終章

田舎令嬢、想い人と共に歩む。

 王宮でのマルセル殿下との会見は無事終わった。会見と大仰に言っているけれど、実際は雑談をしたにすぎない。殿下の目的が私を見ることだったそうなので、話すことが大してなかったということもあるけれど。


 ともかく、緊張する面会は終わった。ロランに続いて往路で乗った馬車に乗り込む。復路では私の隣にロランが座った。


 後は帰るだけ。事件のような大事もないから気楽なものね。


 動き出した馬車の中でロランが声をかけてくる。


「シルヴィ、今日はどこまで送っていけばいいんだ?」


「え、あ」


 どうしようか私は考えた。既に住み込み先のお屋敷は引き払い、そもそも学園の生徒寮には部屋がない。だから宿の泊まろうとしているんだけれども、どこの宿にするかはまだ決めていなかった。


 黙ったままの私にロランが顔を向けてくる。


「もしかして、今晩泊まる場所がないのか?」


「宿に泊まろうと思っているのよ。ただ、まだどこに泊まるか決めていないだけで」


「俺の屋敷に来いよ。大歓迎だぜ」


「何言っているのよ。婚約もしていないのに泊まれるわけないじゃない」


「それなら婚約してしまえばいい」


「何を」


 揺れる馬車の中、隣に座るロランが真剣な眼差しを向けていた。そこではたと気付く。そういえば、今この中では二人っきりだった。しかもその目を真正面から見てしまい、顔が赤くなる。


「前にシルヴィが今と昔の俺じゃ全然印象が違うって言っていたが、変わったのは印象だけじゃない。お前を守るために強くなる努力だってしてきた。そりゃまだ完璧だとは言えないが、この先もこの努力は続けるぜ」


「うん」


「でも、昔も今も変わらないことはある。俺がお前を愛しているってことはな」


 まっすぐな目を向けてくるロランから私は目を離せなかった。肩を掴まれたことに気付いたけれど振りほどこうとする力は湧いてこない。


 自分は何を言い返せば良いんだろうと考えたけれど、全然考えがまとまらなかった。見なくてもわかるほど自分の顔が熱を持っていること感じる。


 ロランの顔が近づいて来た。私は自分が何を考えているのかわからなくなる。体がやたらと軽く感じられた。そのくせまったく動かせない。


 やがて私とロランの距離はなくなった。




 初夏になった。ジュネス学園は春の講義期間の全日程を終了し、夏休みになる。


 生まれも育ちも王都の貴族子弟子女を除き、大半の生徒は実家へと帰省を始めた。思いきり羽根を伸ばせるため旅立つ生徒の顔は明るい。


 住み込みの仕事をしながら学園に通う生徒も同じで仕事先を休んで実家へと帰省する。これは学園の生徒の権利として認められていることのひとつだから、その少し前から雇い主がかき集めた人々と交代して誰もが堂々と長期休暇を取った。


 日差しが厳しくなりつつある中、私は学園の生徒寮である大成館に入る。目指すはロランの部屋だ。使用人に来訪を告げて中に入れてもらう。


「ロラン、来たわよ」


「友達に挨拶は済ませたんだな」


「ええ、アンナたちは先に出ていったわ。私たちも早く行きましょう」


「荷物はそれだけなのか?」


「もちろん。春に王都へ来たときは乗合馬車を使ったんだから、これに収まるくらいしか持ち歩けないのよ」


「貴族子女の荷物は大量になるってのが常識なんだが、シルヴィは例外か」


「みんな貧乏が悪いのよ」


 片手で持てる鞄に失礼な視線を向けたロランに私は堂々と言い返した。確かに帰省するアンナの馬車にはいくつもの荷物が積み込まれていたわね。でも、住み込みの仕事をしている私たちはみんなこんなものなんだから。


