五色の魔女

シュピール

1.陽炎の魔女

 私は過去最高に朦朧としていた。照り付ける太陽、カラカラな喉、揺れる視界。つまるところ、水が尽きて死にかけていた。周りには何もない。砂はあるけど。


 この砂漠は初心者でも死なない。死んだ人間は今までいない。そういう謳い文句で有名だ。実際ここは広さの割に通る商人や旅人も多く、この砂漠を領土としている国も観光資源として重宝している節がある。私も旅人として、一度は訪れてみたいと想っていた場所なのだが。


「死ぬ……? これ死ぬ……? この砂漠で初めて野垂れ死んだ少女として名前刻んじゃう感じっすか……?」


「それは困るな」


 あぁ、悲しきかな。答える声は……おや?


「誰っすか……? 死神……?」


「違うな。でもまぁ、似たようなものではある」


「やっぱ私死ぬんすね……でもまぁ、悪くない旅だったぜ……」


 サバサバした大人の女性みたいな声をした死神もどきの声を聴きながら、私はもう旅の終わりを美しい言葉で飾るモードに入っていた。歩くのも馬鹿らしくなって、砂に向かってダイブする。


 熱々になった砂が頬を灼く。それ以外の肌は砂が入ったり強すぎる日差しにやられないように覆っているので、ただなんとなく全身が熱されてる感じだった。


「しっかりしろ阿呆あほうが。お前に死なれると困ると言っただろう。いいか? 助けてやるから今から言うことをよ〜く聞け?」


「なんすか……?」


「想像しろ。そうだな……"冷たい水がたっぷり入った水筒"」


 おお、まさしく飲みたいやつだ。そう考えた次の瞬間、脱力してうつ伏せに転がる私の眼前に、ボフッと何やら落ちてきた。


 水滴を纏っていかにも冷えてそうなそれは、見るからに水筒だった。


「ぇあ……これ大丈夫っすよね……? 触ったら消えたりしない……? よくある陽炎とかその類のものじゃない……? もしそうだったら私もう立ち直れないっすよ……?」


「安心しろ、私はともかく、その水筒は消えたりしないさ」


 私はともかく、という部分が気になりはしたが、今の私にそんなことを聞き返している余裕なんてない。


 布団に寝転がったまま目覚ましを探すみたいな動作で手を伸ばす。手のひらに返ってきた感触は本物だった。数日ぶりに感じた『冷たい』に、目眩がするかと……いや実際に目眩はしているんだけど。


 空気を吸うことすら忘れて、ただ喉に水を流し込む。呼吸とかどうでもいい。水だ水。


「くはーっ! 生き返ったっす」


「生き返った気になってるだけでまだ死にかけだ。しばらく安静にしとくといい」


「はーい」


 気分だけでも元気になってきて、色々と気になりだしてきた。水は本物だったし、聞こえてくるこの声もまた私の幻覚じゃないってことになる。


「ところで、お姉さんは何者なんすか? やっぱりこの砂漠の神様……みたいな?」


「そんなところだ」


「はへー、じゃあ誰も死なない砂漠って伝説は、お姉さんが居るからなんすね」


「いいや? 最近は私の出番はそう無くてな。お前は……そうだな、百年ぶりくらいの来客だろうか」


 え。


「じゃあなんすか、私が百年に一度の間抜けって言いたいんすか?」


「ふむ……」


 声は考えるような気配を滲ませて、


「そういうことになるな」


「とほほ……まぁ否定はしないっす。あちこち旅してきたけど、いっつも何かしらやらかすんすよね……」


「それでもお前は、今までそこそこ幸せに生きてきただろう? 目を見れば分かる。お前は愛されてきた人間だ」


「どこから目を見られてるのかめちゃくちゃ気になるっすけど、そうっすね。愛されてるかは別として、お世話になった人の数でなら誰にも負けない自信があるっす。世界にお世話になってると言っても過言じゃない」


「ハッ、そういう人間を愛され上手と言うんだ。初対面の旅人の分際で色んな人に世話を焼いてもらえるってのは、なかなか立派な才能だぞ?」


「そういうものっすかねぇ」


「そういうものさ。せっかく愛されてるのなら、全力で愛という恩恵を享受して幸せになるってのが、愛とご好意に対する唯一にして最大のお返しだからな」


「おぉ、いい言葉っすね。長らく保留してた座右の銘、それにしてもいいっすか?」


「好きにするといい。ちょうど私も、人の世に広めたいと思っていたところだ」


 人の世て。

 今まで色々なところを旅してきたが、本当に人じゃない存在からこの言葉が飛び出す瞬間を見れるとは思っていなかった。


 それから、不思議な声と色んな話をした。大森林で遭難しかけた話。魔境と呼ばれる海で船が壊れて、板切れの上で何日か海上を彷徨った話。街で財布を盗られたり、流行り病にやられたり。順風満帆の対義語みたいな今までの私の旅と人生の話を。そしてそんな旅を経て私が今も笑っていられる理由……私を助けてくれた皆の話を。


 声は楽しそうに話を聞いて、何度か水を出してくれたりして、気が付けば、辺りは暗くなり始めていた。砂漠の夜の寒さの気配が、私の頬を撫でる。


「……さて、そろそろ頃合か」


「何がっすか?」


「もうすぐ私は消える。なに、心配はいらない。太陽が沈む方向に歩いていけば、ちょうどそこそこの規模の旅団と出会えるだろう。あとはお前ならどうとでもなる」


「お姉さんはどうするんすか?」


「どうもこうも、またお前みたいな間抜けが現れるのを、この砂漠で待つだけさ」


「私レベルの間抜けなんて、たぶん千年待っても現れないっすよ。お姉さんが待つのは私みたいな間抜けじゃなくて、私という史上最強の間抜けっす」


「ハッ、またこの砂漠で死にかけるのは、狙ってやらないと難しいと思うぞ?」


「舐めてもらっちゃ困るっすよ。どこでだって死にかけることができるのが、私の数少ない特技のひとつっすからね」


「……特技なのか? それは」


「今までは欠点だと思ってたっすけど、お姉さんのおかげで特技になったっす」


「ほう」


「だって私の数少ない特技のもうひとつは、どれだけ死にかけたってお姉さんみたいな人に助けてもらえることっすから!」


「ハハッ! 違いない」


 声が遠のいていくのを感じる。そろそろ時間切れだろう。私は、旅の途中で出会った人とお別れするときの決まり文句を夕日に染まる砂漠に向かって叫ぶ。


「また今度!」

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