第25話 悪魔の善性

「開かずの扉を開けて、早百合が俺を見つけてくれたんだ。鎖を解いて、俺を見上げて、あいつがなんて言ったか覚えてるか?」


 その時のことを思い出すと、今でも瞼の奥が熱くなる。


「私たち、きっといい友達になれるよって、そう言ってくれたんだ。下手くそな作り笑いで、俺に。友達だって……」


 生まれてきてはいけなかったんじゃないかと悩み続けていた俺を、あいつは初めて認めてくれた。


 生きていてもいいんだと、はじめて思える理由だったんだ。


「あいつ、やっぱすげーよ。お前が現実改変で隠した場所まで見つけてさ、さらに開錠までするんだぜ? あいつの傷って世界を不幸にすることに全振りかよ。まったく、あいつが俺を見つけたから世界はめちゃくちゃだぜ。ひでーやつだ。でも。俺は救われた。本当に。本当に感謝してる」


 世界が不幸になるとしても、世界が壊れるとしても。


 二人は出会った。それは二人にとって救いだった。傷を持つ者同士心を通わした。認め合えたんだ。それが、どれだけ嬉しいことか。


「それで思ったんだよ。生まれてきていけなかったやつなんていない。それを証明してみせるって」

「…………」


「俺は早百合に救われた。周りを不幸にする女にだ。そんな早百合でも生きている意味があった。価値があった。確かにあいつは危険だけど、誰にも早百合を否定させたりしない!」


