ユーモア・エントランスホール

けだま

マンションのエントランスは化け物揃い

都内一等地のタワーマンション。高層住まいの人は都内を一望できて夏には花火が見える。

電車もすぐそこで大型ショッピングもすぐそこにある。

マンションの裏には大学病院。

何も困る事のないこの場所に住む人達は仕事の出来るエリート達の群れのだろう。


煌びやかな日常から遠いのは下層に住む賃貸暮らしの僕、28歳。独身男。職業冴えない小説家。

名前は山田いける。

親がどこまでも行ける様にと変な名前をつけた。


高校の時の先輩にここのマンションをおすすめされ賃貸を借りた僕は能天気なものだった。

高級マンションにはモンスターが住んでいる事を知らずにいたのだ。


朝8時になったのでゴミを出す為、ため息をつきながら階段を下りた。


先日、エレベーターを待っていた時の事だ。

高層に住んでそうなエリートマンに会った。

とても高そうなスーツを着ていた彼だが僕を見るなり、下層住まいにとってエレベーターは不要だろう、使うなと吐き捨てた。


事実金もない僕は何も言い返せず階段で部屋に帰るしかなかった。


それから買い物をしても熱が出てしんどくても絶対階段を使うと決めている。

しかしこの生活は億劫だ。

何の為のエレベーターなのだろうか。

誰のための物なのだろう。

下層の人間は乗ってはいけないなんて誰が考えたのだ。


重いドアを開け大理石の広いエントランスホールに出ると早速僕を見たモンスターが声をかけてきた。


「あら山田さん、おはようございます」

楠木夫人だった。


いかにも高級そうなバッグを見せびらかすように僕の前に突き出した。


その時、大きなイヤリングがギラギラ光り私を威嚇しているように見えた。


楠木さんの家は金持ちをアピールするようにブランドに全身身を包む家族。

幼稚園児の娘さんがおりこの前はピカピカ光るエナメルの靴を履いていたのを覚えている。

毎度持ち物を褒めなければならないし庶民の僕にとって笑いものの餌食にされるのは間違いない。


何を言われるのか分かっているので息が止まる。

何も言えず萎縮して肩が縮こまる。


「挨拶なさっているのにだんまりですって」

「まぁこれだから低層暮らしの方は」


取り巻きにクスクス笑われ焦って僕はお辞儀した。


「お、おはようございます」


「青い顔ですわね。ちゃんと寝てないの?寝る暇もないぐらい働かないとここに住めないのかしら」


その発言でオホホホと周りが一斉に笑う。


ただのゴミ出しだけでこのありさま。胃痛が酷く、ごはんが食べれないので先日病院へ行ったがストレスと診断された。

絶対このマンションの人間のせいだ。


「この前はスウェットでゴミ出ししてたのに今日はマシな服を着てるじゃない」


何も知らずこのマンションに引っ越してきたのは二週間前。


その時僕は部屋着にサンダルのまま降りてきたのである。


そこでいじめのターゲットにされてしまった。


ここでは自分を高く見せ餌食にされないように身なりを整えなければならない。


隙を与えれば地獄が待っている。


「あらゴミ出し?何食べてるのかしら」


ゴミの中まで見ようとするのか。

恐ろしくて僕はゴミを隠した。


「どうせラーメンでも食べてるのでしょう。そんなんだから独身のままなのよ」


フフフと楠木さんは笑う。


ファミリー層が住むマンションで独身一人で住む僕は目立つのだろうか。独り身というのが恥ずかしくなった。


言い返すと何をされるか分からない身の為ぐっと我慢している部分もあるが言い返せない性格が本当に嫌になる。


唇を噛みしめ下を向いていると玄関が開き外から風が入ってきた。

と同時に楠木夫人がつけいてる有名ブランドの香水が鼻をかすめた。


「もーめんどいわゴミ出しすんのに遠すぎやって」


逆光になって見えないが関西弁の女性だった。


「仕方ないよ、ゴミ臭いから文句言う人が多いんでしょ?」


一緒に横に誰かいる。


「せやけど場所移動させられて遠いやんここ」


不服そうな声がする。


自動ドアが閉まるとその二人の恰好が露になった。


関西弁の髪の長い方はティーシャツにハーフパンツ。


その横にいたふわふわの髪の毛パーマの方は青色の上下学生用のジャージ姿だった。

それも長く愛用しているのか、ゴムの所が伸びすぎてパンツ丸出しになっている。そのパンツにさえ小さな穴ができている。

さすがに男の僕でさえあそこまで着続けない。


名前を隠すご時世なのに胸元にはしっかりと真木と書かれていた。


その姿を見た瞬間僕は楠木さんをちらりと見た。


分かりきってはいたが鬼のような形相をしている。

まずい。あの二人僕と同じで標的にされてしまう!


「あなた達一体どういう事?なんて恰好でいるの」


開いた口が塞がらないと言わんばかりの驚きようだ。


「え?」


ジャージの真木さんは楠木さんに向かって首を傾げた。


二十四、五歳だろうか。童顔で可愛らしい顔をしている。


「あなた真木さんっていうの?」


「あ、はい真木とは私の事です。旧姓ですが」


絶対学生の時に着ていたやつだ。

よく見るとズボンの膝も伸びきって薄くなっているし裾も糸がほどけている。


楠木さんはフーッと溜息をつきながらこう言った。


「あなた、そんな恰好は恥さらしよ?このマンションに住むだけの資格があるとは思えませんわね」

「資格ならエクセルを取ってます」

「そうじゃないわよ!」


検討違いの答えを返され即座に楠木夫人がツッコミだした。


「品がないって言ってるの!」


取り巻きはニタニタ笑いながらその姿を見ていた。


「何?喧嘩うってんの?」


関西弁の綺麗な顔立ちの人が真木さんの前に立ちはだかる。


「まぁ喧嘩ですって?関西人っていやらしい考えなさいますのね」


金持ちの象徴のようにギラついたイヤリングが大きく揺れた。


それを見た真木さんが自分の耳にトントンと当てた。


「おっきくて綺麗」


その発言で楠木さんは、そうでしょうと言わんばかりににんまりした。


自慢話が始まる。

そう予感した瞬間だった。


「牧場の牛みたい」



音のない世界に入ったかのようにその言葉だけがエントランスホールで響いた。



このマンションで嵐が起きる。


モンスターの住まうタワーマンションで。

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ユーモア・エントランスホール けだま @aporokotton98

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