間奏 Interlude

 ……エコーズは街をさまよっていた。

 一週間前に調達した服はいまやボロボロで、ついさっきも歩いていただけで不審人物としてあやうく警察に捕まりそうになったが、そこを得体の知れない黒帽子の少年に助けてもらって、なんとか誰も傷つけないで逃げ延びることができた。すでに彼は、山野やまから都市まちに出てからこれまで、やむを得なかったとはいえ六人の人間に重軽傷を負わせてしまっていた。

 彼は、めざすマンティコアが近いことを感じていた。

 だが、人間の街はあまりにも込み入っていて、そして人がひしめき合っていた。その中から、どうやってマンティコアを発見すればよいのか、彼は途方に暮れていた。


「…………」


 彼は暗くなりつつある空の下、路地裏に入り込んで、ふたたび地にへたり込んでしまった。

 さっきと違い、周りに人はいない。路地には腐った水の濁った匂いがした。


「…………」


 夕焼け空を見上げても、ここでは星も見えない。山野やまでは昼でも、彼には星が見えたというのに。

 だが、もう泣いていられない。彼は、さっきの黒帽子の少年に言われたのだ。

〝あなたは、何かを追い求めているのですね。だったら泣くのはそれを見つけてからにしなさい〟と。

 その通りだった。

 ここで倒れるわけにはいかない。

 彼は自分の子供にして分身たるマンティコアの殺戮を止めなくてはならないのだ。

 彼女は彼自身では封じられているコミュニケーション能力に、彼がこの星の生態系に紛れるために持っていた能力をも持っている。ことに〝変身能力〟は、この星の、人間を中心とする知的文明の環境バランスを著しく損ない、彼の本来の使命を根底から覆してしまう。

 使命──

 彼はそれを果たさなければならない。彼はそのために生み出されたのだから。だがマンティコアの存在は、彼の使命──決断の妨げとなる。

 彼は〝どっちなのか〟決めなければならないのだ。

 その判断は厳密に公平でなければならない。彼と同類の、異物であるマンティコアがこの星に存在することはあってはならないことなのだ。なんとしても排除しなくてはならなかった。


「…………」


 彼は、よろけつつ立ち上がった。

 そのとき、悲鳴が上がった。


「きゃあ!」


 路地に若い女が入ってきて、彼の姿を目撃したのである。

 彼は、あわてて両手を振って、自分に害はないことを示そうとした。でもその必要はなかった。


「あなた、こんなトコで何してるのよ!」


 と、女の方から彼に近づいてきたからである。いまのは悲鳴ではなく、ただ驚いただけだったらしい。


「怪我してるわよ! いったいどうしたの?」


 女は、よく見るとまだ少女である。

 彼女は持っていた高そうなデザイナーもののハンカチを惜しげもなく彼の額の傷口に当て、血を拭った。傷そのものはとっくに治っていて、ただ血がこびりついているだけなので彼に痛みはない。


「う、怪我……」


 彼は手当は無用だと返事しようとした。だが少女の言葉の中に彼が返せる単語が少なく、意味ある言葉を言うことはできなかった。


「どうする、警察とか呼んでいいの」

「け、警察……」


 とそれしか言えない。

 だが少女は何故かそれだけで彼の言わんとしたことを理解した。


「警察はだめ、と。わかったわ。家とかどこか言える? 近くにない?」

「家──ない」


 彼は、少女の言葉の中から単語を拾い上げて、文章を無理矢理作った。人と話すとき、彼は話しかけられた言葉を返すことしかできないのだった。人間が考え得る範囲内の情報以外を与えないために。


「宿なし? なによ、なんか訳ありみたいね」


 彼はうなずいた。そして、手を振って少女に自分から離れるようにと示そうとした。

 少女は彼の肩を優しくぽんぽんと叩いた。落ち着け、と身体言語で言っているのだろう。


「だめだめ。ここでほっといたら、あたしの寝覚めが悪いもの。うん」


 彼女は喋れない彼の意志が、どうしてか理解できるらしい。


「うーん、そうねえ、じゃあとりあえず、学校に入ってなさい。あそこ入るのにチェックいるけど、あたし抜け道知ってんのよ」

「学校……」

「あたしんちだとマンションで、近所の目がうるさいからねぇ。色々あんのよあたしも。へへへ」


 ふざけた口調で言いながら、彼女は彼の腕をつかんで半ば強引に立ち上がらせた。そして引っ張るように導いていく。

 彼はどうしていいかわからず、少女の言うままについて行った。

 この娘は何者だろう、と彼が思うのとほとんど同時に、


「あたし? 紙木城って言うの」


 と少女は名乗った。


「紙木城直子。深陽学園の三年よ。あなたは?」

「あ、う………」


 彼は答えることができない。人間に自分に関する情報を与えることは許されないのだ。


「何よ、喋れないの?」

「喋れ──ない」

「喋ってんじゃないの。ふうん、他の人には反響体エコーズって呼ばれてたの? 変な名前ねえ。まるであたしに呼ばれるための名前みたいね」


 紙木城直子はくすくすと笑った。彼女は、自分が言葉のない彼の意志を理解している特殊な現象にまだ気づいていなかった。

 彼女は笑顔を彼に向けて、


「まあいいわ。あたしの友達に、ナギって面白いがいるからさ、彼女に相談すればたいていのトラブルならなんとかしてくれるわよ。エコーズ君、君がワルいヤツでさえなきゃね」


 とウインクしてみせた。

 そして携帯電話を取り出して、そのナギという人のところに電話をかけるべく馴れた手つきで手早くキーを叩き始めた。

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ブギーポップは笑わない @KOUHEIKADONO

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