(番外編)アリスティーナ、愛の花咲くとき。
なんとなく夜中に目が覚めてしまったので、音を立てないようにソッとドアを開けて、水を飲みにキッチンに向かい歩きだした。
「ルディアス家にも女児が生まれたそうだ」
「まさかと思いますが珠持ちでは無いですよね?」
両親のお部屋の前を通り過ぎようとした時、声をひそめヒソヒソしゃべるのが聞こえてきた。
「まだ分からん。だが持っていたとしても王の妃となるのは我がヴェルデ家の娘アリスティーナだ」
「もちろんです。だからこそ”天珠持ち”として立派な淑女にする為に家庭教師まで雇っているんですもの」
わたくしがドア越しに聞いている事も知らずに、両親は様々な事を話しつづける。
「珠なんて所詮どれも一緒。見た事もない天珠など幻想にすぎん。ようは王に見初められれば良いだけの事だろう」
「その通りです。その点、フィランシェ家のご令嬢は珠を持ってはいないと聞いているので安心なのですけどね」
三才になったばかりの今日、わたくしの持つ珠が”天珠では無い”と知ってしまった。
「そうだな。ライバルは少ない方がいいからな」
「不都合があれば珠を奪うのも手かもしれませんね」
「あぁ。手段は選ばん」
首にかかるネックレスには、生まれた時に握っていた珠が嵌め込まれている。それをギュッと、震える両手で握りしめ両親の話を最後まで聞いた。
天珠を持っている訳ではないのに、相変わらず両親は”わたくしを磨く事”に夢中で、甘えだけではなく会話すら許されないまま、二年の月日が憂鬱に過ぎていった。
「貴女ももう五才になったのですから、今日の夜会には私と共にいらっしゃい。そしてしっかり皆さまにご挨拶するのですよ」
「そうだぞ。珠持ちとして恥じない振る舞いをしろ」
そのあとに続く言葉は聞かなくても分かる。
「お前は妃になるのだからな」
「貴女は妃になるのですからね」
屋敷は窮屈。とはいえ珠持ちであるオメガにとって外は危険でしかない。ここにいれば最低限の安全だけは確保できる。
「はい。分かっておりますわ」
だから、今は我慢するしかないと言い聞かせる。
コン! コン! コン! コン!
「旦那様、馬車の準備が整いました」
「分かった。では行こうか」
ノックと共に御者がドア越しに呼びに来ると、両親は立ち上がり楽しそうに外へ向かう。
「せっかく今日の為に仕立てたドレス、お淑やかにして汚さないようにしなさいよ」
「はい。お母様」
玄関アーチには馬車が出発を待っていた。
ヴェルデ家専属の仕立て屋が縫った、オレンジ色のドレスは細かな花の刺繍が美しい素敵なものだ。そのドレスの裾を摘んで、お父様が差し出した手を掴むとグッと馬車の中に引き上げられた。
「お父様、ありがとうございます」
「あぁ」
馬車の中でも妃としてだとか珠持ちの女性としてだとか兎に角、耳にタコが出来てしまいそうなくらい同じ言葉を繰り返される。聞いているふりをして真っ暗な車窓を眺める。明るい色合いのドレスと反比例して、わたくしの心はどんどんと沈んでいく。
ガタゴト! ガタゴト! ガタン!!
