アンパンマンの弟
朝吹
『アンパンマンの弟』
アンパンマンの弟といっても、日夜ばいきんまんと闘っている丸い鼻のあいつに弟、という話ではありません。
あれがあんぱんに見えたことなど一度もありませんが、とにかく、あんぱんだと云い張っているあいつではなく。
作者のやなせたかしさん(故人)のことです。
やなせたかしさんには、二つ違いの弟さんがいらっしゃいまして。
兄、嵩(たかし)
弟、千尋(ちひろ)
父親を早くに亡くし、母親は恋に生きる女で、幼い兄弟を子どものいない親戚の家に養子に出して姿を消した自由人です。
幸いにして、引き取られた家(父方の伯父の家)は裕福な医者。養父母も寛容で趣味の高い理想的なすばらしい方でした。
柳瀬嵩と柳瀬千尋は二人きりの兄弟として、香川県のその家で育ちます。
この千尋さんが幼い頃、まんまるなお顔だったそうです。
成長するにつれて兄たかしと同じ縦長になったそうですが、子どもの頃は、まんまる。
2013年、九十四歳でガンでお亡くなりになる直前、病室でやなせたかしさんは呟きました。
「ちひろ……」
迎えに来てくれたのかもしれないですね。
絵が巧くてデザイナーを志した兄のたかしさんとは違い、弟の千尋さんは勉強が得意で、京都帝国大学法学部、現在の京都大学に進みます。
千尋さんはご性格もひじょうに良くて多くの友人から愛されました。
いわゆる「いい奴」です。
そして半年はやく繰り上げ卒業させられた後、学徒動員で戦場に引っ張られ、乗っていた駆逐艦が撃沈されて戦死されています。
享年二十三。
本当にろくでもない時代です。
千尋さんは出撃前に与えられる数日の休暇をつかい、お兄さんのたかしさんに逢いに行っています。
お兄さんも徴兵されて兵隊さんになっています。
そうです、アンパンマンの作者やなせたかしさんも軍属経験があるのです。
当時の若い男性はことごとく兵隊にとられましたから、兄たかしさんも兵隊さんでした。
たかしさんは逢いにきた弟のその時の様子から、「回天に志願したんだな」とずっと信じていたようです。晩年にもそう書き遺しています。
回天とは、海の特攻隊、人間魚雷ですね。
爆弾だけ積んで敵艦に体当たりする鉛筆みたいな粗末な有人魚雷。懐中電灯で真っ暗な内部を照らしながら座って操作します。
この海の棺桶に学徒動員の若者が数多く無理やり乗せられて、帰らぬ人となりました。
兄たかしの想像とは違い、千尋さんは魚雷ではなく、駆逐艦に乗っていました。しかし艦内の配置というのが被弾したら脱出不可能で100%死にます、そんな艦の底でした。水測室で索敵業務にあたっていたのです。
駆逐艦というのは、戦艦や輸送船のお供をする艦です。機動力のある白バイ隊みたいなものです。
その頃はもう出る艦、出る艦、片っ端から米軍に捕捉されていました。
駆逐艦はバシー海峡に差しかかります。
案の定、魚雷でドカン。
千尋さんは即死であったでしょう。
なぜに駆逐艦に乗っていたのかというと、半年繰り上げて大学を追い出された学生さん、そのままでいると確実に陸軍に徴兵されるのです。
陸軍、おっそろしく人気がなかった。学生の間では陸軍だけは厭だ、そんな雰囲気だった。
それに比べて海軍は船が運んでくれるので重たい荷物を背負って歩かなくていいし、伝統的にご飯が美味しいらしい。
どちらも軍隊なので実際にはどちらもめちゃくちゃだったのですが、海軍の方がインテリが多く「まだマシ」と学生からは見做されていました。
そんなわけで陸軍に投げ込まれる前に、京都大学を卒業すると同時に千尋さん、自ら志願して海軍に行ったのです。
徴兵を担当するのは陸軍です。
優秀な学生が我も我もと海軍に志願するこの現象に対して、陸軍の担当士官は露骨に不機嫌だったそうです。
学生にしても、陸軍か海軍、どっちかしか選べませんから究極の選択です。
どうせ死ぬんだし。
学徒が戦地に送られるくらいですから、戦局は悪化の一途、日本国民は上陸してくる敵と戦い、老若男女ひとりの残らず敵兵と戦って玉砕するんだ。そんな悲壮な覚悟が蔓延しておりました。
学徒動員は第一陣のみ、全国で壮行会が開かれています。雨の中の神宮外苑での学徒出陣壮行会が映像として有名ですね。
みんな死ぬんだ。
日本人の全滅をもって日本国は終焉する。
死にたくないという本能のあがきの一方で、「どうせ死ぬんだったらパッと散ってやる」そんなやけくその開き直りもあったでしょう。
この明治神宮外苑での壮行会を観客席から見送った女学生の中に、作家杉本苑子がいます。
二十一年後、おなじ場所でおなじ季節に開催された東京オリンピックの華々しい開会式をみた杉本苑子は、放心状態ともいえる感慨を書き留めています。
『きょうのオリンピックはあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。私にはそれが恐ろしい。祝福にみち、光と色彩に飾られたきょうが、いかなる明日につながるか、予想はだれにもつかないのである。私たちにあるのは、きょうをきょうの美しさのまま、なんとしてもあすへつなげなければならないとする祈りだけだ。』
弟の千尋さんは海の藻屑となり、兄のたかしさんは生還しました。
兄弟の郷里にある千尋さんのお墓。忘れ去られたようなこの墓の下には名を書いた木片しか入っていません。
戦後、数十年の月日を経て、1973年にやなせたかしが描いた幼児向け絵本「あんぱんまん」(ひらがな表記)
当初、残酷な絵本として大人たちから問題視され、酷評の中で消えていくかにみえたこの絵本は、園児たちに大人気となり、繰り返し読まれていきます。
やなせたかしさんの求心力のあるかわいい絵と、美味しいパン、人助けをするヒーローという筋立てが、幼児の心に直接響いたのです。
絵本に先立ち、やなせたかしは、空腹な人にパンを配るおじさんの童話を先に描いています。絵本はそこからの派生でしたから、モデルなどいないのかもしれません。
でも、弟の千尋さんの顔が赤ちゃんの頃は「まんまる」だったこと、アンパンマンが自己犠牲の上で人を助けるヒーローであることを考えると、そこにはやなせたかし自身の戦争体験、飢え、そして千尋さんや、戦場で死んでいった多くの若者の面影がほんの少しだけあるのかもしれません。
両親とはやくに別れた二人の兄弟。
生涯にわたってやなせたかしさんは「弟がいてくれたらなぁ」と千尋さんの不在を哀しんでいたそうです。
愉快で楽しいアニメのアンパンマンとは違い、一番最初に世に出た絵本「あんぱんまん」、この絵本からは、温かみだけではなく、寂寥をわたしは感じます。
強い正義よりもやさしい正義。ヒーローとは喝采を浴びるかっこいいものではなく、泥だらけでみっともなく、人のために自己犠牲をいとわない者のこと。
出撃前にお兄さんに逢いにきた千尋さん。
「弟は、回天に志願したんだ」
絵本「あんぱんまん」を読む時には、少しだけそのことを想い出して欲しいです。
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(以上、わたしが小学六年生を相手に絵本「あんぱんまん」の読み聞かせをした時に語ったおはなしでした)
アンパンマンの弟 朝吹 @asabuki
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