第62話

 誘拐事件の後、モンスターの襲撃を寮から出ずにやり過ごした俺は、いよいよ旅に出るミリーを見送るために早起きを余儀なくされていた。


「……眠たい」


 が、今日ばかりは這ってでも行かねばならない。

 なんせミリーにはこの数千倍、数万倍は面倒な思いをさせてしまうのだ。せめて気持ちよく出発してもらいたい。

 指定されていた校舎裏に行くと、既にそこには旅装のミリーが準備万端で俺を待っていた。


「おはよう、ミリー」

「ゲルド君っ」


 会うなりミリーは感極まった様子でひしっと俺に抱き着いて、胸元に顔を埋めてくる。最初からクライマックスのような感情の高ぶりだ。出発まであと一時間以上あると思うのだが、果たして最後までテンションを維持できるのだろうか。


「ミリーには、また苦労をかけてしまうな」

「……うん」

「俺は待つことしかできないけど、ずっと待ってるからな」

「……うん」

「また大変な旅になるだろうけど、終わったらその分またミリーの行きたい所に行ったり、したい事をしたりしような」

「うん。約束だよ。絶対だからね。また三年分だからね」

「あれ? あ、ああ」


 おかしいな、今は何を言っても「……うん」しか返事をしない流れじゃなかったのか。なんだか執拗に念押しされてしまった。


「もう他に女の人を増やしちゃ駄目だからね」

「え? そりゃもちろん」

「えっちなお店とかも行っちゃ駄目だからね」

「ん? まあ別に行くつもりも無いけど」

「あと実家のメイドさんに手を出したら駄目だからね」

「実家? そりゃ実家では嫌われてるし、そんな事はしないけど……」


 俺の胸に顔を埋めて甘えているようでいて、そのままグサグサと釘を刺してくる。なんだこれは。今のところは問題ないが、これ以上は困る釘が出てくるかもしれない。ここは一発反撃しておくとしよう。


「ミリー、なんか信用が無いみたいだけどな。俺はミリーという世界で一番可愛い子を知ってからは、他の女に目移りしたことは無いんだぞ」


 ここはびしっと言い切ってやる。ミリーを安心させるのが目的だから、力強く、自信満々にだ。そしてミリーは俺に褒められるのに弱い。世界一可愛いとまで言えばそれ以上の反撃は無いはずだ。


「……でっ、でもシノお姉ちゃんがいるし。それに他にも彼女がいたっていうし」

「あー、それは。まあ、うん。ほら、ミリーと会う前だったから」


 「世界一可愛い」があまり効いてない上に、俺にとってクリティカルな反撃が飛んできた。もう駄目かもしれん。

 あとは何か良い言葉は……ある。機会を逸してずっとはっきりと口に出したことが無かったが、良い機会だしここで言っておくことにしよう。


「ミリー、好きだ。ずっと好きだから……だから大丈夫だ」

「……っ」


 これでなんとかなったか? ミリーは何も言わずぎゅっと抱きしめてくる。顔は見えないが、この震え方は泣いているのだろう。もっと早く言っておけば良かった。


 それからどれだけの時間が経っただろうか。

 俺にしがみ付くミリーの頭を撫でたり背中をポンポンと叩いたり、ずっとあやすような事をし続けているのだが……待ち合わせは大丈夫なのか? 旅の初日からいきなり遅れたりしないか?

 そんな事を気にしてそわそわしていると、不意にミリーが顔を上げた。


「ゲルド君はひどいね。出発の前なのに」

「ん? いや、そうだな。言うタイミングを間違えたか」

「うん。出発したくなくなるでしょ」


 ミリーの目はすっかり泣き腫れていて、俺の服もしとどに濡れてしまっている。これは号泣だ。


「ほんとはまた三年間、一緒にいたいけど……それじゃ前に進めないもんね。だから頑張ってくるよ」

「ああ、頼んだ」

「うん。……それと、私も大好き。ずっと大好きだからね」


 最後にそれだけを言い残し、ミリーは学園を出て行った。

 以前にも体験したことだが、一時間以上べったりくっついていたミリーが離れると、急に温まっていた体が冷やされて心まで寒々しくなってしまう。

 だがそれはきっとミリーも同じこと。何もすることが無い俺が弱音を吐くわけにはいかない。何せ本当に何もしないのだから。


 この後の流れだが、これからハーレム一行が向かう街でシノが事前に冒険者として活動を始めており、入学してから二ヶ月か三ヶ月もあれば十分名前は売れる。

 あとはそこからどうにかして再会すれば、手練れの幼馴染として自然に合流できるだろうという算段だ。


 そう。つまり、もう俺のやる事は何一つとして残っていない。あとは果報を寝て待つだけとなる。


「ふぅぅぅー……終わったあー……」


 思わず力が抜けて、その場にへたり込む。

 ここまで足掻き続けて何ループ……何年だ? もうよくわからんが、とにかく俺のできる範囲での人事は尽くした。あとは天命を待つのみ。

 失敗する可能性も当然あるが、レベル六十のミリーとシノが揃えば戦力面で問題があるとは思えない。あるとすればシナリオ絡みで詰まることだが、そちらは原作の知識が全く無い俺ではどうすることもできないので無視だ。

