第27話 エピローグ

 暑い。ここはなんて暑いのだろう。廊下に立っているだけでじんわりと汗が肌に浮かび上がる。


 思えばこの暑さだけは手を加えても良かったのかもしれない。そう思って顔を小さく振るう。


 いいや、やはりだめだ。世界そのものに変更を加えるなんてなにが起きるか分かったものじゃない。


 それこそ一気に崩れてしまう可能性がある。だから、うん。これは仕方がない。蒸すような夏の暑さを受け入れるしかない。


 私は学校の廊下を歩きながら窓の外を見る。


 青い空に浮かぶ大きな雲。その下にはいくつものビルが並び都会の景色が広がっている。


 ヒートアイランド現象だろうか、見ているだけで暑くなる光景が広がる。


 これが新しい世界。元の世界。私は、ここに帰ってきたんだ。私が手を加える前の世界に。


 すべてをリセットした。あの島は今でも無人島のままだろう。あそこにあった出来事は過去にも存在しない。


 あるのは私の思い出の中だけ。だからここは新しく、昔からある世界。私が逃げ出した世界。


 島での生活に慣れていた私からすれば知らない世界に放り込まれたようだ。現実感が少し希薄に感じる。


 私は、本当にここにいるのだろうか。ここで生きていくなんて未だに信じられない。


「どうかした?」


 感慨に耽っていると先頭を歩く女性に声を掛けられた。


 担任教師である秋山先生。眼鏡をかけ黒い髪をポニーテールでまとめた女性は私を見ると微笑んだ。


「緊張しなくても大丈夫よ、最初はみんなそうだから」

「は、はい」


 優しい笑みで不安を宥めてくれる。気持ちは嬉しいけれど私の心はさらに萎縮し固まってしまう。


 今日は転校初日。私はこれから自身が所属する教室に入ることになる。これからを過ごす場所であり、これからを一緒に過ごす人たちがいる。


 胸が、ちょっと苦しい。締め付けられるよう。


 まるで死刑台に上っていくような憂鬱な中秋山先生が立ち止まった。それで到着したことを察する。


 見上げれば、そこには二年二組の札がつり下がっていた。私の教室だ。


 ついに来てしまった。この場所に。


「それじゃあ私と一緒に入ってきてくれる?」


 頷き私は秋山先生と一緒に入室した。


「こらー、ホームルーム始めるわよ~」


 秋山先生の掛け声にがやがやとしていた話し声は静まりみなが席に戻っていく。その中で転校生がいることにひそひそと話し声が囁かれている。


 私は足元からクラスメイトとなるみなへ視線を向けるがすぐに戻してしまう。


 駄目だ、みんなが私を見ている。四十近い視線が集中してまともに見られない。


「それじゃあホームルームの前にみんなにお知らせよ。今日から新しいクラスメイトが加わることになりました」


 秋山先生は黒板に名前を書いていく。


「それじゃあ、自己紹介してくれる?」


 先生に促され、私は教壇の前に立つ。


 どうしよう、胸が重い。変に思われたくないのに普通に出来ない。両手を合わせてそれを見つめてる。


 苦しい。重い。なかなか言葉が出てこない。


 でも、このままじゃ駄目だ。言わなくちゃ。前に進まなくちゃ。いけ、言うんだ。


 言え、私!


「あ、あ、あの」


 言葉が、重い。舌で鉛を動かすかのよう。


 だけど。


「私の、名前は椎名亜紀といいます」


 声が裏返りそう。喋るのが不自由に感じる。外国語でも喋っている気分。下手くそだ。でも。


「その」


 私は、逃げたら駄目だ。もう、あんな思いはしたくない。あんなことになるくらいなら。


 ここで、勇気を出すんだ。


 誰も不幸にしたくない。


 誰も傷つけたくない。


 それならここで、私が傷つく方がマシだから!


