4.暴風の魔女
山の麓の小さな村。月が黒い雲に隠れて不吉な暗い夜の中に、木造の家が点々と立ち並んでいる。明かりはついていない。なぜなら、私が来ているから。いつもは誰も家から出てこない満月の晩、私に語りかける声があった。
「こんばんは、魔女さん」
振り返れば穏やかな目をした、長い金髪の女がそこにいた。私はいつも通り、冷酷で威圧的な声色を心掛けて答えてやる。
「……何の用だ。殺されたいのか?」
掲げた右手に風の流れを集約する。形作られるのは、誰が見ても危険だと分かるような、鋭利な切っ先を持った風の槍。
「ねぇ魔女さん、貴女は私を絶対に殺さないと思うんだけど」
「……ハッ」
軽く脅してお家に帰ってもらうとしよう。
右手に集約する風の槍を、女の頬を掠めるようにして放つ。
「ほっ」
「ッ!?」
女の背後にあった家の壁に槍が突き刺さり、内包していたエネルギーが解放されて爆音と共に世界を揺らした。それはいい。だが、こいつは本当に何を考えている。掠めるだけだった筈の槍の軌道に、唐突に顔を割り込ませてきやがった。私が咄嗟に逸らさなかったら、今頃確実に頭が吹き飛んでいた。本当になんだ、こいつは。
「ほら、貴女は私を殺さない」
「……はぁ、」
心の底から大きく溜め息をつく。たまに居るのだ。噂、というより言い伝えに流されない厄介な人間。もしくは、危険なものに突っ込んでくる物好きな輩。あるいは、
「いつ知った? 私が皆の話す『魔女』とは違うことを」
「や〜っと私の目を見てくれた」
高揚した声。ダメだ。会話が成り立っていない気がする。
「ずっとお慕いしてたの」
「……そりゃなんで?」
「今でも忘れない。貴女が黒い霧を、霧に飲み込まれて死にそうになってた私を、助けてくれたあの日……」
偶然問いかけとこの女の語りたかった内容が被っただけみたいな気持ちの悪さがあるが……そうだ、私も思い出した。この辺では珍しい金の髪の少女。
十数年か前、私ではなく本当に魔女だった存在から、救ったんだった。助けたあとすぐ気絶したし、そのあと家の寝床に放り込んでやったから、夢か何かだと勘違いしてくれたと思っていたのだが……。
逆に私が、どうして忘れていたのだろう。他人と関わって、しかも私の『魔女』のイメージが崩れるような行動を見せた相手だというのに。
「聞いてる? 魔女さん」
ふと湧いた疑問は、無遠慮な声によって遮られた。
「あぁ……それでどうした。私が皆の言うような『魔女』じゃないと知っていたとして、どうして今になって接触してきたんだ。満月の晩、私は必ずここに来るだろう」
「……両親に魔女さんに会ったって言ったら、満月の晩になると部屋に閉じ込められるようになっちゃったの」
なるほど。この女以外に対しては、満月の晩に現れて、その時外に出ていた人間を襲うという『魔女』のイメージは変わっていないようで何よりだ。
「じゃあどうして今日はここに居る。抜け出して来たのか?」
「いいえ。しっかり許可は取ってる。最後にあなたに会いたいって言ったら、許してくれたの。今もどこかの物陰から私たちを見てると思う」
ま〜た面倒事が増えた。今日だけでどれだけ『魔女』のイメージが崩れてしまったのかを考えると胃が痛くなってくる。
手遅れになる前に、私はどこからかこちらを見ているであろう目の前の女の両親にも聞こえるように言葉を紡ぐ。冷酷を貼り付けて。
「最後かなんだか知らないが、私に会わせるとは愚かなことだ。だが……この女は気に入った。悪いが貰っていくぞ?」
「……!」
「気に入った」に反応して金髪の女が死ぬほど嬉しそうな顔をしているのが気に食わないが、ひとまずこれで「いい存在」と思われるのは避けられただろう。
「行くぞ。話は後だ」
