最終章 マーガレット・ラストサマー

#最終話 マーガレット・ラストサマー

 杉沢 昇。旧姓、坂下 昇は幼い頃から父親に暴力を振るわれていた。母親に救いを求めても、素知らぬふりをされる日々。兄弟もおらず、家での話し相手は産まれた頃からある一体の人形だけだった。


 思春期を迎える頃、未だに続く父親からの暴力に耐えながら人形に寄り添い泣いていると、不思議な感覚に襲われる。初めは自分の記憶を俯瞰して見ているような感覚だった。

 次第にそれは、人形に触れている時だけ起こるものだと認識する。そしてその日も暴力を振るわれ、中々消えない痛みを抱えながら人形に寄り添っていた。意味もなく毎日振るわれる暴力の記憶を消せればいいのにと思った瞬間、人形にそれが吸い込まれていくのが分かった。

 少しだけ心が軽くなった感覚を覚えると、辛い記憶をもう一つ、またもう一つと人形に預けた。


 そして昇は驚いた。独りでに動き出した人形が父と母に向かって行き、その小さな体からは想像できない強い力で、鈍い音を何度も何度も部屋中に響かせた。

 音が止むと人形は今まで通り、動かぬただの人形に戻っており、そこには痛みにうずくまる両親の姿があった。

 父親が息も絶え絶え警察に電話をしているのが聞こえるが、昇はその時、味わった事のない高揚感に包まれていた。これは自分に与えられた特別な力なのだと。


 そして、昇の全身に残るアザの原因も調べられないまま、加害者として少年院へ放り込まれた。そんな大人達に昇は失望した。

 少年院を出ると、人形をどこからか盗んでは、人目の付かないところで生き人形の研究を繰り返す。そのうちに、記憶の改ざんや人形の操作も出来るようになった。


 幼い頃から味わった暴力と社会の理不尽さ。昇の心を歪ませるには十分過ぎる程だった。ある日、人形を使って民家に侵入すると、台所の包丁を手に取り、そこに住む一家を惨殺する。

 人形の記憶だけを回収すると、それを味わう。昇はあの時以上の高揚感に包まれた。特に、幸せな家庭を一瞬で壊す快楽に病みつきになった。


 欲求を満たすため凶行を続けていた頃、その日もある家庭に侵入しようとしていた。山納と書かれた表札を見ると、開いている窓を探す。

 人形を使い父と息子を立て続けに殺していると、その姿をその家の母親と幼い姉弟に目撃される。三人がどこかに隠れると、一体の人形が目の前に現れ応戦してきた。自分以外、人形に命を与えられる者がいる事に昇は困惑しながら、何とかその人形をねじ伏せた。

 更に人形を操作し、ガス管に繋がるチューブを切断し、電気オーブンのタイマーを捻る。昇の人形は家から出ると昇の肩に飛び乗り、爆発の起きる家から人が出てこないか物陰で様子を窺っていた。

 そこに一体の人形が、子供達を引きずり出しているのが見えた。続いて母親も飛び出してくる。それを見た昇は、再び人形を放つ。子供の命乞いをする母親の首を刃物で掻き切ると、二人の子供にもトドメを刺そうとするが、母親の顔が何故か気になった。

 人形を操る能力といい顔立ちといい、昇はその時、直感的に何か繋がりを感じた。何か取り返しのつかない事をした、そんな感覚は今まで一度も感じた事は無かったはずだった。

 消えゆく命を眺めているとサイレンが近づいてくるのが分かった。幼い姉弟を助けた人形の記憶を見ると、咄嗟に内容を書き替えてその場を去る。ここからあらゆる意味で誤算が生じたのだった。


 山納家での犯行後から拭えない、あの感覚を確かめるため、自分が生まれた病院跡を訪れる。殊の外当時の資料が残っていて、自分が生まれた年の看護日誌を見つける。

 その中の一部に、他の看護師に仕事を引き継ぐ際、ミスをしたかもしれないという内容の走り書きがあった。それに対する返答も書かれており、「あの母親はまだ子供の顔を見てないし、もう片方は子供に関心が薄そうだから大丈夫。大事にしたくなければ黙っておくように。」そう書かれていた。

 昇はカルテを漁ると、自分が母だと信じる坂下麻美のカルテと、最後に殺した山納家のあの母親、星与のカルテが隣同士である事に気づく。中身を見ると生まれた子供のベッドも隣同士だったらしい。


 それ以来、昇は普通の幸せを求めるように努めた。美容師になり、家庭を作り、周囲にも馴染むように努めたのだった。

 だがある日、定期で訪れる介護施設で、何処か見覚えのある作風の人形を目にする。それを調べると、記憶が入っていた。それは山納家で殺した長男の姿だった。どこからバレるか分からない。そう感じた昇は、思わず記憶を書き換えた。

 そしてまたある日、再び訪れた介護施設の来客者記名欄に山納の文字を見かける。面影こそ分からないが、すれ違った瞬間、あの時に生き残った姉弟だと確信した。


 次いで起こった誤算が、模倣犯紛いの事件が起きた事だった。竹田という犯人が自分の事件の格を下げた事、そして再び、人形殺人が関心を高められた事が許せなかった。自らの力で手に入れた平穏を脅かす者は許せない。

 だがこの時、あの刑事とあの姉弟が深く結びついていることを知っていれば、自制したはずだった。しかし、幸せとは何と脆いものだろう。沢山の幸せを壊してきた自身が、仮初の幸せを手にし、自分が脆く儚い存在になっていた事に気づけなかった。