 どれだけ傷らだらけでも、俺たちは生きている。


「そして、俺も否定されたくなかった。それだけだ」


 それを否定する世界なんて、こっちから否定してやる。


「それで」

「お前はこの世界じゃ神様だよ。だけど万能じゃない、研修期間中か? お前が下手くそだからあいつらには傷ができて俺が生まれた」

「そんなの分かってるよ!」


 そこで椎名が叫ぶ。その顔は泣きそうで、目には涙が溜まっていた。


「私だって好きでこんなことをしたわけじゃない。こんなことになるなんて思わなかった。私は、私はただ……!」


 そう言いながら、ついに椎名は涙を零した。


「ごめんなさいなんて言えないよ! 言えるわけがない、私のせいであなたに傷をつけましたなんて、そんなの言ったら」


 大粒の涙が流れていく。


「絶対に嫌われる。認めてなんてもらえるわけがないよ!」


 号泣だった。手で顔を覆い泣き崩れる。


 異能のジレンマ。真実は時に人を傷つける。近づきたいけど近づけない。


 ああ、そうだよな。お前の気持ちは分かるよ。お前がどうして世界を変えたのか、その理由を知っているから。


 悔恨か、それとも告解か。神が悪魔に懺悔するなんておかしな話だけど、椎名の声はそれだけ悲痛な思いに彩られていた。


「早百合ちゃんも、深田さんも、上代さんも、私のせいで。私が」


 自分の願いで彼女たちは傷つき、苦しむことになった。なんの罪も非もない彼女たちが。


 自分の願いのために死を望むほどの境遇に落とされたんだ。


 謝って済む話じゃない。けれど申し訳なく思うよな。こんなはずじゃなかったと頭を抱えたくなる。


「お前には、同情する」


 彼女の望んだこと。それで世界が終わるなんて思わない。大切な人たちを傷つけるなんて普通思わない。


 なぜこんなことになったのか。彼女はいったいなにを望んだのか。世界を壊した元凶、三人に傷を作った原初の願い。それはいったいなんだったのか。


 それが、


「友達が欲しい。そんな願いでこんなことになるんだからな」


 それはなんてささやかな望みなんだろう。


 友達が欲しい。そう思ってした世界改変でこんなことになってしまうなんて。まったくの正反対。


 こいつは加害者だけど同時に被害者でもあるんだ。


 それが椎名亜紀。不器用で、寂しがり屋の神様。


「私が悪かったと思ってる。でも、私の願いってそんなに悪いことだったの?」


 そんなことはない。彼女の願いは当たり前のものだ。


「今までずっと一人だった。誰にも見てもらえなかった。誰にも認めてもらえなかった。だから私は願ったのよ。友達が欲しいって!」


 友達が欲しい。そんな願いと表現するのもはばかるほどの、それはありきたりな思い。


 でも、それが彼女にとっての願いであって、それが彼女にとって世界のすべてだった。


「それが、そんなにも悪いことなの? そんなにいけないことだったの? こんなにも願っちゃいけないことだったの? こんな、こんなことになるなんて」


 友達が欲しい。それを実現するために世界を書き換えた。その結果がこれだ。なんて報われない。


 自業自得と言えばそれまでだが世界を巻き込むのはいき過ぎてる。


「誰かを傷つけたかったわけじゃない。ただ、私はただみんなと友達になりたいだけだった。それだけなのに……!」


 そりゃ、こんな風になるなんて思わないよな。


 椎名は泣いている。友達を不幸にさせて、世界を崩壊させて。自分の過ちに神サマはその場で項垂れ泣くことしか出来ない。


「お前、ほんと不器用だよな」


 ほんと、ダメダメな神サマだ。人付き合いが苦手なただの女の子だ。


「お前の望みは間違ってないよ。でもさ、周り見てみろよ。これが正解か?」

「そんなの分かってるってば!」


 ここにはもう俺たちしかいない。早百合も、深田も、上代も。本当は友達になりたかった人たちも。


 そのあるべき世界も全部。俺も悪いんだけど、責任は取らなくちゃならない。


「じゃあ、どうすればいいのかも分かるだろ」

「え」


 椎名が見上げる。涙で濡れた瞳が俺を見た。


「俺に出来るのは壊すことだけだ。それを否定するためにいろいろ頑張って、それで分かったことがある。悪魔の証明、その答えがさ」


 椎名が俺を見上げる。その表情を見た後俺は空を仰いだ。壊れてしまって赤く染まった空を。その後瞳を閉じる。


 ここにはもうなにもない。俺が大切にしていた人たち。俺の居場所。俺が否定したくて頑張ったすべて。


 すべて壊れて、ここにはなにも残っていない。


 早百合、深田。上代。みんな好きだった。でも、俺のせいで壊れてしまった。


 瞳を開ける。覚悟を決める。


 俺は、答えを言ったんだ。


「俺は、生まれてはいけなかったってことさ」


 その言葉を言う時、なんだろう。諦観の中にどこか吹っ切れた思いがあった。でもいい。


 ここまで世界を壊して、ようやく受け入れられたんだ。


 俺は、生まれてはいけない存在だったんだって。


「そんな」


 俺のセリフに椎名が驚いている。


「でも。鏡君はそれを否定したくてずっと頑張ってたんでしょ?」

「まあ、な」


 それはそうなんだけど、こんな世界を見せつけられたらな。


「鏡君はそれでいいの?」

「いいわけないだろ。でも、見ろよこの世界。唯一のよりどころだったコンビニすらないんだぞ」

「そんなの」

「帰り道にあったたんぽぽの群生もさ、あれけっこう気に入ってたんだよ」

「そんなのどうでもいいじゃん!」

「…………」


 怒られた。確かにふざけてる場合じゃないもんな。


「自分は生まれてはいけない存在だったって? それを認めて鏡君はどうするの?」

「…………」

「そんの救われないじゃん! 今までずっと頑張ってきて、失敗しても頑張って! みんなを幸せにしようとしてたのに」


 まるで糾弾するように彼女は俺を否定する。それでいいのかと、叩くように疑問を投げつける。その言葉を嬉しく思う。


 だけど。


「それでいいの?」


 答えは、決めたんだ。


「ああ」


 俺の存在意義。俺の生まれた理由。俺の是非。


 答えは変わらない。世界の傷はない方がいい。俺の頑張りは結果としてそれを証明した。そしてそれを受け入れたんだ。


「悲しすぎるよ、そんなの……!」

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