かおるあやし
粒安堂菜津
香るあやしの小袖
1 天野ルコ
――――報酬は10万……調査期間は、一週間……ほれ鍵だ、住所はスマホに送った、何か質問は? ……じゃ、行ってこい
無愛想な雇い主から抑揚のない声で告げられて、都内のマンションの一室に入った「天野ルコ」の忍耐力は、3日目にして限界をむかえそうになっていた。
ルミエール・ド・ラ・フォレ……日本語で“光の森”という意味の名が付けられたマンションの505号室、1LDKの部屋の各所には監視カメラが仕掛けられているが、それに対して限界をむかえそうになっているわけではない。
学校に通っていたら女子高生といわれる年齢のルコだが、今回はトイレと風呂にカメラがないので最低限のプライバシーは保たれていると納得している。
では、何に耐えているのかといえば、現在深夜2時、草木も眠る丑三つ時。キッチンから女のすすり泣く声が聞こえてくるのだった。
それも今だけではなく毎日、24時間ずっと。
部屋に入った時……いや鍵を開けようとした時から聞こえていた。
ベッドから上半身を起こしたルコはボサボサのショートヘアを乱暴に掻きながら舌打ちし呟く。
「ウソでしょ……ったく」
まさか、際限なくすすり泣かれるとは思っていなかった。気味が悪いというより苛々する。
ベッドからでてキッチンに向かう。下着姿のままだが特に気にしない。男も女も産まれた時は素っ裸なんだ、下着をつけてりゃ裸じゃない。
キッチンは当然のことながら寝室以上に泣き声がうるさい。苛々を抑えるため目をつむりながら冷蔵庫のオレンジジュースを取り出し、そのまま一口飲み気持ちを落ち着かせる。
しかし、それもジュースを冷蔵庫に戻す際、すすり泣きに嗚咽を混ぜるというアレンジが追加されたときに限界を迎えた。
「うるっせええぇーんだよ!! ずうぅっーとよぉー!!」
おもむろに冷蔵庫と壁の隙間に手を差し込んだルコは、そこから女を引きずり出した。
【隙間女】とは、都市伝説“ネットロア”でまことしやかに囁かれている怪異、または悪霊の類で、冷蔵庫と壁の間や、ベッドの下などからこちらをジッと見つめる女。特に何か悪さを行うわけではない。古くは「耳袋」にも類話が確認されている――
引きずり出された女は赤いワンピースをまとい、長い髪を振り乱し絶叫する。
「だぁーかーらぁー……うっせーって、言ってんでしょうがっ!!」
ルコの回し蹴りで隙間女がリビングに吹き飛ばされる。
「言いてえことがあんならよぉ、シクシク泣いてねえで、はっきり言いやがれ!! あぁん?」
リビングに倒れ伏す隙間女の前で腕を組み、仁王立ちで見下ろす。その勝気さが溢れるルコの目を隙間女は血走った目で見返し、自身の薄い身体を起こすと、わなわなと唇を震わせ、か細い声をだす。
『わ……わた……私は――』
「うるっせえ!! 喋んな!!」
再度、蹴り飛ばされた隙間女に馬乗りになり、何度も殴打する。
「こっちはなぁ、何日も我慢してんのっ!! まずはストレス発散の時間でしょうよっ!!」
『ひぃっ……やめえぇ……』
その日、ルミエール・ド・ラ・フォレの住民たちは、深夜に争う女の声を聞いたとか聞かなかったとか……。
◇
――佐久間探偵事務所
隙間女に馬乗りになってキレちらかすルコが映ったモニターから視線をはずし、無愛想な男……佐久間は、自分の前で気まずそうに立つ少女、ルコをじろりと見る。
「それで、退治した……と」
モニターの中では、隙間女が光の粒子に変わり消えてゆくところだった。
「何か……我慢できなくてさ……ごめーんちゃい、テヘッ」
消えてしまった隙間女に焦り、オロオロする少女が映されているモニターの電源を切りながら、ルコは自分に拳骨するポーズを決め、ウインク&てへぺろで謝意を示す。
「……ちっ」
とてもはっきりと聞こえる大きな舌打ちの後、さらに大きなため息のコンボを目の前の痩せぎすな中年男から放たれたが、笑顔のまま耐えることにした。
無愛想な雇い主は、デスクから茶封筒を出して、ルコの前に投げ、報酬だと告げる。
「ちょ……少なっ!」
喜んで封筒の中を確認すると、五千円札が一枚、他に「バーカ」と書かれた紙が同封されていた。
「テメェ……佐久間、テメェ、馬鹿にしてんのか⁉ あと金が少ねえだろっ?」
怒り狂うルコに対し、佐久間は無表情で今度は小さなため息を吐き、口を開く。
「いいか
そう言いながら佐久間はモニターの電源を入れる。そこにはリビングでオロオロする下着姿の少女が映し出されていた。
「ぐっ……」
ルコが電源に手をやるが、佐久間はそれを払いのけ、モニター上の少女を見て鼻で笑う。
「だが、お前の才能は買っている……俺には見えないものがお前には見え、触れないものが触れる……その才能を」
少し思案したように目をつむり、
「本来、断ろうかと思った案件なんだがな……」
ルコを見て無愛想な男はニヤリと笑った。
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