第4話
「戻ってきたよ…って、部屋の中片付けてくれてたの?ありがとー」
「…ただいま?」
戻ってきて早々に、片付けられた部屋の中を見て子供のようにはしゃぐ男。
そして、その後ろからなんて言えばいいのかわからずよそよそしい態度で部屋へと足を踏み入れるニア。
二人はは再び練習小屋へと戻ってきた。
「いくら練習小屋だとしてもあんだけ汚いのは嫌なんです。元々もうすぐ片付けようとは思ってたので、ちょうどよかったです」
「そう?ごめんねー、ほんとありがとー」
慣れた口調で掃除用具を片付ける少女に、男もまた慣れた口調で感謝を述べていた。
ーー先生って言ってたけど、ほんとにこの人であってるのか…?騙されてるんじゃないだろうな…
男があまりにだらしないせいか、ニアは男が少女の先生であると言うことに疑問が浮かんできていた。
それもそのはず、今の所男の実力をニアは一切感じ取れていないからだ。
強い人にはそれなりの風貌、風格がある。
だが男はそれらを一切身にまとっておらず、ニアの目に映るのは文字通りただのだらしない男たったからだ。
すると、疑いを向けるその心を見透かしたように男はニアへと声をかけた。
「お、さては僕があまりにだらしないからほんとは強くないんじゃない?とか思ってるでしょ。わかる」
「自覚はあるんだな」
「そりゃあね、まぁもし疑ってるんなら丁度いいし、せっかく戻ってきたばっかだけど小屋の前にきてくれる?」
「先生、私もいいですか?」
「もちろん。みんなで先に行っておいてくれる?僕は準備して行くから」
「わかりました。では私たちは先に行きましょう」
「え?あぁ…」
「ごめんね、すぐ行くから」
男が何をするつもりなのか知っているのだろうか。
少女は自分も行って良いかと尋ねると、ニアと共に先に小屋の外へと出た。
そうして少しの間静寂が訪れた。
知り合って間もないということもあり、お互いの間には不可侵が広がっていたが、先に静寂を裂いたのはニアであった。
そうしてニアは少女へ今一度感謝を口にする。
「…改めて、さっきは本当にありがとう。君が居なければ俺は今頃そこらへんに転がってると思う」
「いいんですよ、私がしたくてしたことなので」
「それで、君はもしかすると求めてないのかもしれないが、ぜひお礼がしたい。何かして欲しいことなどがあったらぜひ教えてくれ」
「して欲しいこと…うーん…わかりました。考えておきますね」
少しの笑顔と共にそう答える少女にニアは少し安心したように肩を下ろした。そこへ
「ごめんね、急いだんだけどちょっとかかっちゃった」
「…別人?」
「同じ人ですけど、その反応はすごくわかります」
「ん?エリシア、それはどう言う意味かな?」
「どういうことって…まぁとりあえず、この人はさっきの人で間違いないです」
少女とニアから少し遅れて出てきた男は、先ほどまでのボサボサとした髪ではなく、きちんと整った上に結ばれており、腰には少女と同じ、木刀がかかっていた。
あまりの変化にニアは自分の目を疑い、ごしごしと擦ってみたが、目に映るのは同じ人物だった。
その傍らでニアの反応が当たり前だと言わんばかりに小さく頷いている少女がいた。
少女の反応をみるに、彼女も同じような反応をしたのだろうと容易に想像できた。
「さっきの人て、一応先生なんだよ?」
「本当にさっきの男なのか?化けて出たと言うわけでは」
「同一人物だし死んでないよ」
口を開くことなく意思疎通をする二人に向かい、少し物悲しそうに男は口を開いた。
「すまない、少し質問に答えてもらえるか?」
男は今までにも同じようなことを言われているのか、慣れた口調でニアの疑問へ返事をしていた。
「……だよ。それで他に質問はない?これで証明になったならいいんだけど」
「あぁ、もうない。疑ってすまなかった」
「いいよいいよ、君の場合はすぐに疑問が晴れたからよかったけど、この子の場合1週間くらいは別人って言って認めようとしなかったからね」
一通りの質問に全て答え終わると、ついに同一人物だと認め謝罪を口にするニアへ、男は少女の時とは比べ物にならないから平気と言った。
その少女はその言葉に対して何も言わなかったが、顔には『仕方ないでしょ』と書いてあった。
「それで、出てきたはいいけど何をするんだ?薬草探し?」
「見つけても君取れないでしょ。手使えないし」
「…確かしそうだな。でもじゃあ何を…」
「この時間はいっつも僕はもう少し先の荒野で刀の練習をしててね。少し前まではここら辺もあたりに木が生えた緑の絶えない場所だったんだけど…」
そう話しながら、三人が着いたのは、ニアがスキアと戦った場所のすぐ近くで、男は懐かしい思い出に浸るように何もない辺りを見回すと、少し高い丘を指差し言った。
「あれもね、今は丘みたいになってるけど、ちょっと前はでっかい山だったんだ」
「ちょっと前…?だってどう見たってあれは…」
「さて、ここに君たちを連れてきたのは、単純に僕が力をちょっとだけ見せるためだよ。君は僕の力を疑ってるみたいだし、丁度いいかなって」
「力を見せるって言ったって、ここには何も切るものなんて…」
「あるじゃない。そこにでかいのが」
そういい男が指を指したのは、目の前に広がる巨大な丘だった。
「あれは切るものじゃないし、切ろうと思って切れるものじゃないだろ」
「そう、普通はね。でも僕は一応こんなでもさ…」
男は木刀を軽く握ると、横へ振り払った。
癖のようなものだろうか。
ともかく男にとってそれは力を見せるのとは全く違う、意図のない行動だった。
だが、その一振りで、ニアにとって男の実力の一端を理解するには十分だった。
「一応、結構強いんだよ」
その一振り、その一言だけでニアには男の強さが理解できた。
今までに出会ったどの剣豪よりも、目の前の男の方が遥かに強いことに気づいてしまったのだ。
ーーただ振っただけだ、この人はまったくを本気を出していない。なのに、たとえ俺が力を奪われていなくともこの人には絶対に勝てないと直感でわかってしまう。
「…あんたは何でそんなに強くなったんだ」
無意識に、無自覚のうちにそう男へ問いかけていた。
無遠慮な質問だったと言った直後に気づいた。だがニアはこの男の強さの理由への好奇心を抑えられずに居た。
「なんでって…まぁ、強くならなきゃ守れないものがあったから、かな」
遠くのものを見つめるようにそう答えた男は、自分が暗い顔をしていると気づくと慌てて表情を直し、再び軽く刀を構えた。
その瞬間、ニアは自分が男にとって思い出したくないものを思い出させてしまったのだとわかってしまった。
なぜならそのとき男は、かつて大切な人を失った自分と同じ顔をしていたから。
「僕も一応先生だからね。弱いって思われるのは少し心外なんだ。だからちょっとだけ真剣にやってあげよう。エリシア、ちょっと後ろ向いてて。すぐ終わるから」
「ちぇ、はーい」
あまり見たことがないのだろうか、男の実力の一端を見られると思い目を輝かせていたエリシアは残念そうな顔をすると、言われた通りに後ろを向き、木の近くへと走って行った。
「何を…」
「それとまぁ、ちょっとした礼だよ。僕なりのね」
「礼なんて…だってあいつの狙いは…」
「細かいことはいいんだよ。それより、もう少し離れてた方がいいよ」
そういうと男は先ほどまでとは違い、きちんとした刀の構えを取り、丘の方へ数歩歩みを進ませると深い呼吸をした。
瞬間、あたりの空気は張り詰め、ニアは自分が呼吸を忘れていることさえ気付かなかった。
それほどまでに男の出した威圧感は圧倒的だった。
刹那、目の前の風は切り裂かれ、道中の木々はまるで空気を裂くかのように真っ二つに折れ、山のように巨大だった丘は、いとも簡単に音を立てて崩れ落ちた。
力を奪われたとはいえ、ニアの中には依然これまでの戦いの経験があった。
だが男の剣筋をニアは少しも見ることが出来なかった。
それはすなわち、今この瞬間、刀を振ったこの男だけが別の次元に到達していることのなによりの証明だった。
「そんな馬鹿な…」
「馬鹿じゃないしこれは現実だよ」
「こんなこと…」
「あるんだよ。これが僕なりの礼、どう?ちょっとは認めてくれたかな?」
鳴り響く巨大な丘の崩れる音と共に襲いかかってくる爆風から身を守りながら、ニアは先程までの評価ですら、この男を過小評価していたと自らの考えを悔いていた。
強者にしかわからない雰囲気、強者にしか持ち得ない威圧感。
それらを自分の知っている誰よりも持っている男へ、ニアはわずかながらに尊敬の意を持ち始めていた。
「礼なんて…こっちが言いたいくらいだ」
「それで、さっきの約束の件なんだけど、もし本当に守ってくれるんならその代わりとして、君も僕の弟子にしたいんだけど、どう?」
その条件は、ニアにとって願ってもいないものだった。
瞬く間に憧れとも近しくなった男に、弟子にならないかと聞かれているのだ。
なら、その言葉を聞いた瞬間から答えは決まっている。
「是非、お願い…します!」
「ん、よろしい」
「先生、そろそろ私もそっち向いていいですか?」
「あ、ごめん。いいよ」
「…先生、もしかして忘れてましたか?」
「いやぁ…そんなわけないでしょ?あははー」
「それよりもさっきすごい音がしてたんですけど、一体何が…」
そう言葉を続けながらこちらを振り向いた少女は、わずか数秒の間に変わってしまった地形を見て、絶句していた。
だが少女な反応はニアが思っていたものとは違った。
「先生!またこんな勝手に地形変えて、セレスティア王国の人たちにまた『王憲の間が壊れたらどうするんだ』って怒られますよ!」
「どうせそんなのないってー、伝説だか何だか知らないけど王憲の間ってまだ誰も見たことないんでしょ?どこにあるのかも知らないし見たことないのに何であるって確信もって言えるのか意味わからん」
「もう私は対応しないですから…あ、ほら来ましたよ、私もう知らないですからね」
