第6話
次に目が覚めた時、菊子は病室のベッドの上にいた。
首を回すとそばに折妃目がいて、「起きた?」と聞かれたので「おはよう」と返事をした。
菊子が気を失ってから半日が経っていた。折妃目が気を回してくれたようで病室は個室だった。問診や検査でその日は慌ただしく過ごし、次の日の内に見舞い客が二人来た。一人は仰々しいフルーツ盛りを携えた綱倉だ。
「ごきげんよう。シトリさん」
折妃目はこれ見よがしに低音で彼を迎え入れた。綱倉は苦笑だけで受け流す。
「どうも、緋星さん。調子はどうだい」
「よく分かりませんが、傷口がくっつき始めている気がします」
「それは重畳。じゃあ報告でもしようか」
綱倉はパイプ椅子に座り、ナースステーションで借りてきたナイフでリンゴを器用に剥き始めた。
報告。菊子が気を失ったあとの事の顛末。
教授と警備員らは速やかに逮捕された。怪我をしたのは菊子だけで、縛られていた館長もすぐに解放され、譜歌も折妃目も無事だった。
騒動のあと、綱倉が気を利かせて館長の許可を得て金の卵は譜歌に返してくれたそうだった。
「折妃目さん、キンちゃんさんを賀長さんに返してあげたんだね」
「うん。綺麗な金色だったわ。見れたから満足なの」
「そっか」
「ちなみに、あの場にいた警備員は教授に直接雇われた連中で、博物館は無実だよ。まぁ順を追って行こうか」
教授は真夜中の博物館を隠れ蓑にして、違法に収集された研究資材の取引をしていた。増えた警備員は全て教授の手の者で、取引に応じる者が紛れていたり、見張りとして仕事をする者もいた。いずれも本来は犯罪に関わりのない一般社会の人間で、その中に菊子が人脈を以って特定した警備員も含まれていた。彼は現在、警察に協力したことにより保護を受けている。
そこで譜歌が金の卵を持っていることが判明する。曲がりなりにも研究者である教授は金の卵の価値に気付き、人を雇ってついに譜歌から金の卵を奪う算段をつけた。
彼は保管方法の相談を受けたことにかこつけて、譜歌に金の卵を家の指定位置に置かせた。そして名と顔を隠して空き巣犯を雇い、盗ませたのだった。
「昨日……ではなくもう一昨日ですね。綱倉さんはどうしてあの時博物館に?」
「あの時点で首謀者が分かっていたから。明確な証拠を押さえるために部下に教授を尾行させていたんだけど、証拠というより犯行現場を押さえることになるとはね。本当は教授が博物館から出てくるのを待ってたんだけど、警備員が集団でぞろぞろ急に入って行くのを見たと報告を受けて、中まで押し入ることにしたんだよ」
菊子はふと言い損ねていたことに思い至って、「助けてくださってありがとうございました」とお礼を告げた。綱倉はどこか寂しげにリンゴを差し出してくる。赤い耳が綺麗なうさぎリンゴだ。
「もう少し信用してもらえるよう努力するよ。緋星さんが危うい取引に乗り出さなくても良いようにね」
「すみません。焦ってしまって。やはり私が特殊なことをするのは向かないですね」
「君は十分特殊なことをしていると思うけどね……」
綱倉はその後、折妃目にせがまれてフルーツ盛りの中身を一通り華麗にカットして病室を去っていった。
二人目の見舞い客は譜歌だった。綱倉と同じように見舞いの品が入っているのか、やたらに大きなリュックを背負っていた。菊子の顔を見るなり嬉しそうに笑う。
「折妃目さまが連絡くださったんです。目が覚めて良かった」
「ご心配おかけしました」
「いえ!むしろわたしのせいって言うか……守ってくださってありがとうございました!」
深々とお辞儀する。夜が明けたあとの譜歌は晴れやかで、こちらが本来の彼女なのだろう。
菊子は生唾を飲み込んだ。譜歌に悟られないよう深呼吸をする。
「……賀長さん。キンちゃんさんは返却されたんですよね」
綱倉が確かに言った。金の卵は返したと。
菊子にしてみれば、金の卵の奪還など前段階に過ぎない。本番はここからだ。譜歌から金の卵をいただき、折妃目の所望するプリンを作ることが最終目標なのだから。
ついぞ譜歌を説得する材料を見つけることは叶わなかったが、折妃目のためと言えば協力に応じてくれる可能性も残っている。
「そうなんです。見てください!」
譜歌はやけに高い声でリュックを開いた。
出てきたのは四角い籠だった。少し遅れて動物用のゲージだと気づく。そしてその中央に、ふわふわとした塊があった。
「生まれました!」
傍らの折妃目が「かわいいわね」と覗き込む。
塊は生き物だった。鳥だ。病室のダウンライトに照らされた金の羽毛が薄明るく煌めいている。
「卵の殻も金色で、羽も金色なんてびっくりですよね」
「……キンちゃんさんですか?」
