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家から本が無くなった後も、最初のうちは友達の本を破ったり、幼稚園にある好きな本を誰にも見つからないところに隠したりしていた。
「どうしてこんなことするの?」
そう尋ねられる度、私は一生懸命自分の気持ちを説明しようとした。
物語が自分だけのものじゃないのが許せない。
誰も持ってない、私だけの物語が欲しい。
そんなようなことを子どもながら必死に伝えようとした。
「ゆいかちゃんが独り占めしちゃったら、他の子が可哀想でしょ? それに、みんなで一緒に読んだ方がきっと楽しいよ」
しかし、幼稚園の先生たちにはこのどうしようもない衝動が上手く伝わらなかった。彼女たちは私を我がままで自分勝手な子どもとして扱って、ありふれた言葉を投げかけて叱るだけだった。
「ゆいかちゃんってちょっとへんだよね」
その悩みを友達に打ち明けてみたこともあったが、当然理解されるわけもなく、自分が異質な存在であることが浮き彫りになるばかりだった。
とにかく自分はみんなと違う。自分の中にあるこの気持ちは外に出すことを許されない。一つずつ失敗を重ねていくことで徐々にそのことを理解した。そして身体が大きくなっていくのに従って、そういう自分の欲望を隠すことができるようになっていった。
と言っても、結局はただ心を押し殺して隠しているだけで、その欲望が無くなったわけではない。私はずっと満ち足りず悶々とした気持ちのまま毎日を過ごしていた。
何だか自分の本性を隠したまま周囲を騙し続けているような罪悪感があって、友達と上手く話すことができなくなっていった。すると逆に周囲は私から何かを感じ取ったのか、距離を取って腫れ物に触るような態度で接するようになった。
それからしばらくして、小学校四年生に上がったくらいの頃。
ある日、国語の授業で「物語の続きを書いてみましょう」という課題が出された。
お題となったのは、孤独な狐が自分の犯した罪を償うため、村人に食べ物を届けるという物語だった。最後は村人が狐を撃ち殺してしまったところで終わっていて、その続きを各々が考えて書いてみようというのだ。
私は悲しい結末が嫌だったから、食べ物をくれていたことに気付いた村人は慌てて狐を手当てし、一命を取り留めた狐と二人仲良く暮らしたという話を書いた。
何の変哲もない、ご都合主義のひどくつまらない物語。でも私にとってはとても大切なもののように感じられた。
次の国語の授業でそれぞれが持ち寄った物語の続きを発表する予定だったのだが、私はちょうどその日から風邪を引いて学校を休んでしまった。
数日後、ようやく熱が下がって学校へ行くと、とっくに狐の物語は終わり、全く別の単元の勉強が始まっていた。私は自分が書いた物語をもう発表しなくていいのだとわかって、久しく味わっていなかった心地よさを感じた。
――そっか。自分で書けばよかったんだ。
至極単純な話だったというのに、どうして今まで気付かなかったのだろうか。
物語を独占したいなら、最初から自分で作ればよかった。
私はそのことに気付いてから、自分だけのための『創作活動』に没頭した。
誰に読ませるでもなく、自分で繰り返し読むわけでもなく、ただ誰のものにもなっていない物語を自分のものにするために創作する。
もちろん今まで創作らしい創作をまるでしたことがなかった私には、物語を書くという行為は途轍もない重労働だった。毎日何時間も費やして、一人黙々と文字を書き連ねていく作業は苦痛でしかなかった。
頭の中で思い付いたときは、世に出せば時代を変えてしまうほどの傑作になると確信していたのに、それを出力していくうちに、どんどんと魅力が削がれて駄作に成り下がっていく。いい表現が浮かばずに筆が止まり、その度にやめてしまおうかと考える。
そんな苦労の末に出来上がったものは、見るに堪えない稚拙な文章の羅列で、自分の才能の無さに辟易とするばかりだった。
それでも何十時間もかけて一本の物語を書き上げた瞬間は、言い知れぬ達成感を覚えた。世の中になかったものを生み出し、それを私だけが独占している。そのことがたまらなく愉快だった。
その日もいつもの通りノートにペンを走らせていて、ちょうどキリのいいところまで書き終えたところでノートがいっぱいになった。あれから数年書き続けた結果、もう何十冊もノートが溜まっていて、机の上にはその一部が山積みにして置いてあった。
私は書き終えたノートを山の一番上に乗せて新しいノートを取り出そうとすると、絶妙なバランスを保っていた山が一気に崩れる。そして激しい音とともに、大切にしまってあった物語の断片が床にばらばらと散らばった。
慌ててかき集めるようにそのノートを拾いながら、私はふと恐ろしさを覚えた。
――このノートがもし万が一誰かに見られたら……。
基本的には書き終えたノートはこの部屋の中に保管してある。家族を含め、私以外の人間がこの部屋に入ることはないし、物好きな泥棒でも入らない限りは安全だった。
しかし、最近は学校でも書くことが増え、書き途中のノートは常に持ち歩いている。出しっぱなしにはしないようにしているものの、誰かに横から覗き見されないとも限らない。
そこで私は床に落ちたノートを眺めながら、一つの妙案を思い付いた。
拾ったノートを机の上で開き、いつも使っているシャーペンではなく、引き出しに入っていた太めの油性ペンを手に取る。そして背徳感と興奮で高鳴る胸を押さえながら、ゆっくりとペン先を自分が書いた文字の上に乗せた。
じわり。力をかけていくにしたがって、少しずつ黒い点が紙の上に滲んで広がる。するとそこに書いてあったはずの一文字がその黒点に飲み込まれて消えてしまう。試しに光で透かして見ても、もう何が書いてあったかを読み取ることは不可能になっていた。
それから私は無心でノートを黒く塗り続けた。一ページずつ、一文字も逃さないように、丁寧に自分が書いた物語をこの世から消し去っていく。
どこかずっと物足りなかった欲求がようやく満たされた気がした。家の庭で本を燃やしたときと同じ快感が心を満たしていく。
結局その日は家にあった油性ペンのインクが尽きるまでその作業を続けた。
これなら誰にも咎められることなく、人知れず自分の欲求を満たすことができる。
大量のインクを吸って膨らんだノートの束を眺めながら、この世界に再び生まれ落ちたような多幸感に包まれていた。息苦しかった日々が嘘のように、目に映るものすべてが明るく澄んで見えた。
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