第26話 止まない雨なんてない

 そう言って椎名はまたも泣き出した。努力は報われるとは限らない。誰しもが救われるとは限らない。その不条理さに、無情さに、俺への境遇に。


 善意なんて関係ない。ただ存在そのものが悪いやつもこの世界にはいるってことだ。


 それはなんて悲劇だろう。そのことに椎名は泣いてくれた。涙を流すほどに悲しんでくれた。そんな反応に心が洗われていく。


 ありがとう。すげー嬉しいよ。お前のこと、なんか好きになったわ。


「鏡君の頑張りは、全部無駄だったの?」

「いいや。無駄じゃないさ」


 俺はいていい存在じゃない。だけど頑張りが無駄だとは思わない。


「結果的に俺は失敗したよ。手痛い失敗をな。でもな、行動したからこそ分かったことがある」

「……それは?」


 自分は生まれてきてはいけなかった、そう言う男がなにを分かったのか。この行動にどんな意味があったのか。


 失敗ばかりだったけど、これだけは自信を持って言える。


「この世界は優しさに満ちてるってことさ」


 それを、知ったんだ。


「傷を負ってさ、閉じ籠っててもさ、相手を思いやれる。傷つきたくない、傷つけたくない、そんなジレンマを抱えて生きている。それって相手を思いやってるからだろ? 傷持ちでも優しくしたい、本当は仲良くなりたいって、みんなそうだった。本当だ、みんなそうだったんだよ!」


 俺は知っている。ああ、そうさ、俺は知ってるんだ。あいつらはみんないいやつだって。早百合も深田も、上代だって。本当はみんないいやつなんだ。


 あいつらと友達になれて、俺は幸せだった。


 だから。


「俺は、そんな世界を救いたい」


 だから、決めたんだ。


「俺が、この世界から消えても」


 自分の肯定。世界の存在。それを両立させたいという俺の願いは残念ながら叶わなかった。だけど今は別の願いがある。


「だから、お前にお願いするんだ。この世界の神様にさ」


 俺に出来ることはしょせん壊すことだけだ。悪魔だからな、それ以外できない。でもお前は違う。


「世界を、元に戻してくれ」


 俺の願いを神様に言い届ける。託すべき相手がこんな少女というのも頼りないんだけどさ、これは彼女が始めたことだ。


 俺は歩き、彼女に近づいた。


「でも、そんなことしたら」

「そんなに怖いか、現実が。神様みたいな力を得たっていうのにさ、だから世界で一番臆病なんだよ。おまけに不器用だ」

「だって。鏡君には分からないよ」


 彼女の前で立ち止まる。彼女に、俺はなにが出来るだろう。


「友達なんて、出来たことない。みんなどうやって作ってるの? なんでそんな自然に出来るの? 私なんかが頑張って、そのせいで嫌われたら? 嫌われたくない。そんなの嫌」


 彼女は怯えていた。きっと昔から。ずっと怯えていたんだ。端から見れば小さなことでも、彼女にとってそれは竦むほどの恐怖なんだろう。


 だけど俺は知っている。傷だらけの世界だったけど、それでもそこに生きていた彼女たちと接してきたから。


「お前が思ってるよりも、この世界はずっと優しいよ」


 悪いやつばかりじゃないさ。いい人だっている。誰かの幸せを願い生きているやつだって。


「勇気を出せば、この世界は応えてくれる。世界は変えられるさ、神様の真似事なんてしなくてもな」


 友達を作る。それに、そんな大それた力なんて要らない。


「だから、お前がやるんだ」


 俺の言葉を泣きながら聞いていた椎名が、ゆっくりと顔を上げる。


「鏡君は、それでいいの?」


 世界を元に戻す。それは改変前の世界になるということだ。本来の世界。そこには傷もない。この学園もなくなってるはずだ。


 そして、


「そんなことしたら、鏡君は消えちゃうんだよ!?」


 世界の傷である、この俺も。


「ああ」


 だけど構わない。何度だって言ってやる。答えは変わらない。


「俺は頑張った。次はお前の番だろ?」


 俺は駄目だったけど、お前は違う。お前ならやり直せる。


「本当に? 本当にそれでいいの?」


 潤んだ瞳が俺を見る。


「君は、それでいいの?」


 その眼差しは、怯えとなにより俺を心配してくれていた。俺のことを気遣ってくれていた。


 お前とはいろいろあったけど。


 ありがとう。今は、お前と出会えてよかったと思ってるよ。


 俺は片膝をつき彼女と目線を合わせた。そして彼女の手を掴む。


「頼む。元に戻してくれ、この世界を。友達だろ?」

「とも、だち」

「ああ」


 頷いてやる。お前も俺の友達だ。


 頑張れよ。お前にとって現実ってやつは怖い場所かもしれないけど。俺は手伝うこともなにも出来ないけど。だけど。


 俺は、微笑んだ。


「大丈夫だ椎名、止まない雨なんてない」


 お前ならやれるって、信じてるから。


 彼女の手を両手で包む。震える小さな手を、出来るだけ優しく握りしめた。


「う、うう!」


 椎名の瞳から再び涙が溢れ、声涙となって飛び出す。


「ああああぁああぁあ!」


 号泣。彼女の流す涙が俺の心を宥めてくれる。そんな彼女を俺は心から応援していた。


「鏡君」

「ああ」

「頑張る。わたし頑張るよ」

「ああ」

「たとえ失敗しても」

「大丈夫だって」

「わたし、頑張るから!」

「おう。応援してるぜ」

「鏡君」


 彼女が俺を見る。黒の前髪から覗くその顔は涙と鼻水でひどい表情だったけど。


「ありがとう……! それと、ごめんなさい」


 感謝と謝罪。彼女は叫ぶ。


「君はいい人だよ! 悪魔は自分をいい奴だって証明できる! したんだよ、君は! 鏡君がどれだけそう思っていても、私は違う!」

「――――」


 心が、止まる。


「ありがとう。生まれてきてくれて」


 その一言で、俺の努力は本当に報われたんだ。


 ああ、そうか。ずっと言って欲しかったんだ、この一言を。そのために、俺は。


 真心の愛。誠実。別離。神のお告げ。そして、幸福――


 俺は今至上の幸福に包まれている。


 ありがとう、ありがとう。椎名。そしてみんな。


「頑張れよ」


 俺は笑って、目からは涙が零れていった。


 ああ、良かった。生まれてきて。


 次の瞬間俺たちの間で光が生まれる。それは俺たちを包み、さらには世界に広がっていく。


 傷だらけの世界を覆いこの世界にある傷を治していく。すべての傷を。


 光に包まれて、俺は感じていた。


 生まれてきてよかったと。


 世界が、治っていく。

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