「お屋敷に到着しました」
「では行こう」
「さぁ。行きましょう。アリスティーナも早く来なさい」
「はい」
今まで見た事の無いような大きなお屋敷の前で馬車が止まり、急かされながら降りた。玄関アーチは夜にも関わらず明るいし、お屋敷の中に入ると毛足の長いグリーンの絨毯、上を見ると小さな魔法石が無数に揺れながら光を放つ。悩みや嫌な事さえ無ければ、心から感動出来たかもしれない。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
すれ違う人々に両親が挨拶を繰り返しながら、階段を上がり夜会が開かれている大ホールに向かって歩いていく。わたくしも、笑顔の仮面を貼りつけて二人の後ろに着いていく。
「久しぶりだな」
「おぉ! ヴェルデ家の久しぶりだな! その娘さんが天珠を持っているんですな」
「そんなんです。未来の妃ですのよ」
椅子に座って食事をして、両親の知り合いが来たら談笑して、それから音楽に合わせて覚えたてのダンスを見知らぬ貴族の男子と踊る。早く家に帰りたい、と思いはじめても仕方ないと思う。
「お母様、少し風に当たってきてもいいでしょうか?」
「なるべく早く戻ってきなさいよ」
「分かりました」
早く大ホールから離れたくて早足で歩く。けれど途中にある階段が少し大変で、手摺りを掴みながらゆっくり下りていき、広い玄関ホールを横切って中庭へ向かう。
「大きな噴水まであるのね」
夜の中庭には暗闇の中でも、下から魔法石で照らされた噴水が、七色の水を噴き上げ色とりどりの水飛沫が踊らせている。その周囲には三箇所、噴水を囲むようにベンチがあるのが見えた。ありがたい事に誰もいない。
「風が気持ちいい」
ベンチに座って目を閉じる。ここまで来ると大ホールのダンス音楽や人々の話し声も聞こえない。深呼吸をすると次第に気分も落ち着いてきた。
「ここで何をしてるの?」
しばらくの間ぼんやりと噴水を見ていたら、背後から声をかけられた。
そして振りかえる。
ピンク色のストレートの長い髪を風になびかせ真っ白なドレスを着た可愛らしい少女が、首を傾げてこちらを見ていた。その少女の若葉色の瞳と目が合った瞬間、わたくしは雷に撃たれた様に身体が動かなくなり同時に火傷してしまいそうなくらい熱くなった。
この子がわたくしの”運命の番”なのだと言う事を本能で分かってしまった。
「待ってて水を持ってくるの」
わたくしの異変を感じとった少女は、パタパタと走って屋敷に戻って行ってしまった。それからすぐに再び戻ってきた。両手でガラスのコップを持って慎重に歩いてくる。
「飲んで、なの」
「あ、ありがとうございます」
震える手でコップを受け取って口をつける。思ったより喉が乾いていたみたいで、冷たい水が喉に気持ちよくて一気に飲んでしまう。
「落ち着いた、の?」
「はい。大丈夫ですわ」
心配そうにしながら、わたくしの隣に座って足をブラブラさせる。
「レミィはレミアーデ・フィランシェって言うの。貴女のお名前、教えてなの」
「わたくしはアリスティーナ・ヴェルデですわ」
「アリスティーナ様よろしくなの」
「レミアーデ様、こちらこそよろしくお願いします。わたくしの事はアリスティーナと呼んで頂いてかまいませんわ」
「あのね。レミィの事もレミィって呼んで欲しいの」
「分かりましたわ。レミィ」
「ありがとうなの。アリスティーナ」
ベンチで隣同士に座って噴水を見る。おずおずとレミィが、わたくしの手を握りしめ微笑む。じんわり伝わるレミィの体温に安心感が広がっていく。
「アリスティーナ! いつまで休憩してるおつもりなんですか?」
思わず身体がビクリと震える。優しい時間は、お母様の怒鳴り声で霧散してしまった。
「すみません。今、行きます……。レミィまたお会いしましょう」
ベンチから立ち上がりレミィの手を離そうとした。けれどレミィは小柄な体からは想像できない力で、わたくしの手をしっかり握り再びベンチに座らせる。
「アリスティーナは具合が悪いみたいなの。もう少しレミィと一緒にいるの」
「レミィ? あぁ、フィランシェの娘ね。たとえフィランシェ家のレミアーデ様でも、我が一族の事に口出ししないでくださいませ。さぁ。行きますよアリスティーナ!」
レミィとは反対側の手を、お母様が爪が食い込む程の強い力で掴んで引っ張る。
パシンッ!!
