 演じ切ってすぐ、恵志は動くことができなかった。

 詩苑はどう思ったのか、この動きを止めたら聞かなければならない。そのことが、恵志は怖かった。

 いつもなら自分が一番かっこいい状態を崩さなかった自分が、初めてむき出しのような状態で演技したのだ。

 受け入れてもらえるのか、恵志は不安で仕方なかった。

 固まってしまった恵志を見て、大我が声を掛けようとした瞬間に、詩苑がパイプ椅子から立ち上がり、向かい合って屈んだままの恵志の前まで進んでいった。

 恵志は彫刻のように固まった手足を緩め、近付く詩苑の影に気付いて、恐る恐る顔を上げた。

「やっと、こっちを見た」

 顔を上げた先の詩苑は、今まで見た中で一番、柔らかな表情をしていた。

「恵志。僕は君の演技を、すてきだと思ったよ」

「え!?」

「全部気持ちを注いで、なりふり構わず、恵志ということを忘れるほど、必死に訴えかける怪盗の言葉がちゃんと、胸に響いた」

 驚いた。名前呼びにも驚いたが、彼から「すてきだ」なんて言葉が聞けるとは思わずに、恵志は思わず頬をつねる。きちんと痛みを感じた。夢ではないらしい。

 詩苑は、晴れやかな表情で、恵志に手を差し出した。

 和解の、握手だった。

 恵志が勢いよく詩苑の手を握った瞬間、サークル室に割れんばかりの拍手が巻き起こる。

「やったな乙成!」

「あいつ、やるときはやる男だなぁ!」

「いやぁ、なんか涙出てきちゃったぁ……」

 サークルの中は、歓喜にあふれお祭り状態になった。

 なんだかんだ言いながら、みんな恵志の怪盗のセリフが戻り、努力が報われた瞬間を望んでいたのだった。

「おいおい、まだ本番でもないって言うのによぉ~……」

 サークル室の外から様子を眺めている由浩はあきれたように笑い、そっとサークルを後にした。

 

 

 詩苑がサークル室を出るのを見送るために、恵志は図書室へ向かう詩苑と共に歩いていた。

 階段をさっさと上る詩苑の後ろで、恵志は「今日、来てくれてありがとう」と、詩苑に感謝の言葉を送った。

「いいや、そもそも、君がもっと早くちゃんとしていたらこんなことにはならなかったんだから」

 詩苑に言われてしまい、恵志は身をすくめた。その通りだったからだ。

「ごめん……」

「でも」

 叱られた犬のように小さくなっていた恵志の前で、詩苑は穏やかな表情で、振り返った。

「恵志はさ、素直で真っ直ぐなだけだったんだね。普通諦めそうなことを、絶対に諦めないその力って役者向きなんじゃないの? 伸ばすべきだよ」

 誰もいない階段の踊り場で、窓辺から差し込む日差しが、微笑む詩苑に降り注ぐ。

 光のカーテンに包まれているかのような景色に、恵志は彼の前で目を細めた。

 眩しいな、と恵志は詩苑を見つめる。

 彼を見るこの気持ちが、恵志は今ならはっきりとわかってしまった。

「俺さ、詩苑のことが好きだよ」

 恵志は、本当に自然に、あんなにも迷っていた告白の言葉を、なんともするりと口に出していた。

 詩苑は一瞬きょとんとした顔をしてから、またあきれたように眉をひそめる。

「だから、その好きってなに……」

 詩苑が文句を言う前に、恵志は、彼の目の前に歩を進め、軽く、触れる程度に唇を重ねた。

「こういうこと、俺からするくらいの、好き」

 恵志の言葉に、詩苑は目を二、三度瞬かせてから、白い頬を紅潮させた。

 今までにないほど真面目な表情で恵志は詩苑を見たが、対して詩苑は動揺が隠せず、「ちょっと待ってほしい」と恵志の言葉を制止した。

 先ほどまで恵志が触れた現実を確かめるように、詩苑は口元に手を当てる。彼の体温が、まだ唇に残っているようだった。

「あの……さ、勢いが良すぎない?」

「えっ、そりゃそうだよ。世の中行動しなきゃ世界って動かないんだぜ。ヨッシー先生も勘違いから人生は変わるって」

「でもさぁ……」

 詩苑は困ったように俯いていたので、恵志は不安になり

「もしかして、嫌だった?」

 と、不安そうに詩苑の顔色をうかがった。

 その様子を見て、詩苑は困った表情で眼鏡の位置を直した。

「いや、ではない。でも、正直頭が追い付かない。だって、なんで同性の僕を好きになるの」

「そんなの好きになったら仕方ないじゃん。俺は詩苑が好き。偶然、同じ性別ってだけ」

 恵志は距離を開けようとする詩苑との隙間に詰め寄って、目を合わせた。

「始めてみないとわからねぇよ。なんでも」

「それが君の「愛する」の答え?」

「今のところ」

 二人のいる踊り場の真下当たりからざわめきが聞こえてくる。そろそろ二人の位置まで辿り着いてしまいそうだったので、詩苑は決断を言うべく、顔を上げた。

「わかった。じゃあ、僕なりの答えを君に言うね。まだ僕は正式に君とは付き合いたくない」

「ええっ!? ふられた!?」

「あくまで、『怪盗の恋』の舞台の成功のため。君の怪盗役のキャラづくりも兼ねて……恵志が、ちゃんと「愛する」ことを理解するための協力という名目だったら……」

「すごい回りくどいが、結局良いってことか?」

 窓から差し込む光は踊り場の二人を照らす中、答えをそわそわと待つ恵志に、詩苑はゆっくり小さくうなずいた。

「……まぁ、お試しということなら」

 詩苑の言葉が終わる間もなく、下から聞こえるざわめきが、耳元で自分たちに向ける黄色い歓声になっても気にしないくらい、長い時間踊り場の中心で、恵志は詩苑の体全てを収めるように、抱きしめた。

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