第二章
恵志に新たな試練ができた。
二週間以内に来月公演予定の舞台『怪盗の恋』の怪盗役のセリフを取り戻すべく、脚本家の詩苑に認められるように、役を磨かなければならない。
そのためには一体どうすればいいのか。
恵志は、革張りのソファに座り、髪をかき上げてから、考えを巡らせていた。
「こんなにツラが良い俺がこれ以上輝いたら客に致命傷が出るというのに。しかし、罪を重ねなければ真の怪盗にはなれない……。すまない俺を産み育てた父よ、母よ……」
「なぁにごちゃごちゃ言ってるんだ?」
もちろん恵志の家ではない、大学にある一室、由浩の研究室である。
片付け下手な由浩のおかげで机の上には資料の書籍やレポートが山積み。中央にあるパソコンでさえも正面からは見えない状態。
正面には裏庭の見える大きな窓と壁際にはこれまた本棚という概念を一切考慮していないような乱雑な置き方で蔵書が横やら縦に押し込まれるようにぎゅうぎゅうに積まれている。
「つまり、俺がより輝けば良いってことだよな、ヨッシー先生……」
「なんでそうなるんだ。というかなんでここにいるんだ。おまえ講義はどうしたよ」
「今ちょうど空きコマなんですよ。今のうちに作戦を練らねーと」
「おお、そうかい、それでなんで俺のところに?」
「いや、詩苑がさ、ヨッシー先生のことをよしにぃって呼んでて、なにか詩苑と親しいのかなって」
「ああ~。なるほど、詩苑の弱みでも握れるかな~とか思っていたんだな」
「ぎくぎく~」
「擬音をしゃべるな」
早速恵志の思惑がバレてしまった状況に、内心、恵志は焦ったが、悪びれもせずに口をとがらせた。
「だってぇ、ヨッシー先生絶対詩苑と仲が良いでしょ~? ヒントのひとつでも~」
「いや、仲が良いっていうか、ただの親戚ってか……そのくらいの関係だよ。新入生の名簿を見てこの大学に入ったことも知ったし」
「へぇ~。そこそこつながり深いと思ってたけど、そこまでじゃないんすね」
「従妹ってそんなもんだろ。あいつが物書きをやってるって話だけ聞いててさ。暇なら演劇サークルで脚本を書くか? って誘ったんだよ。俺が知ってるのはそこまで」
「ええ~。もう少し教えてくださいよお」
「おまえの問題だろ。それに、今から講義だからさ。俺を待っているあまたの愛しき学生のために向かわねばならん」
「ヨッシー先生の講義って、出席したら単位をもらえるんでしょ?」
「誰から聞いたんだそんなデマ~? 机の下でスマホをしているやつ全員メモしてるからな。ほら研究室閉めるぞ」
「は~い」
由浩が急かすと、渋々といったように肩を落として研究室を出ようとした恵志がふと、窓越しに見えたのは、銀色に反射する後頭部だった。
「詩苑いた!! ちょっと俺、行ってくるわ! やっぱり敵を知るなら本人に聞いた方がいいよな! 弱みを聞いてくる!」
「清々しいほどまっすぐに間違っているな~」
由浩を抜かして廊下を駆け出す恵志は、そのまま裏庭へ向かった。
恵志が裏庭にたどり着くと、詩苑が少し日に焼けた茶色のベンチに座り、木漏れ日の中で文庫本を読んでいた。
「いた!」
豪快な音を立てながらやって来た恵志に、詩苑は眉をひそめた。
「また君か……。今講義じゃないの」
文庫本をぱたりと閉じ、あきれた表情で見る詩苑に、恵志は汗をにじませながら乱れた呼吸を整えた。
「空きコマなんだよ! 詩苑が見えたから、弱みを聞くために全速力で走ってきたんだ!」
「何言ってるの君。弱みなんて言うわけないでしょ。隠し事、下手すぎないか?」
「しまった! 正直に言ってしまった……」
恵志は気落ちし、詩苑の隣に大きな体を小さくして座った。
「ここまで来た意味……って、なんで俺の足元を見てるんだ」
「靴紐、取れてるよ」
「あれ!? 本当だ、ははは、詩苑のことで頭がいっぱいでさ。蝶々結びってどうやるんだっけな~」
指摘されたスニーカーの靴紐を見ると、確かに恵志の新しい白のスニーカーのひも部分がはらりと緩んであった。
せめてスマートにと細い指先ですぐに靴紐を結び直そうとするが、残念ながら恵志は大変不器用である。
自分についての大体のことを勢いとノリでごまかし、あとは手伝い人の手や両親、ファンクラブの女性たちに身の回りのことをさせているため、一人で靴紐を結ぶことさえなかなかうまくいかない。
試行錯誤を繰り返していると、目の前が暗くなる。
詩苑が、恵志の前に屈んだのだ。
「貸して、見苦しいから」