軽い音が暗闇に反響した。
「レミアーデ様、何をなさるのです!」
立ち上がりお母様の手を叩いたのは、可愛いらしいイメージだったレミィ。
「アリスティーナはレミィの大切な人! 運命の番なの!」
「運命だなんて、そんなのは幻想でしょう? 珠持ちであるアリスティーナは妃する為だけに育ててきた。利用価値のあるモノを他家に渡すなんてあり得ません!」
やっぱりレミィも、わたくしを運命の番だと本能で感じていたみたい。けれど普通の人、ベータであるお母様にとっては、珠持ちはどれも同じオメガにしか見えてはいない。だから運命の番なんて信じてないし、ただの幻想だと思っている。
「まるで道具みたいにアリスティーナを支配するなら、たとえアリスティーナのママだったとしても許さないの!」
ピンク色の髪を舞い上がらせ、若葉色の瞳は怒りに赤く変化する。アルファの濃厚なフェロモンが周囲に漂う。
「バ! 化け物!!」
暴言をレミィにぶつけ後退り転んで腰を抜かすお母様は、アルファの解放したフェロモンがこんなにも強く強烈なのだと言う事を知らなかったのだろう。そして同時に、わたくしの心が決まった。
「お母様、わたくしはレミアーデ様の元へ参ります」
「そんな化け物にお前を渡すわけないでしょう!」
パシンッ!!
再び立ち上がり手を掴もうとしてきたお母様の手を、今度はわたくし自身の手で叩き落とした。
「レミアーデ様は化け物なんかじゃありませんわ! わたくしの大切な方です!」
「アリスティーナ!?」
レミアーデを悪く言われたのがショックで、自分自身でも驚いてしまう程の怒りが湧き上がってくる。
「行きましょう。レミィ」
「いいの?」
「はい。わたくしはレミィと一緒にいたいと思いますわ」
「レミィも一緒にいたいの」
呆然としているお母様を置き去りにして、レミィと手を繋いで中庭を出て行こうとした、その時。
バシーン!!
大きな音と共に頬に激しい衝撃が走り、わたくしの体は芝生の上に倒れ込んだ。レミィも反動でよろける。
「そんな事、許すはずなかろう!!」
「あなたいい所に」
「お前は王に嫁がねばならん! そうでなければ意味など無いのだからな」
「そうですよ。王の妃の親族となれば一族は安泰なのですからね」
「さぁ! 戻るぞ!」
お父様が、わたくしに手を伸ばそうとすると突然、目の前に大きな影が二人分現れた。
「ヴェルデ家の方々、もうその辺でやめておいた方がよろしいのでは?」
「貴殿は……フィランシェ家。貴方方には関係なかろう。退いて頂こう」
「いや。退かんよ。それに周りを見るがいい」
中庭の騒ぎの様子を伺おうと、遠巻きではあるけれど、いつの間にか人々が集まっていた。
「……しかし、これはヴェルデ家の問題」
「問題と言うならば、珠を封印すらしないまま娘を夜会に参加させる事が、そもそも常識では考えられないと思うが?」
「分かった。この場は引こう」
舌打ちをしながらお父様はギロリと、わたくしたちを睨んでお母様の手を引いて行ってしまった。
「まぁ。まぁ。腫れてるじゃない。少し待ってて」
女性はドレスが汚れてしまうのも気にする事なく、わたくしと目線を合わせる為に膝をつく。
「ママ、レミィが行って来るの」
「お願いね」
「はいなの」
女性からハンカチを受け取ると、レミィは屋敷の方に走っていく。
「座ったままでいいですよ。私はレミアーデの母でミラーナと申します。よろしくお願いします」
慌てて立ち上がろうとした、わたくしの手を包み込んでニコリと微笑む。
「わ、わたくしはヴェルデ家の娘、アリスティーナと申します。よろしくお願いします」
「ねぇ。貴女さえ良ければ、私たちの屋敷にいらっしゃらない?」
「いいのですか?」
「もちろんです。むしろ大歓迎いたします」
「レ、レミィも一緒にいたいの!」
ハァハァと息を切らせながら走って戻って来たレミィが、わたくしとミラーナ様の手を丸ごと両手で掴む。
「レミィもこのように言ってますし、貴方もよろしいですよね?」
「あぁ。もちろんだ。子供は大人の都合に縛りつけるものではない。めいっぱい遊び伸び伸びと過ごすべきだからな」
