後日談 麗と静乃(2)

 静乃が駐車場に駐めていた軽自動車で、さらに移動する。


 妙なことになった、と、麗は思った。いま、この車が向かっているのは静乃の家である。興味がなかったわけではないが、行って良いものなのだろうか。それも、他の仲間たちを差し置いて。

 だが一方、静乃は自宅に麗を招くことはなんとも思っていない様子である。隠し事をしなくていいとわかったらこれだ。もう少し、羽友の心理的負担というものを理解して欲しかった。


 まぁいいか。


 静乃の考えている『可愛い』とやらがなんなのか、気にならないと言えば嘘になる。

 軽自動車は市街地を抜け、庄司山のふもとのほうまでぐんぐん近づいていく。麗は外の景色を眺めながら「そう言えばこの間この辺にヒグマが出たなぁ」などと考えていた。


静乃ってすずのってこんな遠くから通ってるのこんたとおぐがらかよってらんずが?」

「そうですねー。途中まで車で移動して、駐車場に駐めて、あとは何食わぬ顔で登校します」

大変だねへばだな

「大変です。たまに職質されますし」


 高校の制服を着た大柄な女性が車の運転席から出てきたら、確かに声をかけたくなるのかもしれない。道警はちゃんと仕事をしているようだ。


 静乃については疑問が尽きない。なんで五稜館高校を選んだのかとか。それなら本町の方にアパートを借りれば良かったのにとか。そもそも道産子であるのかさえわからない。どうも前職であるバスの運転手は内地の方でやっていたようだし、アラサーになってから高校に通うという勇気ある決断を下すのなら、身バレの危険が大きい地元は選ばないような気もする。だとすると、逆に九州とか沖縄とか、あっちの方の出身だったりして。

 そうした諸々を、以前暁人と話し合ったことがあるのだが、彼は少し考えた後に、


『んー……。気にはなるけど、まぁ、ノセさんが話したいときに聞ければいいんじゃない?』


 と言った。まぁ彼はそういうやつである。暁人は本当に必要だと思ったらガンガン来るが、そうでない時は全然踏み込んだことを聞いてこない。まぁ、だからエルナの正体に最後まで気づかなかったのだろうが。

 まったく。彼が気づいていたらという気持ちと、気づかずにいてくれたからこその4日間だったという気持ち。割とどっちもある。


「あ、もう着きまーす」


 静乃の家は庄司山の麓あたりにある、割としっかりした作りの一軒家だった。作りは割と新しい。


建てたのたてだんずが?」

「まさか。借家ですよ」


 雪国特有の、とは言え麗にとってはずいぶんと見慣れた、スノーダクト式の屋根。玄関周りには風除室もある。結構ちゃんとした家だ。

 静乃は玄関の扉を開け、「どうぞー」と気軽に麗を招き入れる。


おじゃましまーすおじゃまさまー……」


 普通の廊下がまっすぐ伸びて、いくつかの部屋へと繋がっている。面倒な厚底ハイヒールを脱ぐと、麗もようやく人心地だ。


「うわー。友達が来るなんて初めて。嬉しいなー。これまでみんなと距離とってきたけど、友達作るって良いもんですねぇ」


 静乃はウキウキした様子で、おそらくリビングであろう突き当たりの部屋へと向かっていく。


 静乃も難しい立場だな、と思う。彼女はこれまで自身の秘密ゆえに他人を遠ざけてきた。麗たちは静乃のふたつの秘密を知り、彼女はこうして家に自分を招いてくれるまでになった。本当はもっとたくさん友達を作れた方がいいのだろうが、抱えている秘密を考えるとそううまくはいかないだろう。


「あ、2階はあがらないでくださいね。……その、何がとは言いませんが。防音室になってまして……」

良い良いみなまで言わなくても良いってみんなさしゃべらねでもいいねじゃ


 断熱効果を高めるため、もともと壁も窓も厚めなのが雪国の一軒家だ。わざわざ防音室に行かなくとも、音が漏れ出ることはあまりない。


 静乃はひとりで暮らしているようだが、おそらくは家族向けの借家だ。リビングは広く、ダイニングキッチンも付いている。エアロバイクや幾つかの筋トレグッズが雑多に転がっていた。


 麗は、その後静乃に促されるままに席につき、彼女の入れてくれたお茶を飲んだ。静乃は頬杖をつきながら、心底嬉しそうにこちらを見てくるので少しやりづらい。


なんか楽しんでないなんぼかたのしんどらんず?」

「そりゃあ楽しいに決まってますよ」


 静乃はそれから、


「藤崎さんは、エルナみたいに喋りたいんですか?」


 と、いきなり本質を聞いてきた。


「ん……」


 とは言え、隠すようなことでもない。お茶を飲みながら、麗は頷く。


エルナはエルナ、可愛いしめごいしなああなりたいなって思ってるあんだごどなりてぇっておもってらけどでも難しいねだどもむずかしな

「わかります。可愛いですよねエルナ」


 力強く同意してくる静乃。


「でもそうですね。今のままじゃ、藤崎さんはエルナみたくはなれません」

なんでなして?」


 別に、優しい言葉をかけられたかったわけではない。が、静乃のその物言いには少しムッとする気持ちがあり、麗は聞き返した。すると、静乃は見透かすかのような目で麗を見てから、こう続ける。


