五色の魔女

シュピール

1.水底の魔女

「ねぇ」


 光もろくに入らない海の中。額に付けたライトに照らされた壁とか床だけが輪郭を得て、俺に世界の存在を教えてくれる。深く考えると心細くて死にそうになってしまう暗闇。


「聞こえてる?」


 そんな声が響いてきたのは、何の気なしに通り過ぎようとした扉の向こうからだった。海に沈んだこの遺跡のどこにでもある、何の変哲もない造りの白くて四角い扉。


 正直、かなり怖かった。長年ここに潜ってきて、人に会ったことは一度もない。だから俺以外にこんな場所を漁ってる人間なんていないと思っていたから。


 しかも、年端もいかない幼い少女の声ときた。俺と同じくこの遺跡に潜ってる人間である可能性より、幽霊か俺の妄想か何かの可能性のほうがよっぽど高くないだろうか。


「幽霊じゃないわよ」


 声に出してないのに何か言ってきた。こういうことしてくる奴を幽霊と呼ぶんだ。


「いいからそこの扉を開けてちょうだい」


 それかやっぱり、長い間海に潜りすぎてどうにかなっちまったかな。久々に陸に上がって長めの休暇を取るか。しばらく優雅に暮らせるくらい売っぱらうためのガラクタは漁れたもんな。


「ねえってば」


 どうせこれから拠点に戻るところだったんだ。今日の収穫はいまいちだったから、何か見つけたとしても持ち帰れるだけのバッグの空きがある。幽霊でも妄想でもなんでもいい、開けてというならついでに漁ってやろうじゃないか。


「……なんか呆れてきちゃった」


 扉に手をかける。歴史に残っていないくらい大昔の街の遺跡のくせに、海藻を払ってみれば傷ひとつない白い壁が顔を見せる。偶然崩れて手のひらサイズになってた破片を有識者に持っていたことがあるが、材質が何なのかは今の人類には分からないらしい。


 さて、海中だからかなり重いものの、スライド式の扉は問題なく開いた。ざっと中を漁って帰ろう。俺の頭の中は、地上の生活拠点である街の外れのログハウスで、いかに優雅な暮らしを満喫するかでいっぱいだった。


 そのせいで気づくのが遅れた。


「はじめまして」


『ゴボッ!!ゴボボォボボ!?』


 ライトに照らされる狭い視界にいきなり幽霊みたいな肌の白さをした少女の顔が出現して、俺はそれはもう盛大に空気を無駄にした。泡を浴びた少女が、うへぇって感じに顔を背ける。


「ゴボゴボ言ってても分からないわよ。それより頭の中をしっかり整えてくれないかしら」


 やっぱり幽霊?


「違うって言ってるわよね。整えて最初の言葉がそれ?」


 だって幽霊としか言いようがないだろ。海の底で何も装備を付けずに生きてるし、なんか思考読んでくるし、喋ってるのに泡のひとつも見えないし。それに黒い髪と白いワンピースの組み合わせは幽霊でしかないじゃん。


「私からしたら、なんでそんな動きづらそうな恰好してるのか分からないし、なんでそんなゴボゴボしてるのかもよく分からないわよ。最初見たときは、変わったデザインの家事ロボットか何かかと思ったわ。けど、あなたはロボットじゃないし、私も幽霊じゃない。生きてるもの」


 そういうもんかぁ。


「そういうものよ。知らないけど」


 それで、こんな場所で何してるんだ。俺はここのガラクタを漁りに来てるだけだけど。


「ガラクタ?」


 そう、ガラクタ。この遺跡にたくさん転がってる変な形したやつ。俺には使い道分かんないけど、知り合いが高値で買い取ってくれるんだ。


「ガラクタ……ガラクタねぇ。なるほど、ある意味では成功したのね」


 ……何の話だ?


「なんでもないわ。それで……私がなんでここにいるか、ね?」


 おう。


「たぶんあなたに話しても分かんないわね」


 おい。別に俺は馬鹿なわけじゃないぞ。さっきは疲れてただけだ。


「温暖化、海面上昇、核、箱舟。この中に一つでも聴き覚えのある単語があるかしら?」


 ないです。調子乗ってすみませんでした。


「ふふっ、いいのよ。あなたにはどうしたって知る由もないことだから」


 ライトに照らされた狭くて丸い視界の中で、少女は緩く微笑んだ。光を反射する、普段よく見る深海に似た蒼い瞳。俺はろくに実物を見たこともないが、質の良い宝石ってのはこういう色をしているんだろうな、となんとなく思った。


「妙に詩的ね」


 マジで思考の一部始終読まれてんの? こわ。


「じっと見つめられたから何かと思って覗いてみただけよ。普段から全部読んでたら、たぶん脳が焼き切れちゃうわ」


 やろうと思えば読めるのな……っと、話し込んでて忘れてた。

 そろそろ空気の残量が怪しい。


「空気がなくなるとあなたは死んじゃう?」


 死んじゃうな。だから俺は今から拠点に戻らなきゃなんない。


「……そう」


 お前も来るか?


「……いいの?」


 ずっと潜ってる俺が言うのもなんだけど、長いこと一人で海の中にいたら、人って簡単に狂っちまうからな。話し相手は大歓迎さ。


 それになんだか、寂しそうだし。


「……」


 俺がこっそり付け加えた思考を読んでか読まずか。少女は惑うように綺麗な蒼い目を揺らして、閉ざして、そして開いた。見惚れてしまうような不敵な笑みがそこにあった。


「いいわ、私を連れてって?」


 フッ、よしきた。さっさと行くぞ、のんびりしてたら俺が溺れ死ぬからな。


「……ところで」


 水面と一緒に不安定に揺らぐ、天からの光の雨。それ全身に浴びながら海面に向かって上がっていく最中、少女が問うてきた。


「あなた、私の代わりに物語を書いてみる気はない? 世界が始まって、終わって、そしてまた始まった話を」

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