「キンちゃんです!」
金色の鳥は菊子を見てピィと鳴いた。
菊子が懇々と眠り、検査で慌ただしくしていた頃、鳥は譜歌の部屋で卵を破って出てきた。結局、金の卵は有精卵だったのだ。盗まれ、好奇の目に晒され、殻が壊れなかったのも不思議な大冒険を果たした卵は、無事に誕生したというわけだった。
「本当はお家でじっとさせるべきなんですけど、生まれてからすぐ動き回ってすっごく元気なんです。図鑑や論文にも見当たらないし、やっぱり普通の鳥じゃないのかも」
「……」
「わたし、頑張ってこの子を育てます!それで、いつか仲間を見つけてあげたいんです!」
情熱に燃えた若人の姿勢に、菊子は餞のような言葉を絞り出そうと眉根を寄せた。
「そう、ですね。応援しています。良かったら、知人に生物研究者が何人かいますから、紹介しましょうか。鳥を専門に調査している人もいますし」
「えっ、良いんですか?すごく嬉しいです!わたし一人じゃ不安だったので……」
「信用出来る相手なので安心してください。ところで、あの……ちなみに……卵って……」
「卵?キンちゃんが産むかどうかってことですか?」
弱々しく頷くと、譜歌は顎に手を当てて考えこむ。
「どうでしょう……鳥の雌雄の判別方法って種族ごとで結構違うんですけど、キンちゃんしかいない状態でオスかメスかは今は断言できないですね……。個人的に、派手な色をしているのでオスの可能性が高いと思ってます!」
「そうですか……ありがとうございます」
知人数名の連絡先を譜歌に教えると、また改めてお礼に来ると言って、病室を後にした。足取りは羽でも生えたような軽やかさだった。
病室には折妃目と菊子だけが残された。菊子の消沈した様子に気づかず、折妃目は綱倉の置き土産に舌鼓を打っている。
「ごめんね、折妃目さん……」
「どうしたの、菊子。また死にそうになってるわ」
「死にそう……いや、プリン作れなくなっちゃった」
金の卵は孵り、鳥になった。同族も見つかっていない新種と思しき金の鳥が卵を産む可能性は低く、この先手に入るか分からない。
菊子は過去一度として折妃目の"お願い"を叶えなかったことは無い。彼女のお願いを叶えることは、平凡な菊子の唯一の矜持だった。初めての挫折がプリンとは、思いも寄らぬことだった。
「肩が治ってからで良いわよ」
折妃目の慰めすら、今は傷に響く。──ん?
「いや、肩治ってもプリンは作れない、よね?」
「そうなの?」
「だって金の卵はもう無いんだよ」
「菊子、譜歌ちゃんの卵でプリン作ろうとしてたの?やるのね」
「折妃目さんが──……」
言ったんでしょ、と言おうとして、菊子はやめた。話の食い違いに違和を覚えて記憶を遡った。
彼女は言った。『プリンが食べたいの。作ってくれる?』
彼女は言った。『この金の卵が欲しいの。取ってきてくれる?』
そして彼女は言わなかった。『この金の卵でプリンを作ってほしいの』とは。
「……折妃目さんって、何で金の卵が欲しかったんだっけ」
「きらきらして綺麗に見えたから、欲しくなったの」
「賀長さんのためじゃないんだ……」
「譜歌ちゃんも可哀想だったけど、二の次」
「建前ですらないんだね」
しかしそれも『一度見たら満足』として譜歌に渡した。菊子が預かり知らぬ間に、すでに"お願い"は終わっていたのだ。
「卵を見たらね、プリンが食べたくなったの」
菊子は突如現れた光明に打ち震え、右腕を高く突き上げたくなった。だが肩を負傷し、医師には安静にするよう強く言われて、この状態ではガッツポーズはおろか、そう。プリンを作ることさえ出来ない。
「……折妃目さん、肩が治ったらプリン作るね」
「うん。待ってるわ」
そうして後日退院し、肩が完治した頃。菊子はプリンを作った。
折妃目に眺められながら、砂糖を溶かし、卵を割って、牛乳をあたため、溶かして冷やして丹精を込めた。
平均的な菊子のプリンを、折妃目は「とびきり美味しいわ」と言った。菊子も食べてみたが、どうも普通の美味しさにしか感じられなかった。けれども折妃目が良しとしたのであれば、菊子もまた良しとする。
四つ作ったプリンの内三つをすっかり平らげて、折妃目は頬杖をつき、こちらを見上げる。その微笑に覚えがあって、菊子は冷や汗を浮かべた。
「──ねぇ」
文字にしてたった二文字。口にしてほとんど一音。彼女がそれを言えば、菊子の仕事は始まってしまう。
菊子はその先に何を言われるのか分かって、天を仰いだ。
お願い、菊子。 奈保坂恵 @Na0zaka_K10
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます