第3話

 「着きました。ここが私の修行をしてる小屋です。とりあえず何か手当てのできるものを持ってくるので、ここでじっとしていてください」


 少女はニアを近くのイスへ座らせると、そう言い残し、小屋の中へ入って行った。


 近くには大きな小屋があった。大きな小屋と言うと言葉が変なように思えるが、大きな小屋だった。


 そこにはやけに生活用具や修練道具は揃っていて、つい最近まで誰かが暮らしていたかのようだった。


 危うくここも被害に巻き込まれるところだったと、ニアは怒りのままに力を振るったことを反省し、力の入らない腕を見た。


ーー負けたんだな、俺は。みんなの思いを背負って尚、負けてはいけない戦いに負けたんだ。…負けてしまったんだ。


 力を奪われた事よりもずっと、命を賭した人々の力でさえスキアへ届かなかったと言う事実にニアの心は潰されそうになっていた。


「…俺は弱かったんだな」

「いえ、十分強かったと思いますよ。少なくとも私はそう思います」


 独り言のように小さな言葉だったが、返事があったことにニアは驚き、声のした方へ顔を上げた。

 返事をしたのは先ほどの少女だった。少女は先ほどと同じ静かな口調で深く落ち込むニアを慰めようとしていた。


 そんな少女の手には包帯といくつかの薬草のようなものが握られていた。


 どこかに置いていたのだろうか、採取してからあまり時間が経っていないように見えた薬草をすり鉢へと入れると、先ほどの言葉の続きを話し出した。


「あなたが時間を稼いでくれなかったら、私はあなたを助けられなかったですし。それは紛れもなくあなたに力があったからです、ですから感謝しています」


「そうだ、言い忘れてたな。助けてくれてありがとう」


 せっせと手を動かしながら薬草を擦り合わせていく少女は、人を助けることができたと感謝を述べた。


 そこで初めて、まだ少女へ礼をしていなかったことに気づいたニアは少女へ感謝の意を口にした。


 本来なら真っ先に感謝を口にするべきだったのだろう。だが今日はたくさんのことがありすぎた。

 そう、あまりにもありすぎたのだ。


「腕、薬塗るので見せてください」


「あぁ、ありがとう」


 慣れた手つきで薬草を擦った少女は、ニアの腕へと優しく薬を塗りつけた。


着々と薬草を塗りたくっていく少女の手つきには、過去に何かあったのだろうと予想するには簡単すぎた。


「随分慣れてるんだな」


「えぇ、昔は母の看病に付きっきりだったので」


「どうりで上手いわけだ。ありがとう」


 予想外の返事をされたと言わんばかりに少女は少し驚いた顔をしたが、すぐに元の表情へと戻した。


「聞かないんですね。母がどうなったのか、とか」


 意外だと思った理由を口にした少女へ、ニアは不思議そうに言葉を返した。


「聞かれたくないことなんだろ?なら俺は聞かないよ」


 優しくそう微笑むニアに、わずかに微笑んだ少女は薬草を塗り終えると言った。


「これでよし。ですがあくまで応急処置です。効き目もちゃんと王都で手当した時と比べれば断然遅いですし、少しマシになったからと言っても調子に乗ってまた怪我をしないでくださいね」


「あぁ、わかってるよ。それで一つ質問なんだが、君が王都と言ったあのでかい壁について教えてくれないか?」


「壁?あぁ、拠真岩壁のことですか。あれは拠真岩壁といって、はるか昔からあそこにあるそうです。伝説では人々がまだ天災に抗う術を持っていなかった時代に突如として現れたものだそうで、偶然嵐から逃げる際中へ避難すると、すぐ近くまで迫っていた嵐はこの壁を避けるように進んだことで、頻繁にこの壁に避難しにくるようになったそうです」


「それは偶然じゃないのか?」


「それが初めてこの壁へ避難してから今までただの一度も厄災がこの国を襲ったことはないそうです。」


少女は軽い咳払いをすると、途中で遮られた伝説の話を再び話し始めた。


「そうして昔の人たちは厄災が襲ってこなくなったのはこの壁のおかげだと思い崇拝するようになり、そこに国を起こしたことで今の王都セレスティアができたと言うわけです」


「なるほどな、ありがとう」


「それと、あれは王都ではないですよ。王都は壁に囲まれた内側にあります」


「そうなのか、わかった。何度もすまない」


「いえ、私も静かなのは少し気まずいので助かりました」


 先ほどから疑問に思っていたことを聞くと、ニアは少女の言ったとある言葉に引っかかっていた。


ーー突如現れたと言うのはどう言うことだ?あんなに巨大な物が1日にして現れるわけがない。だとすればその時、天災とは別の何かが起きたんじゃないか?


そんなふうに思考を凝らしていた時、1つの足音と声がニア達のいる家へと聞こえてきた。


「おーいエリシアー、無事か?なんかやばそうなのいたっぽいけどー」


 その声は小さく、まだニアのいる小屋からは少し距離があるように思えた。


 だが、時間が経つにつれ少しずつ、だが確実にその足音はこちらへと向かってきていた。


 先ほどのこともあり、その足跡へ警戒を続けるニアに、少女は声の主のことを伝えた。


「大丈夫ですよ、この人は私の先生です。決して悪い人じゃないのは私が保証します」


 少女の言葉を聞き、ニアは少し警戒を緩めた。

そうして小屋の前で足音は止まると、扉を開き、中へは日差しが入り込んだ。


そうして、一人の男が顔を覗かせた。


「お、無事そうでよかった」


 気の抜けた声の正体は、ぼさぼさの髪に羽織のようなものを身につけた二十代後半に見える長身の男だった。


 男は家の中をみると、その中で見慣れない存在であるニアの存在に気づいた。

 

 一瞬驚いたように見えたが、すぐに表情を戻すと、ニアへと声をかけた。


「お客人?あれ、君…」


「無事?なんかさっき戦ってた子でしょ」


「なんでそれを…」


先ほどの戦いを、この男が知り得るはずがなかった。なぜならこの世界にとってスキアは未知の存在であり、もし見ていたのなら野放しにしておく理由がないからだ。


「まぁまぁ、エリシア、この人ちょっと借りてくね」


「あ、ちょっと先生!その人怪我人…」


「…何の用だ」


 だが男は先ほどの戦いを見ていたと言った。その言葉の真偽はわからない。だが今のニアにとって、その言葉だけで敵意を持つには十分だった。


 だが、敵意をむき出しにするニアとは裏腹に、男は明るい声で言った。


「だから、それを説明するためについてきて欲しいんだよ」


「…そうか、わかった」


「ちょっとあなたまで!」


「まぁまぁ、すぐ戻ってくるから、ね?」


 そう言うと、男は少女の返事を待たずにニアを連れて外へ出て行った。


「もう…はぁ、片付けでもして待ってよ」


 取り残された少女はそう呟くと、そそくさと部屋の中を片付け始めた。








 しばらく歩いた場所で、ニアは男へと質問の続きを問いかける。


「ここでいいだろ。それより答えろ、お前は何者だ」


「僕はあの子の先生だよ。ただの先生でそれ以上でも以下でもない」


 男はボロボロの体でなお警戒を解かないニアへ、軽い口調でそう言った。


「お前はさっきのやつを知っているのか」


「知ってるよ?加勢はできなかったけど見えてはいたからね」


「そういう意味じゃないのはわかってるんだろ」


 冗談混じりに返答をする男へ、ニアは痺れを切らしたように詰め寄った。


「ごめんごめん、ちゃんと話すよ。って言っても話せることなんて全然ないんだけど」


「それでもいい、お前と奴の関係を教えろ」


「何か期待してるみたいだけど、僕はさっきの奴とは何の関係もないよ。なんならさっき初めて見て僕もびっくりしたんだ。なんかやばいのがいるなって」


「それで、お前はどこで奴と俺の戦いを見ていたんだ」


「どこでって、僕はただあの壁の近くを歩いてただけだよ?あんな技ぽんぽん使われて気づかない方がどうかしてるよ」


 男は拠真岩壁を指差し変わらず軽い口調でそう答えた。


 その言葉に納得をしかけたニアの中に、先ほどの疑問が浮かんできた。


ーー待て、どういうことだ?本当にただ通りがかっただけなのか?だとすればなぜ見ているだけだった?この世界の人達に取ってあれは紛れもない脅威だったはずだ。おそらく狙いは俺だったからよかったが、もし違えばこの世界も…ーー


「一つ聞く、なぜ奴を野放しにしていた。お前が本当に奴を知らないのなら、奴を放っておくことがどんな惨状を引き起こす可能性があるか容易に想像できただろ」


「なんでって…だってあれには人を殺す理由がないように思えたから」


 即答だった。男は躊躇うことなく、そんなふうに答えた。


ニアのいた国がどうなったかも知らずに。


「ふざけるな、やつがこれまでにどんなことをしてきたか…どれだけの人たちが犠牲になってきたと思ってる」


「その犠牲は僕にはわからないよ。ただ、もしあれがこの世界を破壊しようとしていたり、僕の弟子に手を出そうとしていたなら、僕は全力で助けに行っただろうね」


男はまっすぐな瞳でニアの目を見てそう答えた。


 嘘だと思った。そんなことを言う人間は今までにも何人もいた。


 本当ならこうしていた、本当ならこうなるはずだった、と


男もその中の一人だと決めつけていた。


だがニアは男の目を見ると、男を疑うことをやめた。


 その目は大切なものを守るために命をかけると誓った、かつての自分に似ていたからだ。

 

「すまないね、君は必死で戦っていたし、横槍を入れるのも野暮だと思ったんだ。それも理由の一つだよ」


「…そう、か、すまない。お前にはお前の考えがあったんだな」


「いいんだよ、君が怒るのも当然だ。それと、君。腕が大変なことになってるみたいだけど、大丈夫?もしあれならこの後さっきの家に戻って治療してもらえば?」


「それならもうしてもらった。あの子には今日何度も助けてもらったから、これ以上世話になるわけにはいかない」


「いいんだよ、そんなの気にしないで。別にあの子だけに全部やらせるってわけじゃないし、それに僕もあの子も怪我人を放っておくのは嫌いだし。ほら、僕に迷惑かけると思って、ね?」


「そうか、だったら迷惑かけさせてもらう」


「切り替えが早いね」


「まだお前には何の恩もないんでな」


「まぁそれもそうか」


 腕の調子を心配する男の提案をバッサリと切り捨てたニアだったが、男に迷惑をかける分には気負わずに済むと思うと、あっさりと提案を飲んだ。


 そうして少しの会話を終えると、2人は先ほどまで居た小屋の方へと足を動かした。


 ニアの中で男への疑問が全てなくなったわけではない、ただ、男の目をニアは知っていた。かつての自分の居場所でたくさんの人が向けてくれた、その目を信じたいと、そう思ったのだった。


 歩いている途中、男はニアへ、一つのお願いと言わんばかりに話を振った。


「そういえば、僕はいいんだけど、初めて会う人に『お前』っていうのはやめた方がいいと思うなー、たとえ初対面でも、てか初対面だと尚更印象悪く写っちゃうよ?」


「それは…その通りだと思う。俺もさっきの今でまた警戒が解けてなくてな」


「いいんだよ。けどあの子にはそんな言い方しないでね?あの子はまだ子供だから、一回嫌われるとしばらく嫌われたままになっちゃうから」


「それは困るな、まだ恩を返せてないんだ」


「そうかそうか…ところで」


 男は一度話を区切ると、その場で足を止め、再び真面目な目でニアへと言った。


「怪我人にするお願いではないとわかってるんだけどさ、君さえよければあの子を守ってやってくれないか」


「恩人を死なせるつもりはないが」


「そこをなんとか…僕もできる限りは…え?いいの?」


 当たり前と言わんばかりの即答に一瞬気づくのが遅れた男は、その言葉を聞くと嬉しそうに再び足を動かした。


「恩を仇で返すのは人として最悪だ」


 当たり前のようにそう答えるニアの心には、疑問は一つもなかった。


 ただ命をかけて自分を守ってくれた人を、自分もまた守りたいと、そう思っただけなのだった。

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