第63話

「ふぅーい……」


 自室に戻り、大きく息を吐いてソファーに横たわる。

 NTRに目覚めたと勘違いをされた後、開き直ってノリと勢いでベラベラと適当なことをまくし立てた結果、俺はどうにか実家でゴロゴロして暮らす権利を手に入れた。

 何か辛いことがあったのではないかと妙な心配されてしまったようだが、そのおかげで要望が通った感じがするので気にしない。

 そしてメイド達との関係改善に関しては本当に頑張るつもりでいる。何しろこれこそが俺の将来に向けてやらなきゃいけないことだからだ。


 あの最初の周は本当に三年間能天気に過ごして、とにかく毎日が楽しかった。そんな楽しかった日々を共に過ごしたメイド達から嫌われたままでは未来へなど進めやしない。

 今まではどうせまたループして無かったことになるのだから、という考えから関係改善には踏み出せなかった。


 しかし、今回は違う。今回でループが終わる確率はかなり高いと踏んでいるのだ。ならばやるしかない。

 メイド達とは最初の周に仲良くなって以来ずっと疎遠で、もうそれぞれの性格や趣味嗜好などはあまり詳細には思い出せなくなっているが、最初の取っ掛かりだけは忘れていない。


 まず部屋のドアを開けて廊下に顔を出すと……やはりいた。シノがいないとお前がここに立たされるんだな。


「なあ、ちょっといいか?」

「……はい、どうされましたか」


 さりげない動作でさりげなくない大げさな距離を取って、しずしずと返事をするエミ。そう、取っ掛かりとはお前のことだ。


「王都の学校でな、友人からこれを譲り受けたんだが……これに詳しい奴を知らないか?」


 そう言って取り出したのはカードの束。お前はこの誘惑には抗えまい……!



「では私のドローはウルフマジシャンですね。それをここに。これで私の勝ちです」

「ぬう……」


 俺がずっと忘れていなかったほど初周で強烈なインパクトを残したカード狂いのエミ。お前なら乗ってくれると信じていた。そして初心者相手でも散々にカードを毟ってくるとわかっていた。わかってはいたんだが。


「なんて容赦の無い……これがカードバトルの世界なのか……!」

「ええそうです。血沸き肉躍る白熱の戦い。互いのプライドとカードを懸けた決闘なのです」


 何が「ええそうです」だ。王都から帰って来る道中で金を稼いでおいて良かった。今度街へカードを買いに行かなければ。


「なるほどな。しかし少々白熱し過ぎたようだ。今日はこのくらいにしておこう」

「…………そうですか。では、失礼します。部屋の外に待機しておりますので」

「ああ」


 残念そうな表情を浮かべたエミは、そう言ってしずしずと部屋を出ていく。カードバトルのためならば、普段あれだけ距離を取るセクハラ貴族と室内に二人きりになることも辞さない。やっぱあいつおかしい。


「さて…………暇になったな」


 あのペースでカードを持っていかれては早々に手持ちが尽きてしまうと思って切り上げたが、かといって他にやることが無い。

 そこで初周の俺が何をしていたのかと思い出してみると、カードで遊ぶ以外には時折メイド達に見物されながら剣を振り回していた記憶がぼんやり甦ってくる。


「剣か」


 今さら剣もどうだろう。当時はへっぽこだったから素振りするのも悪くなかっただろうが、多分王国最強の剣士になってしまった今となっては、ただ庭で棒切れを振り回したところであまり意味が無い気がする。


「でも他にやることもないか」


 それならシュバシュバと動くカッコいいところをメイド達に見せよう。そしていつかまたキャーキャー言われたい。あっ、意味あった。

 とても重大な意味があるとわかったので早速呪いの剣を持って意気揚々と部屋の外に出る。確か素振りは中庭でやってたはずだ。


「ゲ、ゲルド様、それは一体」

「え?」


 部屋の外で待機していたエミは、顔を引き攣らせて極端に距離を空けている。何かあったのか。


「そのような剣など……お、お気を確かに」

「へ? ……ああ、そういうことか」


 そういえばそうだった。ゲルドは剣などまともに振った事もないヘッポコだった。そんな奴がいきなりどこからか入手した立派な剣を持って部屋からぬっと出てきたら、日頃の素行の悪さも相まってシンプルに恐いか。ましてやさっきエミは俺からカードを容赦無く毟ったばかりだ。


「今から素振りをするんだ。王都で覚えてな」

「はあ。素振り、ですか」


 魔法の学校に行った貴族のバカ息子が剣を覚えて帰ってきた。その事実にエミは事態を飲み込めていないらしい。

 が、こんなのはいちいち説明するより見せた方が早い。エミを引き連れて早速中庭に移動する。


 さて、ここで一発カッコいい技を見せたいところだが、まず『回転切り』と『回転切り改』はダサいから駄目。『千剣乱舞』は派手な技ではあるが、切り刻む対象が無いと剣が浮かぶだけでシュールになってしまう。