 「産まれた時、取り違えられなければ、俺は当たり前の幸せの中で、生きられたのかもしれない」




 たった今見た、杉沢 昇の記憶を樹は真琴にそのまま伝えた。

 「そんな事って・・・・」

 「あの男が実の兄だったなんて・・・・。僕達はどうすればよかったんだ!」

 「樹さん・・・・。あの男に同情するつもりはありませんが、実の兄弟だった故に、彼には憎かった事もあったのでしょう。樹さんと舞果さんが、平穏の中で暮らす姿が妬ましかったのかもしれません。しかし、平穏を壊したのはあの男自身の行いです。お二人の判断は正しかった。ただ、私があんな場所さえ選ばなければ、舞果さんは・・・・。それに最後まで、あの男の狡猾さを見抜けなかった私に責任があります」

 「ですから、そう自分を責めるのはやめてください。怪我までして、真琴さんばかりに体を張らせてしまい、情けないですよ」

 「このくらい大したことないのです。明日もまた川で人形探してみますね。手伝ってくれそうな後輩にも、何か理由付けて声かけてみます」


 暫くして真琴が帰って行くと、その日のうちに樹はそれらを焼却した。


 その後、来る日も来る日も樹たちは、舞果の記憶が入った人形を探し続けたが見つからなかった。言葉すら忘れてしまった舞果を、樹は真琴の助けもあって献身的に支え続けた。




 それからある日。樹と真琴は、僅かに意思疎通の取れてきた舞果と共に、数時間車を走らせたところの海へ訪れていた。

 もう人形は見つからないと半ばあきらめかけ、舞果を新しい記憶で満たせば回復するかもしれないという二人の考えだった。


 砂浜を臨む小高い丘の上で、暑さも落ち着いた夏の海を、車椅子に乗った舞果に見せていた。虚ろな舞果は、これといって反応を示すことはない。

 ふと、車椅子を押す樹の足が止まる。

 「真琴さん、ちょっと姉さんを見ていてもらえます?」


 樹はそう言うと、海の方へ向かって砂浜を駆けて行く。そして遠くで何かを拾った仕草を見せると、その場で暫く立ち止まっている。振り向いてゆっくり戻ってくる樹の手には、何か歪な形の物が握られていた。遠くから見守っていた真琴からは、それが何だか分からなかった。

 だが、徐々に近づいてくる樹がその手に持っている物が何か分かると、真琴は両手で口を覆い、その目からは涙が零れていた。


 どれくらいかはわからない、海岸で波や風雨に曝されていたのだろう。樹脂は劣化し、両足と左腕の取れた人形。残った髪には季節外れのマーガレットが一輪、ドライフラワーとなって絡みついていた。

 「舞果さんの・・・・!舞果さんの記憶が見つかったんですね!」

 樹も涙を指で拭いながら、笑顔で真琴に向かって頷く。

 「戻るまでに涙を止めようとしたんですけど、駄目ですね。こんな奇跡みたいな事、あるんですね」

 「双子だから引き寄せ合ったのではないですか?早く舞果さんに記憶を戻しましょう」


 樹は舞果の乗る車いすの前にしゃがむと、人形と舞果の両方の頭に手を当て意識を集中した。その様子を真琴は息を呑んで見守った。


 「樹?真琴さん?」


 舞果の自分たちの名を呼ぶ声に、二人は思わず舞果を抱きしめた。舞果はいまいち状況を理解出来ずに戸惑う。

 「ちょっと、苦しいわよ。それに思うように体が動かないのだけれど・・・・。そうだ、私、あの時意識を失って・・・・。あいつは?あの男はどうなったの!?」

 舞果の目を見て樹は話す。

 「全部終わったよ。一年前にね」

 「一年前?」

 「うん、一年前だよ」

 「そう・・・、通りで体が。迷惑を、かけたわね」

 その言葉に首を横に振る樹と真琴。

 「おかえり、姉さん」

 「おかえりなさい、舞果さん」

 舞果は涙目で自分の事を見る二人の視線に気恥ずかしくなるが、ほくそ笑んでみせた。

 「まだなんだかよく分からないのだけれど・・・・、だたいま。それで、あの後どうなったか、教えてもらえるかしら」



 樹は舞果に人形殺人の真実や一年間の出来事を聞かせた。

 「そう、実の兄さんだったとはね・・・・。それは辛い役目を、樹一人に背負わせてしまったわね」

 「いいんだ、僕は後悔してないよ」

 「そう・・・・。早いところ人形作りも再開したいわね。ところで私が居るとはいえ、あなたたち二人は休日に海にまで来るような仲なんだもの、もちろん進展あったのでしょうね?」

 真琴は頬を赤くし、海の方を見て舞果から目を逸らす。あたふたする樹は、

 「え、いや、ほら、姉さんもこんな状態だったし?何て言うか」

 「一年も親密にしててまだ何も進展してなかったの!?呆れたわ・・・。じゃ、私が見届け人になってあげる」

 「何だよ、見届け人って・・・・」

 「ほら、ずっと待ってる人が居るわよ」


 そうして、樹の不器用な愛の言葉と真琴の恥じらう笑顔が、今年の夏の終わりを締めくくる。そこには嬉しそうな舞果の眼差しもあったのだった。



 乾いた一輪のマーガレットが、自分の膝の上に乗っていた事に舞果は気付く。それを手に取ると空へと掲げた。



 「“秘めた愛”。それと、“私を忘れないで”。・・・・・昔、母さんが教えてくれた花言葉ね」



 風に散った花弁が、次の季節へと運ばれてゆく。






    マーガレット・ラストサマー ~ある人形作家の記憶~    完

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マーガレット・ラストサマー ~ある人形作家の記憶~ とちのとき @Tochinotoki

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