第4話 女柏宮と一条家の菊姫

 織姫に押し負ける形で女房がおろおろと女柏宮おんなかしわのみやの部屋へ案内する。遠野が顔を強ばらせ織衣に耳打ちした。


「織姫さま、さすがに強引すぎます」

「分かっているわ。お叱りは後からいくらでも。でも、こういう堅苦しい場所はいつだって前例がないってだけで通じないもの。だったら多少強引でも前例を作るまでよ」


 ややして先を行く女房が足を止めた。几帳きちょうに隠れてこちらから奥は見えないが、女性同士の話し声が聞こえてくるので、どうやら女柏宮がこの先にいるらしい。

 女房が畏まりつつ部屋の奥に告げる。


五乃舎いつつのやの織姫さま、宮さまへご挨拶に参られました」 

「おや、騒がしいと思うたら。織姫、入りや」


 おっとりした声が織衣おりえを呼んだ。彼女は、さっと部屋の前に座ると深く頭を下げる。その時、取り次ぎの女房に「ありがとう」の言葉も忘れない。女房は、思いがけず織衣にお礼を言われ、わずかに顔をほころばせて下がっていった。

 織衣は顔を上げ、あらためて場を確認する。

 上座中央に、白地に蝶の紋様が浮き出た小袿こうちぎを羽織った女性が脇息にもたれかかり座っている。凛然とした空気をまとい、それでいて優美で柔らかな物腰には隙がない。柏野親王の息女、女柏宮おんなかしわのみや咲子その人である。

 そして左側には、若紫に菊紋様の小袿を着た目鼻立ちのはっきりとした女性がいる。まさに大輪の菊の花を思わせるのは──次乃舎つぎのやに入った一条元親もとちかの娘、千菊だ。その背後には、お付きの女房が座っている。

 織衣の姿を見るなり、千菊は冷ややかな表情を浮かべた。


「誰が強引に入って来たのかと思えば、織姫さまですか。今は私が宮さまにご挨拶申し上げております。近衛大将は武に秀で主上おかみの覚えもめでたいと聞きいておりますが、順序を守るということを娘に教えておらぬと見える」

「そうでしょうか? 割って入られたは、私の方でございます」

「はい?」


 千菊がぴくりと片眉を上げる。織衣はしたり顔で頷いた。


「私の五乃舎いつつのやは、菊姫さまの次乃舎つぎのやより遠く離れております。聞けば、菊姫さまも先ほどいらっしゃったとのこと、だとすれば私の方が先に部屋を出ております」

「そのような詭弁きべんを──。そもそも近衛大将の娘が、一条家の私と対等な扱いを受けると思っておられるか?」

「まさか。しかし、それを言うなら、」


 織衣は片ひざを立ててずいっと前に出た。


「宮さまと同じく、菊姫さまは次乃舎つぎのやで私が挨拶に来るのを大人しく待っているのが道理でございましょう。格下の者の挨拶回りを先回りして邪魔するなど姑息な真似を──、大輪の花も底が知れるというものじゃ」

「……言うたな、五つ」

「そこまでじゃ。菊姫、退きや」


 咲子の声が二人の会話をすくい取る。そして彼女は、あれこれ思案した後、静かに口を開いた。


「私の前で見苦しい言い争いはやめよ。菊姫、確かにそなたは織姫の言う通り、次乃舎で待たねばならぬ身。真っ先に私に会いに来てくれたことは嬉しいが、これでは下々の者が戸惑うのも分かる」


 千菊が、気まずい顔で目をそらす。自分の立場を諭されて、思うところはあるらしい。が、それを素直に認めるのは彼女の矜持きょうじが許さないのか、彼女は悔しそうに顔を歪めて立ち上がった。


「それでは、私は今からでも次乃舎で待ちましょう」

「ならぬ。まあ座れ」


 咲子がおっとりした声でありながらぴしゃりと言って千菊を見据える。その有無を言わせぬ強い口調に、千菊がはっと顔を強ばらせ、唇を噛みしめながら座り直した。

 それを確認してから、咲子は今度は織衣に鋭い目を向けた。


「織姫、」

「はい」

「その立て膝を収めよ。およそ妃候補の姫君とは思えない」


 背後で遠野が「姫、」と織衣をたしなめた。思い余ってのこととは言え、こちらも非礼が過ぎた。

 織衣はさっと座り直すと、再び二人に向かって頭を下げた。


「失礼いたしました」

「うむ。歯にきぬ着せぬ物言いは、好むところではあるが、もう少し自重せよ。喧嘩を売りに来た訳ではあるまい」

「はい。理不尽な挨拶の序列にを感じましたゆえ一言申し上げましたが、決して喧嘩を売りに来た訳ではありません。あらためてご挨拶申し上げたいと思います」

「ならば、もう少し待とう」

「?」


 女柏宮おんなかしわのみやの意図するところが分からず織衣は怪訝な顔を返す。しかし彼女は素知らぬ様子でゆったりと待つだけである。ややして、取り次ぎ役の女房が再び現れた。


「失礼いたします。さち姫さま、たま姫さま、ご挨拶にお見えです。その……、織姫さまもいらっしゃるのでお通しすればよろしいでしょうか」

「頼む」


 女房がするすると下がる。確かに、五乃舎いつつのやの姫を通したのであれば、三乃舎みつのやの姫も四乃舎よつのやの姫も止める理由がない。


(女柏宮さまは、これを待っていたのか)


 織衣が感心しきりに笑顔をこぼすと、咲子は満足げに頷いた。

 しばらくして、三乃舎の姫と四乃舎の姫が現れる。三乃舎の姫は紅梅柄の小袿、四乃舎の姫は山吹の小袿だ。織衣は二人に場所を譲り、自分は末席に座った。

 咲子が集まった姫君たちをゆるりと見回し、鷹揚な笑みを見せた。


「うまい具合に全員の姫が集まった。ちょうど良い機会じゃ。あらためて皆のことを教えておくれ。織姫、まずはそなたから」

「はい」


 話を振られ、織衣は両手を床につく。

 他の姫君たちが見守る中、織衣はゆっくりと口を開いた。

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東宮さまは、決して妃を選ばない。~巻き込まれ宮廷恋愛絵巻~ すなさと @eri-sunasato

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