 ならばここは『剣気開放』からの『龍翔斬』だ。こいつは実戦には不向きで一度も使ったことが無いが、エフェクトの龍がとにかくカッコいいデモンストレーション用の技だ。


「はっ! はあっ!」


 『剣気開放』で俺の体から紫色のオーラが立ち昇り、『龍翔斬』で半透明の龍が天高く舞い上がっていく。やはりカッコ良い。

 あとはここから実戦を想定した動き……をすると多分メイドには何も見えなくなるので、足を止めてゆっくりと素振りを行う。


「ふっ、ふっ!」


 エミは後ろでちゃんと見ているだろうか。もう一発何か技を見せてやった方がいいだろうか。

 剣スキルレベル六の『地裂砕破』なんかは……駄目だ、中庭がボロボロになる。というか残りの技はほぼ駄目だ。地味なのか危ないのしかない。もうずっと素振りでいいや。


 そうして初心に返った気分でゆっくりと動きを確かめながら素振りをしていると、少し離れた所からずっとこちらを見ていたであろう誰かが近寄って来るのがわかった。きっと俺のあまりのカッコよさに目を奪われたメイドが……あっ、違う。この気配はちょっと戦える奴だし、体格が男だ。くそ、どこのどいつなんだ。

 そう思って振り返ってみると、謎の貴公子がこちらに向かって真っすぐ歩いている姿が目に入った。


「んん?」


 気品のあるイケメンだ。何故あんな気に食わない面構えの男がワスレーン邸に……いや、あれはゲルドの兄だ。正直全然覚えていないが、この家にいる貴公子なんか兄しかいないだろう。


「……おい、ゲルド」

「なんでしょう、兄上」

「お前、それほどの腕をどうやって……いや、いつの間に……」


 すぐ近くまで来たのでわかったが、兄は少し青褪めたような表情で、なんだか思いつめているように見える。

 しかしこれは無理もないだろう。俺は俺の強さに無自覚ではない。

 兄が何を目指して何をしている人なのかはさっぱりわからないが、出で立ちや身のこなしから多少剣をかじっていることはわかる。

 ずっと放蕩の限りを尽くしていたであろう弟が急に歴戦の達人みたいになっていたらびっくりするだろうし、今までの自分の努力は何だったのかと思うことだろう。


「兄上、これは秘密の努力の成果です」

「秘密の……?」

「ええ。僕も遊んでばかりではなかったということですよ」

「そうなのか……いや、しかし……」


 俺の適当な言い訳を聞いた兄は怪訝な顔をしている。到底納得していない様子だ。

 ちょっとコソ練した程度で辿り着ける領域じゃないことはさすがにわかるか。


「ゲルド、手合わせを願えないだろうか」

「はあ、それは構いませんが……」


 兄からの唐突な提案に面食らってしまう。実力差がわからないわけではないはずだ。

 俺は良いのだが、兄は大丈夫だろうか。あんまり手を抜くとそれはそれでショックだろうし、かといって一方的にボコるのも憚られる。

 どう対応したものかと悩んでいる間に、兄はどこかから木剣を二本持ってきた。いつの間にか取りに行ってたようだ。


「これでやろう。寸止めで頼む」

「寸止めですか。わかりました」


 木剣とはまた懐かしい物を渡されてしまった。ウキャック学園にいた頃は毎日のように木剣を振り回していたし、豪傑から毎日のように木剣でビシバシ叩かれていた。当然寸止めなどされたことがない。

 特に血と涙と汗とゲロを毎日のように垂れ流していた最初の一年間は、物忘れの激しい俺ですら忘れたくても忘れられないほど魂に刻まれてしまっている。


「では……いくぞっ!」

「はい。どうぞ」

「はぁっ!」


 兄は力強く大きい一歩を踏み出し、その勢いを乗せて上段から振り下ろしてくる。日本の剣道のような動きだ。

 剣で受け止めて鍔迫り合いに持ち込み、力で押し返す。すると、兄はまた大きく踏み込んで振り下ろしてくる。


「ふむ」


 おそらくこれが得意な動きなんだろう。これだけだと単調過ぎるので何かしらの目先を変える小技も用意しているだろうが、凡そは把握できた。実力は剣術部の後輩連中の一年生より強く、二年生よりちょっと弱い程度だ。


「つぇああっ!」

「ほっ」


 兄の振り下ろす剣に俺の剣をそっと添えて、少しだけ軌道を変えてやる。すると兄の剣は地を叩き、俺の剣は兄の首元へ。


「うっ、これは……ここまでか……!」

「はい。それで、どうしますか?」

「っ、もう一本だ!」


 今度は兄の剣に対していなすのではなく、真向からぶつけるようにして戦う。そして少し隙を晒してみたり、逆に兄の隙を軽く突いてみたり。さらには少し変則的な動きも入れてみたりすれば、ここの対応が―――


「くっ。こ、こんな技が……俺の負けだ……!」

「兄上の剣は少々綺麗過ぎるようでしたので」

「それにゲルド、お前、俺に指導するような……」

「ええ、まあ」


 さすがにこれもわかるか。後輩達と同じような実力だったので、懐かしくてついやってしまった。


「俺よりも遥かに……それにこれはスキルやレベル頼りではない、確かな研鑽と経験に裏打ちされた、本物の剣だ……」

「頑張りましたから」

「ああ。本当に努力したんだろう。そうでなくては絶対に不可能だ」


 兄は何やら感じ入ったものがあったのか、俺を一頻り讃えた後、清々しい顔で去っていった。


「……うーむ」


 割と失礼なことをしてしまった自覚はあるのだが、兄は怒るどころか俺に感心するばかりだった。

 これは紛うこと無き人格者だ。次の当主は兄が相応しいだろう。俺は面倒だしパスだ。

 となれば早速父上にその旨を伝えて……いや、多分血筋の問題はそれだけでは覆せない可能性もある。


 よし、俺は今日からカードと剣を軸にメイド達と距離を縮めて、そこからずっと放蕩三昧の日々を送ろう。そうすれば父上から呆れられてめでたく廃嫡だ。

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