風を集約する。人間を飛ばすために必要な膨大なエネルギーの量を、遥か上空に存在する大きな風の流れから取り出して、纏う。私の力を通して不可視の筈の『風』という存在が色を纏う。雨雲のような深い灰色を。
そして私達の身体は空中へ浮かんでいく。私の力で制御されているとはいえ、やっていることは竜巻と同じだ。風の暴力で人を強引に空中に飛ばしているだけ。風圧が顔を、体全体を叩く。
「がふ……ッ、あっ、あははっ! ずっと夢だったの! 貴女とこうして飛ぶの!」
呼吸もしづらいだろうに、心の底から楽しそうに女は笑う。
幼い頃の記憶というのは美化されるものなのだろうか。こいつ目線、朝起きた時は寝床で、私に助けられたことが夢か現かも分からなかった筈なのに。
でもまぁ、悪くない気分だった。
「そりゃどうも」
夜の景色を見下ろしながら、空を駆けていく。ただ風に吹き飛ばされているだけなので、私が力を解けば二人とも地面に凄い速度で突っ込んでお陀仏だろう。
「……怖くないのか?」
私は慣れているからともかく、この女は何なんだろうか。私も最初は、こんな速度で飛べなかった。死への恐怖が力の行使を阻害した。
「怖いわけない。貴女と一緒だし、何より……」
ここで初めて、私は目の前の人間から悲しい色を感じた。
「私、もうすぐ死ぬの」
言い終わると同時に、目的地に着いた。纏っていた風を少しずつ解いていくと、私達の身体もふわりと地面に降りていった。
「……はぁ、最後の時間を家族と過ごさなくて良かったのか? お前は余計なことを言いそうだから、私はもう死ぬまで家に返す気はないが」
「いいの。逆に私が死ぬまで一緒に居てくれるの? 嬉しい」
「変わった奴だ。救われたことがあるとはいえ、ほとんど見ず知らずの人間に、どうしてそこまで……。まぁいい、とりあえず入れ」
✢✢✢
暖炉で燃える薪がパチパチと音を立てる。少し薄暗い部屋の中で、私と変わり者の客人はそのじんわりとした熱を浴びながら話していた。
「私の力は大勢の人間のイメージによって成立しているものだ。具体的には『魔女』の伝承がそれだな。満月の晩に現れて、村を荒らし、人を攫う。おおかた、竜巻か歴史的な強風から始まった伝承なんだろう。それが形を得ただけに過ぎない。伝承を信じる者が居なくなれば、私から消えていくだろう」
「じゃあ力を失いたくなくて、貴女は村を荒らして『魔女』のイメージを保ってるってこと?」
「いいや、別にこの力に執着はないさ。満月の日以外は、力と全く無関係な仕事をしてる一般人だからな。問題は、私に渡る前に、この力がどんな状態だったか」
「……昔の私を襲ってた、あの黒い霧?」
少し考えて、女は正解を口にする。
変わり者ではあるが、肝心なところでは鋭い。
「そういうこと。アレがイメージの調整も人による制御もされてない、本来の『魔女』だ。私がお前から引き剥がしたはいいものの、今度は私が連れて行かれそうになって……そして気づいたらこの力を持ってて、お前が目の前に倒れていた」
「ふ〜ん、そこだけ記憶がないんだ」
なんだか魔女の力の話より、私自身への興味の方が大きいように感じる。
「そうだな。ともかくそれ以来、私は『魔女』という伝承と私という人間を徹底的に同一のものとしてアピールし続けてる。そうすれば私が死ぬまではあの本当に危険なほうの『魔女』は生まれないからな」
「皆に教えるのじゃダメなの? 『魔女』は本当はいいやつで、その力で皆を助けてくれるって。その力を皆の望むように使ってあげれば、人からのイメージなんて案外簡単に変わると思うんだけど」
「変わるとは思うが、時間がかかる。途中で『魔女』と『私』のイメージが分離して、私に宿っているものとは別の力が生まれかねない。それに……愛されることより、嫌われることのほうが手軽かつ確実に意思を一つに纏められる」