「え?嘘、あの子いないと僕今までにも何回か怒られてるから今度こそ大変なことになっちゃうかも」
以前にも似たようなことをして怒られたことがあると男は言った。
だが男は懲りずに再び自然を破壊したのだ。
今までにも何回かしていたのなら怒られても当然だろう。
しばらくすると、目の前の門が開き、中から数人の男たちが出てきた。
そしてニアたちのいる練習小屋への前へつくと、一人の人物が前へ出てきて男へ言った。
「灰庵殿…もうしないって約束だったはずでは?」
「ごめんって、ついテンション上がっちゃったっていうか、とにかくほんとにもうしないから…お願い!今回だけ見逃して!」
「前回もそう言ってましたよね。だめです」
「お願いだってー」
「あなたが我々の想像を超える力を持っていることはわかっています。ですが我々はあなたのことをまだ信用に足る人物であると認めていないのです。そして、信用を得るための条件も前回お伝えしたはずですが…」
そう言うと、切り崩された丘をみて深いため息をついた。
そして灰庵の近くへ寄ると、小さな声で言った。
「また随分と派手にやったな、言っとくが今回は手助けできんぞ」
「はぁ…わかったよ。ごめんね、ちょっと行ってくる」
灰庵はめんどくさそうに頭を掻くと、後ろでどうすればいいのかわからないニアへ申し訳ないと口にした。
そうして灰庵が連れて行かれてしばらくすると、森の中からどこかへ行ったはずの少女が現れた。
「先生はまた連れて行かれましたか?」
「そうだが…どこ行ってたんだ?」
「さっき薬草を使ってしまったので調達に。ちょうど近くにいい場所があるんです。それと、心配しなくていいですよ、先生はこれまでにも色々やらかしてますけど、結局すぐ帰ってくるので。今日も夜までには戻ってくるんじゃないですか?」
「心配じゃないのか?あの人だってただの人間だろ、もし王様の気にでも触れたら大変なことになるんじゃないか?…」
「ないですよ。上のお偉い方々もそこまで馬鹿ではありません」
「なんでそんな信用できるんだ?」
「先生が強いからです。先生がもし居なくなれば、この国は力の大部分を失います。それほどまでに先生はすごくて、この国にとって必要な人なんです」
「そんなになのか」
「そんなにです。私も先生の本気は見たことがありませんが、すこし力を入れただけであれなら、本気を出せばこの国がどうなるかなんで容易に予想できます」
少女は言った、灰庵がいなくなればこの国は力の大部分を失うと。だがそれは逆に言えば、灰庵一人でこの国よりも戦力が上回っていると言うこと。
「この国の人達が弱いと言ってるわけではありません。事実、先生がいなくともこの国は歴史の中で片手で数えられるほどしか負けたことはありません。ただそれ以上に先生が強すぎるという、それだけのことです」
少女はそういうと、小屋の中へ入っていき、しばらくすると木刀を持って外へ出てきた。
「それと、先ほど聞こえてきたのですが、貴方も先生の弟子になるということらしいですね」
「あぁ、今は腕がこんなだが、治ったら正式に弟子入りするつもりだ」
「では私の方が先輩ということですね?」
「先輩…?ああ、一応それで間違いはないが…」
「ならこれから私のことはエリシア先輩と呼んでください」
嬉しそうにニアへそう伝えるエリシアの顔は、ニアが今日見た中で最も表情豊かにドヤ顔をしていた。
きっと、ずっと自分の後輩ができることを楽しみにしていたのだろう、そう思ったニアはエリシアのいう通り、これからは先輩をつけて呼ぶことに決めたのだった。
「それでエリシア先輩、これから何をするんだ?」
「ただの素振りですよ、一応1日の日課は終わったんですけど、さっきの先生見てたらまたやる気に燃えちゃって」
「素振りが日課…いいな、俺も腕が治ったら一緒にしていいか?」
「いいですよ?ただ、私は先輩なので後輩の貴方の型がズレていたりしたら、訂正させてもらいます。えっと…」
「…そういえば、自己紹介がまだだったな、俺はセルニア。皆んなからはニアと呼ばれていたし、ぜひそう呼んでほしい。俺がいた国は多分、この世界のどこにもない、不審に思うのも仕方がないと思うが、どうか信用して欲しい」
「いいですよ、命をかけて戦っていたのはこの目で見ましたし、多少不審には思っても信用しないなんてことはないです。それと、私はエリシア、一応先生が連れて行かれたそこのセレスティア王国に家があって、先生の一番弟子です」
「それじゃあ、改めてよろしく。エリシア先輩」
「はい、よろしくお願いします。ニア後輩」
こうしてお互い自己紹介を終えると、エリシアは素振りを再開し、ニアは腕が治り次第すぐに特訓に参加できるように、エリシアの型を注意深くみていた。
エリシアはとてもやりにくそうだった。
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