「お、おう」
詩苑に見苦しいと言われたことに恵志は少し落ち込んだが、ほどけた靴紐を結わえる彼の手さばきは見事なものだった。
手元無沙汰になった恵志は、詩苑の俯いた瞳に縁どられた束のあるまつげの存在や、傷が一つもないような真白な肌をじっと見つめていると、スニーカーの紐はみるみる均等に蝶々の形になった。
「一応聞くけど、きつくない?」
「おう、ちょうどいいぜ、ありがとな」
「じゃあこれで出来上がり……」
詩苑が満足気な表情で、靴紐から目を離し、顔を上げると、目と鼻の先に恵志の顔が近づいていたので、慌てて詩苑は音を立てながら後ずさった。
「近っ!? なにじろじろ見てるの」
「いや~詩苑ってまつげが長いよな。天然もの? まぁ俺もまつパに行ってるからボリューム感に関しては負けてないが」
「まつパ? パってなに。それって男子でもできるの?」
「まつ毛のパーマだよ。できるできる、よく見ろ、眉も整えてもらっているぜ。俺の顔は常に芸術品だからな」
「いやだから近づくなって」
「詩苑は眉とか整えているか?」
後ずさる詩苑を追って目元を確認するために近づく恵志から、詩苑は服の袖口で目元を隠した。
「なに、どうした、顔が赤いけど、熱か?」
「嫌がってるんだ、僕は!」
大きく叫ぶ詩苑に、恵志は驚いた。
生きてきた今までの記憶の中で自分が顔を近づけて嫌がる相手がいなかったからだ。
自分の顔が大層良いことは知っている。顔面が国宝並みだとたたえられたことだってある。
それなのに、詩苑は初めて恵志の顔面をもってして、拒否したのだ。
「俺の顔を見て、不愉快なことってあるんだ、初めての感覚……」
恵志は自らの顔を両手で覆い、悲しみに暮れた。
「同じ男同士なんだから、そんな気にしなくてもいいのに……」
「僕は気になるタイプなんだよ」
「ふぅん……」
繊細なやつだな、と恵志は思うことにして、顔を上げ、立ち上がった。立ち直りは早いのである。
「単純に、詩苑の顔、綺麗だなって思っただけだよ」
「どうも」
眼鏡のふちを指で押さえながら、顔をほんのり赤くする詩苑を見た恵志は、彼は嫌がったというよりも照れたのではないのか? という気持ちにもなったが、また質問すると面倒くさいかもしれないと珍しく冷静になり、話題を変えた。
「弱みのほかにも聞きたいことがあってさ、詩苑の望む本当の怪盗がよくわからないんだよな」
「もう少し自分で考えるってことが君にはできないの?」
「君って呼び方はやめてよ~。距離を感じちゃうじゃん」
「まだ会って二日目だよ、僕たち。距離ないとおかしいでしょう」
詩苑はそう言って、ベンチに置かれていた文庫本を手に取りさっさと校内に帰っていった。
あまりに行動が早かったため、恵志は一歩遅れて声を出した。
「えっ終わり!?」
「次、僕これから講義があるから」
「ケチ! もうちょっと話聞いてよ! 靴紐ありがとう!」
「感謝はするんだ……」
結局この日は、詩苑に靴紐を結んでもらったことしかできなかったが、とりあえず詩苑に近づくことはできたなと、前向きに自身のスニーカーを眺めたのだった。
同日、夕方ごろ。
演劇サークルの活動日は月水金の三日間、あとは自主練習となっている。
今日は火曜日なのでサークルは休みだが、きっと練習熱心なサークル長の大我はやって来るだろうと思った恵志は、サークル室に入ってみた。
すると、案の定、中で台本片手に練習していた大我は、恵志の突然の来訪に不意を突かれたような顔をした。
「おう、乙成。珍しいな」
「大我先輩だけですか?」
「そうだな、西園寺もたまに来るけど、今日は俺だけだ。宮廷官僚役ってあまりわからないからな……」
大我は宮廷官僚役として舞台で重要な役割を果たす。
物語の中では、姫を奪いに来る怪盗との心理戦が目玉になってくる配役だった。信頼感を持つ冷静な役は、大我に似合っている。
「そういえば、この前、加鳥と話してどうだった? セリフは増えたか?」
大我は思い出したように話を振ると、恵志はげんなりとした表情で大我を見た。
「その……二週間だけあげるから、第一章の怪盗のセリフ、仕上げられるなら修正してもいいらしくて」
「なんだ、交渉がうまくいったのか」
「でも、そのやり方が分からなくて、弱みとか探そうと頑張ったんですけど」
「思ったより頑張りどころがおかしいな」
「今日も……」
恵志が先ほどの詩苑との出来事を語ると、大我は困ったように頬を指でかいた。