 そして今回が成功するならば、ループ後の未来に向けて考えるべきことはあるにはあるのだが、今の俺はとても強いのだ。

 王国最強格の騎士団長ですら今の俺なら簡単に捻り潰してしまえるだろう。これだけ強いなら将来なんかどうとでもなってしまう。


「いや。将来に向けて、となると一つだけやらなきゃいけないことがあったな」


 それを果たすべく、俺はモンスターを積極的に狩って金を貯めつつ、のんびり歩いてワスレーンへ帰ることにした。



「うーい、帰ったぞー」


 ワスレーン邸に帰ると、まずはメイド達に避けられながら書斎に向かって父に報告する。

 デザロア学園がモンスターに襲撃されたので退学してきたという言い訳をするが、これが咎められないことはわかっている。


「しかしこれから先はどうするつもりなんだ? まさか年がら年中ここでゴロゴロして暮らすというのではあるまいな」


 これだ。俺は以前この流れから己の武を世に問うなどと言い放って、男一匹武者修行の過酷な旅に出ることにしたんだ。

 実際はシノもついてきて、なんだか違う感じの旅になってしまったが……。

 そして今回、俺はまさに年がら年中ここでゴロゴロして暮らすつもりでいる。どうにかして父を言い包める必要があった。


「父上、そのまさかです。僕は年がら年中ここでゴロゴロして暮らすつもりでいます」


 まずは意思表示をするべく正直に言うことにした。

 父は数秒固まった後、遠い目をして窓の外を眺めている。


「父上、僕はここでゴロゴロして」

「ああいい、二度言わんでいい。……しかし、なんだ。いや、それも悪くないか……? これ以上の醜聞は……」


 父は何かぶつぶつと呟きながら考え込んでいる。しかしその考えが纏まる前に、俺の言葉で押し流してしまおう。父上はメチャクチャな事を言われると疲れて参ってしまうのはもうわかっているのだ。


「父上、このワスレーンの次期当主に関してなのですが」

「……ゲルドよ。その件は軽々しく口にしていいことではないぞ」


部屋の空気がピリッと張り詰める感覚がした。この話題はやはり重くなる。


「もちろん承知しています。……さて、次期当主の正当性は僕にあり、そして人物としての評価は兄上にある。父上はこの狭間でお悩みになられているのかと」

「……続けろ」

「なのでここはひとつ、改心した僕を見てもらうのが一番良いと判断したわけです。そうですね、三年間ほど見てもらえれば十分かと。その上で判断を下して頂きたいと思っています」

「ふむ。これまで十分見たと思っていたが……確かに最近のお前はどこか雰囲気が違うな。様子を見るのも悪くはないか?」


 父上の反応はまずまずといったところか。もう一押し必要だな。しかしここからはほぼノープランだ。適当に勢い重視で喋るしかない。


「それにですね。僕はここワスレーンでの評判があまりにも悪い。将来当主の座を継ぐにせよ継がないにせよ、これを改善しておくことはとても重要だと考えたわけです。そして、その為にはここにいる必要がある」

「……むう」

「まずは手始めにメイド達ですね。一番身近にいるメイドに嫌われているようでは領地を統べることなど到底不可能。なのでメイドとの関係改善を目指そうと考えています」

「確かにメイド達からのお前に関する苦情はあまりにも多いな。息子がメイドにセクハラしたという話を聞かされるのはうんざりしていたところだ」


 なんと。そりゃ嫌われているわけだ。俺が全くやっていないことで嫌われるなど理不尽極まりないが……まあいいだろう。ここからだ。


「ではメイド達と仲良くなって遊ぶことを目標に三年間過ごししたいと思います」

「……何か気に食わんな。それにゲルド、メイドといえばシノはどうしたんだ」


 そういえばシノを三年借りると言って逃げるように王都に向かったんだったか。こっちの言い訳は全く用意していない。


「えー、その……シノはですね。何と言いますか」

「何だ急に言い淀んで。まさかシノにもセクハラして愛想を尽かされたとでも言うのではあるまいな」


 このまま言い訳に窮していると酷い勘違いをされてしまいそうだ。もうある程度は本当の事を言ってしまった方が良いか?


「そうではなくてですね。その、私の頼みでちょっと……えーと、他の男に付いていってもらったというか……とにかく三年後には戻ってくる約束なので」

「ゲ、ゲルド……お前、ついにそんな倒錯した趣味に目覚めて……!?」


 あれ、何か酷過ぎる勘違いをされているぞ。

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