第五話 ハートブレイカー Heartbreaker 5

「でも、どうしてブギーポップのことが学校の噂になっていたの? 正体不明の謎の人のはずなのに。いったい誰が噂を広めたのかしら?」


 翌日の放課後、私は隣のクラスの霧間凪を訪ねて訊いた。


「ああ、それは、たぶん宮下藤花本人だろう」


 凪は、みんな帰ってしまって誰もいない教室でそう言った。


「え? どういうこと?」

「宮下藤花は、自分にブギーポップなんて人格があることを知らない。しかし無意識では知っている。ほら、よく自分のことなのに、友達の知り合いにこんな人がいるとか、たとえ話にして話すだろ。あのノリで、彼女は自分のもう一つの人格を他人に伝えていたってことだろう」

「そういうものなの?」

「そのへんは、うちのクラスの末真にでも訊いてみるんだね。たとえ話にしてさ。彼女ならオレよりわかりやすく話してくれるよ」

「うーん。む、むずかしいのね」

「まあね、あのヤローのことはオレにもよくわかんないよ」


 彼女はため息をついた。


「百合原美奈子が来ていないことで、みんな騒いだの?」

「先生が心当たりないか、とか訊いてたけど、誰も何とも言わなかった。まだ本格的な行方不明と思われていないから、それほどのことはない。ただ優等生がサボったってことで、噂になってる程度」

「ふうん……」


 百合原さんの家には、昨日電話してみたのだが、仕事を持っているご両親は二人とも出張しているという留守電が出ただけだった。ということは、帰っていないことはまだ誰も知らないのだ。マンティコアはどうもそういう日を狙って行動を起こしたらしい。

 でも、すぐに大騒ぎになるだろう。百合原美奈子はこれまでの家出少女たちとは学校で問題にするレベルが違う。

 早乙女正美は、きっとその陰に隠れてしまうだろう。こっちはもうご両親は家に戻らない息子のことを知っているはずだが、男の子だし、一日ぐらいの外泊ではまだたいした心配さえされていないかも知れない。


「……本物の百合原さんは、いつごろ、その──入れ替わられていたのかしら」

「さあな、わからない。でもだいぶ前だろう。彼女が消えたことは、これでやっと事実になったわけだ。今まで誰も、彼女がいなくなっていた事に気づかなかったんだからな……」

「そうね、そういうことになるか──」


 私たちは、そろってうつむいた。ひどく複雑な気持ちだった。

 真実を伝えることは出来なかった。そんなことをしたら、よけい残酷なだけだ。第一、エコーズがらみの話は、彼を追っていたはずの組織の耳に入ったら、きっと大きな火種になるだろう。


「結局は、なんでもないことになってしまうんでしょうね」

「ああ。だが、そのほうがいい」

「そうよね──」


 私たちは席から立ち上がった。

 もう、帰る生徒は帰ってしまい、部活動のものはそれぞれの場所に行っており、廊下や下駄箱に他の人の影はまばらだった。

 校門のところに行くと、今日の門番の子が私を見て歓声を上げた。


「あーっ、委員長! いいところに来てくれたわ! ちょっと代わっててくれない? トイレ行きたかったのよ!」


 私が笑ってうなずくと、彼女は大急ぎで校舎の方にすっ飛んでいった。


「好かれてるじゃんか」


 凪が笑いながら言った。


「まあね、体よく利用されてるって感じ」


 私は苦笑した。そして、紙木城直子さんにも拝み倒されて、何度か遅刻をごまかしたことを思い出した。もともと、それで仲良くなったのだった……。


「直子さん──やっぱり」


 私は、どうしようもなく寂しくなって、湿った声で呟いた。


「うん……たぶんね」


 凪も切ない口調で呟いた。

 昨日、田中くんは私たちとの別れ際に言った。


「うまく言えませんが、たぶん僕が紙木城さんに代わってお礼をみなさんに言わなきゃならないと思います。どうもありがとうございました」


 半泣きの湿った声だった。


「……田中くん、あなた直子さんのこと、ほんとはどう思っていたの?」


 私が訊ねると、彼は寂しげな顔をした。


「……実は、今日、彼女を見つけたら、はっきりつきあいを断ろうって思ってたんです。でも、今はよく……わかりません」

「ふうん……」


 私にはそれしか言えなかった。

 直子さんのもう一人のお相手、木村明雄くんには何と言うべきか見当もつかない。たぶん、私たちには何も言えないだろう。いつの日にか、もし彼に知らせる者がいるとすれば、それはきっと──