「セリフを取り戻すべく、加鳥に聞きに行ったら靴紐を直してもらったって?」
「はい! まつパもしていないそうです!」
「何も解決してないな……」
「……そうです!!」
大我に正論を言われ、恵志は元気よく肯定するしかなかった。
「結局、俺が、乙成恵志のまま舞台に立つことが気に食わないみたいで……。俺の美貌への罪がまた増えてしまいました」
「反省も成長も成長してなさそうだし、練習に戻っていいか?」
「待ってください大我先輩~! そこで、大我先輩と一緒に練習できないかお願いしにきたんですよ。そもそも俺、演技そんなに下手ですか」
「そりゃあ、あの怪盗じゃさすがに加鳥も嫌になるだろ」
「ひどい……」
思ったよりも沈んだ表情の恵志を見て、大我は自分の言葉にも責任はあるかと思い
「一度見てやるから、ここで演じてみなよ」
と、恵志に演じるように促した。
「良いんすか!?」
「ほら、時間が足りなくなるから早く。それじゃ台本最初から、姫を怪盗が攫いに来るところな」
「はい!」
「台本を持ちながらするか?」
「覚えてるんで大丈夫っす!」
恵志の頭の中には怪盗の恋のセリフはしっかり刻み込まれている。
ひと呼吸してから目の前で見ている大我に向かって、声を出した。
「ハハハ! オヒメサマヲ……」
「ストップストップ」
「ええっ早くないですか」
「おまえの棒読み加減どうなっているんだよ、録音するから聞いてみろ」
その後、恵志がいくつかセリフを読み、その都度スマホで録音されたものを聞かせられ、恵志は顔が真っ青になった。
「……うそだろ、どうしてこんなにカタコトロボットみたいになっているんだ!?」
「ついに気付いたか……」
「た、大我先輩、どうしよう……」
大我に助けを求めるように、涙目になった恵志は両手を合わせては懇願するように何度も頭を下げた。
当の大我は、思うところがあるのか、録音されたカタコトの恵志の「アイシテルー」という言葉を繰り返し再生してから訝し気な顔で恵志に顔を向けた。
「正直、いつも声がでかいからか、おまえの声量や発声は申し分ないんだ。滑舌も良い。何もせずにここまでできるんだったら羨ましいくらいだ。もちろん練習はした方が良いが」
「あざっす……」
「さらに台本も覚えている。空で演じても忘れているところはほぼなさそうだ。自分を最大限に出せるパフォーマンス性、見た目の良さもある。それなのに、セリフが心に響かない。なぜだと思う」
「……演技が下手だから?」
「いや違うんだ乙成。きっと、加鳥が気に食わない、舞台上で乙成恵志のままだからというのは、二つほど理由があると思うんだ」
大我は録音に使っていたスマホを自分のズボンのポケットにしまい、人差し指を立てた。。
「一つ目は、そのかっこつけを無くさなければならない。かっこいい自分を見せることだけが、演技ではないからな。ただ、きっと大切なのは、二つ目の方」
大我は、二本の指を上に立て、ゆっくりと言葉を続けた。
「おまえがセリフに含まれる感情を知らないからだ、演者は物語を観客に伝えなければいけないのに、おまえ自身が物語に起こっている感情を理解できていないから、伝わらないんだ」
ここまで言われても、恵志は、大我の言うことをすべて理解することができなかった。
考え込む恵志に、大我は一つアドバイスした。
「例えば、なんだけど。怪盗は姫を奪いたいんだろ」
「そうっすね」
「おまえ、なんで怪盗は姫を奪いたいかわかるか?」
「え、台本に書いてあるし……」
「そうじゃないんだよな、乙成。それは事実であって、気持ちの部分じゃない。怪盗は姫を愛しているんだよ。奪いたいくらい、現状を変えたいくらい、許されなくてもいいくらい、愛しているんだよ」
「愛……」
「乙成は、誰かを愛したり……胸が震えるほど一緒にいたくなったり、必死になって奪いたいほど近くにいたいと思える存在はいたか?」
恵志は困ってしまった。
両親にも家にいる手伝い人にもファンクラブの女の子達からも愛されていることは理解している。
他人より人目を惹き、自分から誰かを好きにならなくても、周りから好かれ、欲しいものはいつも手元にあることが当たり前すぎて、奪いたいと思うほどの気持ちを、恵志は本当の意味では知らないことに気づいてしまった。
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