 私が不機嫌そうな視線を向けるとロランが苦笑いをしながら手を広げる。


「悪かったって。お詫びにその荷物を俺に持たせてくれないか」


「仕方ないわね」


 目の前で一礼したロランに私は自分の鞄を差し出した。手ぶらになって体が軽くなる。


 部屋を出たロランに続いて私も廊下を歩いた。横に並ぶと顔を向ける。


「まずはあんたの実家に行くのよね。それから私の実家と」


「そうだな。俺の義両親には会ったことはあるだろ?」


「毎年の年始の挨拶のときに少しだけよ。今年もお目にかかったわ。えっと、正確にはあんたの伯父様と伯母様だったわよね」


「そうだ。まぁ、面識があるんだし、別に緊張することもないだろ」


「そうでもないわよ。立場が変わったんだから、何て顔して挨拶をしたら良いんだか」


「今まで通りでいいって」


 笑顔のロランを見て私は口を尖らせた。その辺りはもっと気遣ってほしいんだけどな。


 目先の不安から目を逸らすために私は話題を変えることにする。


「それにしても驚いたわよね。イレーヌ様がご自身で婚約者候補を辞退されるなんて」


「噂が出回ること自体不徳のいたすところ、そんな自分が王妃になる資格などない、か」


「有力候補が相次いで脱落したから選定のやり直しだなんて、マルセル殿下も気の毒ね」


「その有力候補二人を脱落させる原因を作った張本人がよく言うぜ」


「な、なによぉ」


 にやりと笑うロランから顔を向けられた私は目を逸らした。以前、イレーヌ様の相談に乗ったときに両親からの助言を伝えたんだけど、たぶんそれは関係ないはず。ちなみに、イレーヌ様は想い人である子爵家の子弟殿と今もこっそりと交際をしているらしい。


 大成館から出た私とロランは駐車場へと向かった。初夏の日差しがとても眩しい。


 都合の悪い話を打ち切るべく、私は再び話題を変える。


「そういえば、婚約者候補を辞退されたオルガ様って、これからどうされるのかしら」


「この夏休みを機にしばらく休学すると小耳に挟んだぞ。そのまま学園を退学するかもしれないらしい」


「どうして? あの事件は表沙汰になっていないのに」


「あの事件の内容についてはそうだが、何かあったことは裏で社交界に広まったからな。そんな曰くのあるご令嬢の相手をしたがる子弟はいないとなると」


 途切れた言葉の先を想像できた私も黙った。こういう何か問題のある子女の行き着く先は大抵が修道院だ。そうなると、オルガ様の派閥も夏休み後には消滅するわね。


「オルガ様はわかったわ。それじゃ、あのピエレット様は?」


「ダケール侯爵家で裁いたと聞いている。形式上だけでもオルガ様に罪がないことにするためにな」


「こうなると、しばらくダケール侯爵家のお屋敷の中は大変そうね。まったく、うまく乗り替えたものね、あの人も」


「あの人?」


「ううん、なんでもないわ」


 バシュレ伯爵家の馬車に着いたロランが私の荷物を御者に手渡してから首を傾げた。それに対して私が笑って首を横に振る。


 私が気にしたのはお世話になった先輩の使用人コレットだ。協力してくれた見返りに転職先を紹介してあげた。その先とはラファルグ公爵家。イレーヌ様の命を助けてくれたということで先方も受け入れてくれた。


 御者が扉を開けてくれると私から先に入り、隣にロランが座る。


「でも、こうなると次のマルセル殿下の婚約者選びは大変そうね。今回みたいにならないように気を付けないといけないから」


「ただなぁ。いくら気を付けるといっても限度があるしな」


「イレーヌ様は道ならぬ恋、オルガ様は相手の毒殺、しかもどちらもお家に隠れてですものね。確かに無理かも」


「まぁそれも来年以降の話だな」


 のんびりと話をしていると馬車がゆっくりと走り始めた。軽い振動が体を襲う。


「そうだ、シルヴィ。アベラール男爵領に行ったら、二人であの森に入らないか?」


「あの森って、小さい頃に見回りをしていた場所?」


「ああ。あのとき以来入っていないからな。久しぶりに行ってみたいんだ」


「前みたいにまた木の棒を振り回しながら歩き回るのかしら」


「いいね! 懐かしいなぁ。あのときはいっつもシルヴィの背中についていってたっけ」


「子供数人で木の棒を振り回してのら犬やうり坊を追いかけ回していただなんて、今思うと無茶苦茶ね」


「はは! 自分で始めておいてそんなことを言うのか」


「あの頃は自分もお父様とお母様の役に立ちたいって先走っていたから」


「ちなみに、あれってまだ続いているのか?」


「私が抜けた直後に自然消滅したみたいよ」


「それじゃ次は、俺たちの子供にやらせようぜ」


「え?」


 何を言っているんだと思っていると、ロランの顔が急に近づいて来た。そして、私のおとがいに彼の手が触れたかと思うと唇を塞がれる。


「ちょっ、いきなり!?」


「急にしたくなったんだよ」


 顔を赤くして抗議する私にロランは満足そうに答えた。人の隙を突くなんて卑怯ね!


 なんて言っているけれど、内心は私だって嬉しかったりする。単にしてやられたのが悔しいだけ。ロランもそれがわかっているから平気なのはよくわかる。


 これから先の未来を暗示するかのように私とロランは馬車の中で騒いだ。


─完─

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田舎令嬢、陰謀を阻止する。 佐々木尽左 @j_sasaki

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