第五話 ハートブレイカー Heartbreaker 4 ②
はっと振り返ると、さっき逃げ出したとばかり思っていた田中くんが、グラスファイバー製の頑強な弓をかまえて、こっちを──マンティコアを狙っていた。
首を固定され、逃れる道はない。
「あ……」
マンティコアは、自分が敗北したと悟ったその瞬間、何を考えていたのだろう。
だが、彼女はもう胸の矢もブギーポップも狙撃手も見ていなかった。
空っぽだった顔に、なにか浮かんだようにも見えた。それは私には──安堵に見えた。
「頭を撃て!」
ブギーポップが情け容赦なく言った。
その人間がもっとも美しいとき、醜くなってしまう寸前に、苦痛のないやり方で一瞬にして殺すという──あの噂の通りに。
田中くんは手を離した。
弦から解き放たれた矢は、正確に百合原美奈子の顔をした少女の頭部を粉砕した。
そして──彼女の身体は一瞬、ひび割れたように見えたかと思うと、次の瞬間には紫色の煙と化して崩れ落ちた。
四方八方に舞い散り、風に吹きちぎられていった──
煙のかけらが少しだけ鼻先にかかった。それはひどく濃い、腥い血の匂いがした。
「…………」
私は、腰を抜かしていた。
そこに田中くんが駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫ですか?」
「い、いや──」
私は頭を振って、なんとか正常な判断力を取り戻そうとした。
しかし、目の前をブギーポップの格好をした宮下さんが通ったりするのを見て、また混乱状態になってしまった。
「あ、あれはなんなの?」
田中くんに、ほとんどすがりつくようにして訊いた。
彼は首を横に振った。
「知りません。でも弓を取って戻ろうとしたところを呼び止められて、協力するから、って──知り合いなんですか?」
「知っては……知ってはいるんだけど……」
ブギーポップは木に縛りつけておいたワイヤーをほどくと、今度は霧間凪が倒れている茂みに近づいた。
「さっき、マンティコアはエコーズという怪人が弱すぎる、と言っていた。それは何故か──」
ぶつぶつ言いながら、彼だか彼女だかわからないそのひとは、霧間凪をけとばした。
すると、首を斬られて絶命していたはずの凪の身体が、ぶるるっ、と身震いして、上体を起こしたのである。
生き返った。……
「──〝生命〟をわけていたからだ。この死に損ないに、ね」
私と田中くんは、もう口をあんぐりと開けるしかなかった。
「……う、ううん…」
凪は額を押さえた。あれだけ血を出したのだから、きっと貧血だろう。
「やあ、炎の魔女」
ブギーポップが言った。
「──おまえか」
凪は、そのひとを見てもさほど驚かず、ため息をついた。
「──〝出て〟いたんなら、もっと早く出てこいよな!」
「いや、ぼくも君の動きで、やっと危機の正体をつかんだのさ」
「まったく、オレはいつでも自分なのに、おまえは事が起きるときだけ出ていればいいんだからな。勝手なヤツだよ、ほんとに」
「まあそう言うなよ」
どうやら、この二人はもう何年も前からの知り合いらしい。
「……終わったのか?」
「ああ。エコーズという人の犠牲と、風紀委員長の勇気ある行動のおかげでね」
「そうか……」
凪は立ち上がろうとしたが、よろけてまたへたりこんだ。
しかしブギーポップは手助けせず、こっちの方に戻ってきた。
「彼女のことは任せるよ。その分あとの処理はすませておくから」
と私たちに言った。
「…………」
私たちには答えようがない。
ブギーポップは地面に落ちていたマンティコアの手首を拾った。そして顔を上げ、私に向かって、笑っているような、とぼけているような──目を片方だけ細める奇妙な表情をしてみせた。
「しかし、新刻敬──君の意志の強さは見事だ。君のような人がいるから、世界はかろうじてマシなレベルを保っている。世界に代わって感謝するよ」
芝居がかった科白は、なんのことやらさっぱりわからない。
絶句している私たちを置き去りに、そのまま風のように走り去り、体育館の角を曲がったところで彼は私たちの視界から消えた。
こうして──事件は終わった。
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