「藤崎さん、自分のこと好きじゃないでしょ?」

「………」

「別にそんな変なことじゃありません。たぶん班のメンバーだとロコさんもそういうタイプかな」

静乃すずの?」

「私も昔はそうでした」


 そう言って静乃はそっと、小さな機械をテーブルに置く。


 静乃が2階から持ってきたのは、小さな機械だった。スマホをさらに小型にしたようなもので、優先式のイヤホンがついている。麗はしばらく首を傾げていたが、「あ」と声をあげてから静乃を見る。


「……MP3プレイヤーえむぴーすりーぷれやー?」

「え、なんですかその反応」

実物初めて見たほんものはじめてみったじゃ

「うそぉ!?」


 麗が物心つき始めた頃は日本でもスマホが流行り始めた時期で、ちょうどMP3プレイヤーがその役割を失い始めていた。彼女がプログラムやガジェットに興味を持つ頃には市場から姿を消しかけていて、結局実物を目にする機会がないままこの年までやってきた。静乃はショックを受けて頭を抱えている。


「……これはこいは?」

「ま、まぁどうぞ。聞いてみてください」

「……?」


 麗は訝しがりながらもイヤホンを耳につけて、再生ボタンを押した。。


『ど、どうも……こんにちはぁ……。し、しろみや、ゆきのです……』


 聞こえてきたのは、静乃の声だ。聞き覚えのない名前を名乗っている。顔をあげて静乃を見ると、彼女は苦笑いを浮かべている。


「ひどいもんでしょ。この頃の声ですからね」


 そう言って、静乃は自身の運転免許証をテーブルの上に置く。以前も見た通り、メガネをかけた陰気な女性が写っている。


「あ、白宮雪乃は3つあった名前の候補のひとつです」


 静乃改め白宮雪乃の声は、無理して抑揚をつけて喋ろうとしており、確かになかなか……聞くに堪えないものがあった。


「当時は、本当に自分のことがイヤでした。図体が大きくて愛嬌もなくて。高校中退したのはいじめられてたからですけど、私は顔も覚えてないようないじめっ子たちより、いじめられてた私の方がずっとずっと嫌いでしたね」


 さらりと語る静乃。麗は、暁人の言葉を思い出していた。『ノセさんが話したい時に聞けばいいんじゃない?』まさに今は、静乃が自分の過去を『話したい』時なのかもしれない。麗は、黙って静乃の言葉を聞いている。


「だから変わりたかった。誰からも愛されるような人気者。小さくて可愛い女の子に。でも、無理だったなー。一ノ瀬静乃はどんなに頑張っても、そうはなれなかったんです」

でもだども今の静乃は可愛いよいまのすずのめごいじゃ

「内面から溢れ出るやつですよね? うん。私も前よりは嫌いじゃないです。嫉妬深いし情けないけど、良いところもあると思ってます」


 そう言って、静乃はどこか遠くを見るような目をした。


 きっと、麗には想像もつかないような長い葛藤を経て、今の彼女に辿り着いたのだろうと感じさせる。

 言いたいことはわかる。だから自分を好きになるように努めようという話だ。自分を変える一歩はそこからだというのなら、まぁ、そうなのかもしれない。


 でも、言われて簡単にできるものじゃないな、とも思う。


 真剣に考え込んでいる麗を見て、静乃はくすりと笑った。


「浅倉くんにも言われましたけど、藤崎さんってエルナにちょっと似てますよね」

そうかなそったもんだが……。見た目だけでしょそとっつらだけだべ?」

「そこが大事なんですよ。白羽エルナは私の理想の姿ですから」


 そう言われて、ようやく理解する。


「私は、なりたかったんです」


 そう言って彼女は、テーブルの上に置かれた白羽エルナのアクリルスタンドをつついている。


 麗にとって静乃が「理想の姿」であるように、静乃にとっても麗は「理想の姿」に近い存在なのだ。互いに自分にはないものに「可愛い」の定義を求めて、手に入らないものに手を伸ばしている。

 静乃は、そんな自分のことを認めて、麗より一歩だけ先に進んでいる。ただそれだけなのだ。


静乃みたいになりたいなすずのみてになりてじゃな


 麗がぼそっと呟いた一言は、これまでとは違う意味を宿している。


「大丈夫ですよ。がんばりましょう」


 そう言って、大きな手が小さな手に重なる。

 これまで、通話越しのボイトレで何度も聞いてきた彼女の言葉が、やけに心強かった。

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