「少なくとも、確実じゃない」
「ほう?」
「私が貴女のこと大好きだもの」
真顔で言わないでくれ。むず痒い。
「……ハッ、そりゃどうも。ともかく、これで私の知ってることは全部だ。私が『魔女』のイメージを崩したくない理由は分かっただろう。言わないと約束してくれるなら、帰してやらんでもないぞ」
「いいって言ってるでしょ。それより、」
一拍の間。
「本当に私のこと覚えてないの? ◯◯って名前、聞いたことあるでしょ」
音に亀裂が走ったようになって、名前の部分が聞き取れなかった。
けれど、けれど、けれど。聞こえなかったのに、聞き覚えがあった。
「……あぁ。……でも、私は何も、知らない」
分からない。胸に満ちる懐かしさ? 悲しみ? これは何だ。
「私はずっと知ってたよ。貴女が魔女になっちゃう前から。思い出して、貴女はなんであの時、私と一緒にいたのか」
「……ッ」
そうだ。知っていたんだ。声も顔も、少し大人びたけれど知っているんだ。
どうして断片的なんだ。思い出したいのに。大切な筈なのに。目の前の女が、いや、君は、私にとって。
「やっぱり、こうするしかないみたい」
脳裏に浮かぶ笑顔と、唐突に視界に入ってきた少し大人びた君の顔が重なる。そのまま、君は私の口を、自分の唇で塞いだ。
大好きだよ。そんな言葉が、最初に頭に流れ込んできた。
✢✢✢
遠く離れた場所に住む君と私は、けれど一番の親友だった。物理的な距離なんて意味のないほどに、心はいつもひとつだった。毎日、手紙を送った。たまに君が私のところへ会いに来てくれる日には、次の日起きれなくなるくらい、夜遅くまでめいっぱい遊んだ。
そんな日々の中だった。満月の晩ということを忘れて、私達は夜道を歩いていた。一緒に寝ようよ、なんてことを話していた。
そして魔女が来た。魔女って名前がついただけの、不定形の化け物。私は霧に包まれで動けなくなって、君は吹き飛ばされて気を失った。私はただ、君を助けたかった。自分なんてどうなってもよかった。そう考えると、魔女への恐怖なんて、畏怖なんて、微塵も心になくなった。
すると霧は消えてしまって、私に何かが流れ込んできた。魔女への恐怖を、私の君への意思が溶かしてしまったようだった。
倒れた君に近づいた。
死んでいた。
私は何も分からなくなって。そして感情と、そして自らの中に入ってきた何かが溢れそうになるのを感じた。ほとんど衝動のままだった。理屈なんて何も無かった。私は君に口づけをした。感情も生命もわけも分からない力も、全部流し込もうとするかのように。
君は目を覚ました。
私は気を失った。
目が覚めた私は、ほとんど動けなくなっていた。
医者から、余命を告げられた。
君は満月の晩になるといつも村に来てくれたけど。
君は私を覚えてなくて。
私は君に会いに行けなかった。
ようやく会えて、嬉しかった。
覚えていなくても、それでも良かった。魔女と変わり者で結構だった。
どうしようもなく君が、大好きだから。
✢✢✢
「どうして、」
流れ込んできた記憶から浮上する。
目の前に、死にかけの君がいた。
「どうして、忘れてたんだ。私は、君を、ずっと忘れて、のうのうと、」
「いいの。私が忘れられたのは、きっと一度死んだ人間を、蘇らせた罪だから」
「……それでも」
「私は幸せだったよ。貴女の風の音を聞く度に、どうしようもなく幸せだった」
「待ってくれ。待って。待ってよ」
「みんなと仲良くしてほしいな。貴女は、素敵な人なんだから。きっと嫌われるより愛されるほうが、簡単だから」
「……するから、待ってよ」
「ありがと、私の愛しい人」
五色の魔女 シュピール @mypacep
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