「そうよ。貴女は道具じゃないのです。せっかくの人生ですもの。楽しんで生きていかないといけませんからね」
こんな言葉は初めてかけられた。両親はいつも”わたくし”を見てはいなかった。両親にとってわたくしは”利用出来るモノ”でしか無かったから。頬を涙が伝う。
「あ……ありがとう……ございます。よっ、よろしく……お願い、しっします!」
しゃくりあげながら泣き出した、わたくしをミラーナ様がレミィごと、大きな温かい両腕で抱きしめ背中を優しい手付きで撫でてくれる。
「アリスティーナの、これからの人生に最上の幸福と祝福を」
ミラーナ様が、わたくしの額にキスをする。そして腫れた頬を冷たいハンカチで冷やしてくれる。
「アリスティーナに良い事がありますように!」
レミィが、わたくしの身体を抱きしめて、頭を撫でてくれる。
夜会が終わり、帰りの馬車の中レミィの隣に座り手を繋ぐ。
「わしは、レミィの父でタリアだ。これからよろしくな」
「はい。よろしくお願いします」
「それで珠の事なんだが、本来なら安全の為に封印するのだが、アリスティーナはどうしたい?」
「わたくしは、このままでいいのです。レミィのぬくもりと匂いがして幸せな気持ちになれますもの」
「そうか。そうだな。運命の番だったな。ならばレミィ、しっかりアリスティーナを守ってやるのだぞ」
「はいなの。何があってもレミィが守るの」
胸を張って自信満々なレミィの事を可愛いと思う。
「ふふふ。家族が増えて嬉しいわ」
「そうだな」
監獄のような真っ暗な屋敷から解き放たれた瞬間、わたくしの本当の人生が始まった。
「さぁ。着きましたよ」
「今日からアリスティーナのお家なの」
「少し高さのある階段があるから転ばないようにな」
「はい」
ミラーナ様に手を引かれ初めて訪れたレミィのお屋敷は、わたくしが過ごしてきたお屋敷より少し広くて部屋数も多い。
「今日はもう遅い。二人共ゆっくり休みなさい」
「そうね。湯浴みをしてから……」
「アリスティーナはレミィと寝るの!」
飛びかかるようにして、レミィがわたくしに抱きついてきた。
「ふふふ。仲良くするのですよ」
「はいなの」
メイドたちが湯浴みや着替えを手伝ってくれたり、優しく世話を焼いてくれる。なによりも皆んなが明るくて元気で居心地が良い。
湯浴みの後、レミィの天蓋付きふかふかベッドに二人で向かい合って寝ころぶ。
「アリスティーナは、大人になってもレミィと一緒にいてくれる?」
「もちろんですわ。貴女はわたくしの初恋で大切な人ですもの」
「ふふふ。レミィの初恋もアリスティーナなの」
両親からは、アルファである王様と番になって慰めるのが珠持ちオメガの役目だ、としか聞いた事がなかった。だからレミィが運命の番だと本能で分かっても、どうすれば番になれるのか今のわたくしにはまだ分からない。
「ずっと一緒の約束なの」
レミィが頬にキスをしてくれる。それだけで身体中が、じんわり温かくなって幸せな気持ちになった。
「はい。約束しますわ」
わたくしからも頬にキスをすると、ほんわりと花が咲くようにレミィは微笑んだ。
番う本当の意味を知った15才の誕生日は、わたくしにとって忘れられない日になった。
「レミィ。わたくしの主になってくださいませんか?」
「もちろんなの。でもね。レミィとアリスティーナはただの番じゃないの」
「そうですわね。運命の番ですものね」
「そうだけど違うの。レミィとアリスティーナは恋人で結婚するの」
頬をほんのり赤く染めてモジモジするレミィは、本当に可愛くて優しいわたくしの主で恋人で最も愛する人。頸に残る赤く小さな花のような噛み跡は、わたくしの大切な最上の愛の証。
天使に転生したオレは、王様に前世の頃から目をつけられていたようで、いきなり「お前の魂そのものを愛してる」と強引に婚約を決められ溺愛されることになりました うなぎ358 @taltupuriunagitilyann
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