「私と、友達になってください。お願いします……!」


 下を向いている顔をさらに下げクラスメイトにお願いする。


 なんて言えばいいか分からない。私ではこれ以上うまい言葉は浮かばない。思いをただ表しただけの安直な言葉。


 たとえ駄目でもいい、変に思われてもいい。それが私の責任だから。


 これが、私の精一杯だ。


 そんな時だった。


 教室中に大声が響き渡った。


「はいはーい! 私椎名さんのお友達に立候補しまーす!」


 驚いて顔を上げてみる。


「――――」


 その人を見た時、私は息をするのも忘れていた。


「私は桃川早百合! よろしくね!」


 元気な声と明るい笑顔。まるで太陽のような人がそこにいた。


 感情が胸に押し寄せる。胸が、苦しいくらいに。


「それでね、私の隣にいるのが深田真冬ちゃん!」

「ちょっと早百合さん」


 隣人に突然紹介されて黒い髪の女性、深田さんが戸惑っている。女性の私から見ても綺麗な人で、その両手にはなにも着けていない。


「あの、深田です。よろしくお願いしますね」


 恥ずかしがりながら、それでも笑顔を向けてくれた。


「それでね、あそこにいるのが上代京香ちゃん!」

「はあ!? なんで私まで言ってるんですか?」


 早百合ちゃんは席を立って離れた席にいる上代さんを指さす。不意打ちの紹介に驚きつつも私に向き直る。


「えっと、上代です。よろしくお願いします」


 赤い表紙の本で口元を隠し、遠慮がちに言ってくれた。


 三人とも目の前にいる。元気な姿で、無事なまま。


「…………」


 それでいて、友達になってくれると、そう言ってくれた。


「もう、突然変なこと言うから困ってるじゃないですか」

「ええ!? 私駄目だった? ごめんね椎名さん、私迷惑だったかなぁ?」


 そうか、こんなにも簡単なことだったんだ。


 目尻に浮かぶ涙を拭く。


「ううん。そんなことない。ありがとう、すごく嬉しい、です」


 笑顔が漏れる。幸せな気持ちで一杯だ。


 それから私は早百合ちゃんたちと友達になっていろいろ話をしていった。


 早百合ちゃんが率先してお喋りしてくれて上代さんが突っ込んで、深田さんが和やかにしてくれる。以前あった光景に私はいる。


 私が逃げ出した世界に、私の望んだ世界はあったんだ。


 学校の帰り道、夕焼けの空が広がり私たちは河川敷の土手を歩いている。


 早百合ちゃんがこれからカラオケに行こうと言い出し私の歓迎会を兼ねて今向かっているとこだ。


「なにかお菓子買っていこうか?」

「それならポッキーなんてどうですか? やはり椎名さんをお迎えするに当たって最高のお菓子を用意すべきです」

「なに言ってるんですか、それならきのこの里ですよ」

「違うよ、最高のお菓子と言ったらコアラのマーチだよ!」

「あの、私はどれでもいいから」

「どれでもじゃ駄目だよ!」

「どれでもはよくないです!」

「どれでもいいわけないじゃないですか」

「ええええ!?」


 私はどれでもいいんだけどなぁ。


 三人は私の先頭を歩きそれぞれのお菓子で激しく言い合っている。すごい熱量だ、会話に入りたくても全然入れない。


 ピコン。そこでスマホに着信があり立ち止まる。ポケットから取り出し確認すると一件のメールが着信していた。


 誰からだろう、知らないアドレスからだ。迷惑メールだろうか? そう思いながら開けてみる。


「…………」

「椎名ちゃーん! どうしたの?」

「あ、ごめんなさい。すぐ行きます!」


 急いでスマホをしまい先を歩く三人に合流する。私を待っててくれる三人の横に並び、私は笑顔で加わった。


 勇気があれば世界は変えられる。神様の真似事なんてしなくても。時には苦しい時や辛い時もあるけれど。それでも生きていくんだ。


 この、優しい世界で。


 一件の着信メールあり。

 差出人・不明。

 件名・なし。

 本文。


『よお。傷は癒えたかよ?』

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