 そうして私たちには、昨日までと同じ学校生活が待っているだけだった──。


「直子は奇妙なことを言っていた」


 空を見上げながら、凪がぼそぼそと話し始めた。


「エコーズは、あれは天使だって。あいつは、天の神様に命じられて、人類を生かすか、滅ぼすかどうかの、最後の審判のための審査に来たんだって、そんなことを言っていた。人間が善良な存在か、それとも悪しきものか、どっちなのか、それを判断するために来た、って。悪かったなら、そこで歴史を終わらせるつもりなんだ、ってね」


 私はどきりとした。


「……天使?」

「ああ、いや、たぶんでたらめの思いこみだろう。あいつって、なんでも大げさに考えてはしゃぐ癖あったし。エコーズやマンティコアは、実際はどこかの生化学研究所の失敗作とかにすぎないんだろう。でも、もしも本当にそうなら──」

「……」

「オレたち、まだ生きているよな。最後の審判は、今回は見逃してもらえたらしい」


 凪は悲しげに微笑んでいる。

 彼女は、ただ友人の死を無駄にしたくないために言わずにはいられないから、こう言っている。

 しかし、私はとても笑えなかった。

 凪はエコーズの最期を見ていない。

 でも、私ははっきりと見たのだ。

 あの光は早乙女正美を〝元から存在していなかったかのように〟消してしまい、不死身のはずのマンティコアをかすめただけで黒焦げにしてしまった。

 あんなものは、生物とかそんな次元を越えている──

 あれは空に向かって発射されたけれども、もしもあれが、何本も何本も地上に向けて降ってきたとしたら……。


「そ、それじゃあ……世界を本当に救ったのは」

「オレでもブギーポップでもない……エコーズに優しくしてやった、あの寂しがり屋で、惚れっぽいお人好しだ。……そういうことになる。でも、オレたちはそのことであいつに『ありがとう』とさえ言うことができないんだ、もう」


 凪は小さく舌打ちした。


「…………」


 私は何と言っていいかわからず、黙って空を見つめるしかなかった。

 すごく……遠い空だった。


 そうして、私と凪がぼんやりと、よく晴れた蒼くて高い空を見上げていると、男子と女子の生徒が仲良く並んでこっちにやってきた。その二人を見て、私は思わず「あっ」と声を上げそうになった。

 一人は宮下藤花だったからだ。そしてもう一人が、一方的に私が告白して、そして失恋した相手、三年生で将来デザイナーになる竹田啓司先輩だった。

 先輩も私を見て、ちょっとぎくっとしたみたいだった。それで、もう気にしてないということを示すために、私の方から声をかけた。


「あら、先輩!」


 精一杯明るく言ったつもりだった。


「うん」


 先輩は曖昧な返事をした。すると凪が急に宮下さんの前に立って、


「ふうん、あんたが宮下藤花か」


 と言った。どうやらこっちの方とは初対面らしい。


「そ、そうですけど」


 ブギーポップの少年の口調とはうって変わった可愛い声で宮下さんはうなずいた。


「オレは霧間っていうんだ、よろしく」


 と凪は彼女に握手を求めた。

 端から見ると、まるで不良が一般生徒にからんでいるみたいだった。


「おい、ちょっと」


 と竹田先輩が彼女を守るべく割り込もうとした。でも宮下さんは彼に首を振って、


「よろしく」


 と凪の手を握った。例の無意識とかで〝わかった〟のかも知れない。


「どうも」


 と凪は苦笑してみせた。

 そうやって二人をなんとか送り出すと、私は大きなため息をついて視線をふたたび天に向けた。


「はぁ──」


 結局、宮下さんをまともに見れなかったのだ。割り切って、笑いかけようとしたのだけれど。

 世の中には、はっきりできないことが多すぎる。

 人に笑顔を見せるなんて簡単なことのはずなのに、それはひどくつらく、重たい仕事のように思えた。


「ふう──笑うのって…難しいものねェ……」

「? なんだよ急に」

「なんでもないわ、大したことじゃない……」


 私はかぶりを振る。

 凪は、すこし訝しげな目で私を見つめたが、やがて空を振り仰いで、へたくそな口笛を吹き始めた。

 知っている曲だったので、私も小声で歌をつけた。



「〝生命みじかし、恋せよ乙女

  黒髪の色あせぬまに

  心の炎消えぬまに

  きょうはふたたびこぬものを〟……」



 私は秋空がまぶしくて、目の端にちょっぴり涙をにじませていた。

 もうすぐ冬だな、と、ぼんやりと考えながら。


“Boogiepop and Others” closed.

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