第64話

 新暦八八八年の一月。

 ループまで残り僅かとなった今、俺は自室でメイド達とカードバトルに興じていた。

 またリセットされてしまいそうなので距離を取りたいところだが、笑顔で誘われてしまっては断ることなどできない。


「フン、甘いなシェル。その攻撃は読んでいたぞ。俺はここでホーリーシールドを発動だ!」

「え? あっ、あー」

「これでその攻撃は闇属性なので無効! そして次は俺のターン! サイキックエンジェルの攻撃! 俺の勝ちだっ!」

「うあー、また負けたー……」

「では俺はこのエンシェントモグラを貰っていくことにする」

「あー、私のもぐらがー」

「元々は俺のモグラだっただろうが」


 最近構築したこの光デッキでの勝率はなかなかだ。シェルには今まで散々毟られてしまったが、これから少しずつ取り返してやる。


「ゲルド様、最近強いですねー」

「ね。シェルはこれで連敗じゃない?」

「うわー。私、ゲルド様のゴールデンホタテ欲しいのに……勝てるかなあ」

「クックック……俺がいつまでも弱者の立場に甘んじているわけがないだろう」


 一息ついてワインをくいっと一口。勝利の美酒は何よりも格別だ。近場のモンスターを狩りつくす勢いで金をかき集めた甲斐があったというものである。その金のほぼ全てをカードに突っ込んでしまえば、俺も強力なデッキが組めるというわけだ。


「ゲルド様自身が強いんだから、カードぐらいは弱い方が良いんですよー」

「あ、確かに。一つぐらい弱点があった方が良いもんね」

「それは言えてるかも。やっぱ完全無欠だと近寄り難いっていうか」

「ねー」


 こいつらときたら、毎日一緒に遊んでいるのによく言うものだ。特にシェルは何度も妾にしろと要求してくるほどだし、近寄り難さなど感じている様子は全く無い。結局シェルとは今回もまた一番仲良くなってるし、俺とシェルは相性が良いんだろうか。

 ただミリーにぶっとい釘を刺されているので、申し訳ないがシェルの望みは叶えられない。


 ぶーぶー文句を言うメイド達を見ながらそんな事を考えていると、唐突に俺の体から何か柔らかくて温かい、輪郭がぼんやりしたピンポン玉サイズの光の玉がふわふわと出てきた。


「ん? 何だこれ」


 最初は腕から一つ。次は足から。腹から。体中のあちこちから少しずつ謎の光の玉が出てくる。

 ただ、よくわからん光の玉なのにどこか親近感を覚えるというか、まるで他人じゃないような――


「――これ、俺か?」


 感覚でわかってしまった。これは俺だ。俺がこの身体から少しずつ抜け出しているようだ。光が出てくるにつれて自分の意識というか、存在そのものが希薄になっていくのがわかる。

 つまり、俺はもうすぐ消えてしまう。


「いやいや、そんな馬鹿な」


 あまりにも唐突過ぎる。前兆など全く無かった。

 だが、光の玉は次々と出てくる。意識の流出が止まらない。


「…………そうか。そういう感じだったか」


 どうにもならないこともわかってしまい、光の玉が昇っていく光景をぼんやりと眺める。

 こんな事になる理由だが、心当たりはある。きっとミリーとシノがやってくれたんだろう。

 何がどうなってゲルドの中に入り込むことになったのかは不明だが、ラスボスを倒して用済みになったからもう消えていいよ、といったところか。


 あと少しでループの日が来るのだから、攻略が成功しようと失敗しようともうすぐミリーとシノに会える。最近はそんな期待に胸を膨らませていたが、どうやらそれも叶わなくなってしまいそうだ。

 どうせまた何かで失敗してループして、また捨て周で三年間遊び、今度の旅には俺もこっそり付いて行く。そんな未来を想像していたが……。


「ゲルド様? どうしたのー?」

「ゲルド様、その光は……?」


 メイド達にもこの光が見えているようだ。そうだ、消えるのなら感傷に浸る前にやるべきことをやっておかなくてはならない。


「えーと……落ち着いて聞いてほしいんだが、そうだな……今から三年ぐらい前に、俺の性格が豹変したのは覚えてるか?」

「覚えてますよー。それまでは嫌いだったけど、それからは好きになりましたー」

「急に少しまともになって皆もびっくりしてました」

「ね? 最初は皆信じてなかったけど」


 少しというのが引っ掛かるが、やはりうちのメイドは良いメイドだ。にしても相変わらずシェルはぼんやりした口調ではっきり言う奴だ。


「それなんだけどな、多分元に戻る。俺は後から来た人格みたいなものなんだが、もうすぐ消えそうだ。この浮いてる光が俺らしい」

「え? え?」

「これが、ゲルド様?」

「ここにいる三人だけじゃなくて、ちゃんと皆に教えるんだぞ。俺にするみたいにベタベタしてきたら、元に戻ったゲルドに何されるかわからないからな」

「えー? 何ですかそれー」

「すまんな。お別れだ」

「冗談、じゃ……え? 本当に?」


 メイド達は一様に茫然としてしまっている。急過ぎて話についていけないのだろう。いきなり消えると言われても話を飲み込めなくて当然か。

 しかし時間がどれだけ残っているかわからないので、信じるよう説得している暇は無い。とにかく俺が残っている内に言うべきことを言っておく必要がある。


「なあシェル。シノのことは覚えているか?」

「シノっていうとー、前にここにいたすっごい美人の」

「そう。そのシノと女の子が一人近々ここに来るだろうから、伝言を頼みたい。すまない、と」

「……っ、はい」


 とりあえずこんなところだろうか。あまりにも唐突な事態なので、パッと思い付くのはこれだけだった。あとは父に……はいいか。元の息子が帰ってくるだけだし、何より多分もう時間が無い。


「そろそろだな。おい、早く部屋から出て行け。もう元に戻るぞ」


 俺の体から出て行く光の量が多くなってきた。まるで天へと昇っているかのように天井を突き抜けていく。


「ゲルド様、やだ、行っちゃやだ」

「悪い、どうにもならん。それより早く外に……ああいや、こうするか」


 ポロポロ泣くばかりで一向に動こうとしないシェルを抱えて部屋の外に追い出す。一周目の最期を思い出してしまった。

 ドアを閉めて部屋の中で一人になったところで、ついに意識も朦朧としてきた。いよいよだ。


「はぁ……こんな事になるなら、攻略なんかしようとするんじゃなかった……。ミリーとシノと、最後に一度ぐらいは会いたかった……」


 あの二人には悪いことをしてしまったかもしれない。色々と将来の約束もしているが、それを全部反故にする形になってしまう。


「…………ん? え? あれ? これ、ちょっとヤバくないか?」


 全身から冷や汗がぶわっと湧き出てくる。俺はミリーとシノに対して、出発前に何と言って送り出した? 散々煽りに煽ってやる気を出させていたはずだ。それを全部放り出して消えるのか?


「え、ちょ、ヤバいヤバい、俺が悲しんでる場合じゃない。これはさすがに駄目だ。何か、何か二人に……そうだ、謝罪文を書き残そう。とにかく誠心誠意謝って―――んあ?」


 急に見える景色が切り替わった。それに立っていたのに急に寝転んでいる。まるでループしたときの様な感覚だが、ここはワスレーン邸の自室じゃない。


「ここはどこだ? 何か見覚えが……あっ、実家か」


 実家といってもワスレーン邸じゃなく、日本の実家だ。懐かし過ぎてすぐにはわからなかったが、ここは紛れもなく俺が生まれ育った実家だ。消えるのではなく、戻ったということなのか。

 どうやら俺は実家で仰向けに寝転がり、手には何かよくわからん物を持っていて……これはゲームソフトか。タイトルはファンタジー―― 


「――あ、痛たたた」


 頭が割れそうなほど痛い。なんだ一体。もうわけがわからん。


「こんなに頭が……あ? 血?」


 痛む箇所を押さえると、手にはぬるっとした感触が伝わってくる。血だ。それも結構出てる。これはひょっとして割れそうじゃなくて本当に割れてるんじゃないか。

 そうだ、思い出した。確かあの世界に行く直前に転んで頭を打って死んだかと、思って……?


「夢、だったのか……?」


 それにしてはやけにはっきりとした記憶がある。いや、今はそれどころじゃない。


「とにかく回復……は、使えないから、えーっと、救急車か? ってことは電話だ。電話……何番だっけ。あと住所だ、実家の住所なんて覚えてないぞ」


 頭の中は完全に混乱しているが、とにかく今は怪我を何とかしないと死んでしまう。考えるのは後回しにしてやるべきことをやるだけだ。


「救急車はこれでよし。すぐに来るだろうから……えーと、病院に行くんだから保険証は……あれ? そういや何か制度が変わったんだったか? もう全然わからん。とにかく財布さえあれば何とかなるだろ。で、財布ってどんなのを使ってたっけ」


 頭だけで考えられる状態ではないので、いちいち口に出して行動する。パニックのときにはこれが一番だ。

 混乱した頭の中のか細い記憶を頼りに準備を進めていく。


「これでもう準備はできたから、あとは玄関先で待ってたらいいのか。それから……あっ、やばい。意識が」

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